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by aru-henshusha

そして、家族が動きだす。(ごくごく私的な『砂上のファンファーレ』論)

砂上のファンファーレ

早見 和真 / 幻冬舎


家族とは、そこにあるだけでは、家族として「機能する」とは限らない。
そのことに気づかされたのは、数年前、母が倒れたときだった。


その日、僕が勤めていた小さな編プロに、勤務先で母が倒れたという連絡があった。

母が入院した病院を訪ねると、脳梗塞だと伝えられた。
最悪、マヒや言語に障害が残ると言われ、母一人、子一人で育った僕は、途方に暮れた。

しかし、正確に言うと、母にとって「家族」は僕だけではなかった。
母の弟、僕にとっての叔父も、病院に駆けつけていた。


叔父に会うのは、久しぶりだった。

幼いころ、僕は、母が働いている関係で、
叔父と祖母が住む家に預けられ、一日の大半を過ごしていた。

祖母は僕をかわいがってくれたが、叔父はそうではなかった。
今で言うと、ニートのような暮らしをしていた叔父は、
虫の居所が悪いと、僕をすぐ怒った。手が出たこともある。

叔父にとって、僕は虫が好かない存在だったように、僕にとって、叔父は憎悪の対象だった。
怒鳴られるたび、暴力をふるわれるたび、いつかこいつを殴り返してやろうと思った。

でも、病院で再会したとき、今がそのときではないことは、すぐわかった。


叔父と僕は、それから、交代で母を見舞い、
手分けして、転院や退院、リハビリの手続きをし、母の容体を見守った。

その後、母は驚異的な回復を見せ、
いまでは(以前とまったく同じとは言わないが)、歩くことも、しゃべれることもできる。

当時(も今もだけど)、別々のところで暮らしていた、
僕と、母と、叔父は、あの日を境に「機能」し始めた。

ただただ母が元気になることだけを願って、
僕と叔父は、そして母自身が自分のできることをやり、支えあった。

彼女が倒れるまで、そんなふうに、
お互いやさしくできる日がくるとは思わなかった。


前置きがずいぶん長くなったようだ。

注目の若手作家、早見和真の最新作、『砂上のファンファーレ』は、
ひと言でいえば「家族が機能する」までを追った物語だ。

本書に出てくる家族は、最初はまったく機能していない。
すでに壊れかけていると言ってもいい。

原因不明の物忘れに悩む母、
事業がうまくいかず借金を重ねる父、
真面目だが家族とは一定の距離をとる長男、
家族になじめず浮いている次男…

彼らは、たしかに家族だけど、お互いがバラバラの方向を向き、
知らんぷりをして、ただそこにいるだけだ。

そんな家族が、あることをきっかけに「機能」しだす。
しかも、驚異的なスピードで。


一つのきっかけから急速に家族が「動きだす」この物語は、
読む人によっては荒唐無稽という印象を受けるかもしれない。

しかし、母の病によって「機能」した家族を持つ僕としては、
家族には、もともとそういう力があるのだと言いたい。

くしくも今回の震災によって、自分たちの家族の「機能」を、再認識した人もいると思う。
家族が痛みを生み出すこともあれば、家族が痛みから守り、癒すこともあるのだ。


家族を、家族の「機能」を信じられない人は、ぜひこの物語に触れてほしい。
自分の家族のことを思い浮かべながら、一気に読めるはずだ。

そして、その日からきっと、あなたの家族も動きだす。

多忙のため、引きつづきコメント欄等、
スルー&お眼汚し状態になることをお許しください

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by aru-henshusha | 2011-04-10 22:40 | 本・出版