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by aru-henshusha

ニーチェみたいに、愛せますか?(ヒトリゴト70)

もし恋愛偏差値というものがあるなら、きっと僕は25とか30くらいの値なのだろう。
それくらい恋愛が下手だ。ばかりか、それにまつわる悩みをしょっちゅう抱えていたりする。

先日、『超訳 ニーチェの言葉』という本を読んでいて、
こんな一節にぶつかった。
愛するとは、自分とはまったく正反対に生きている者を、その状態のままに喜ぶことだ。自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のままに喜ぶことだ。
愛を使って二人のちがいを埋めたり、どちらかを引っ込めさせるのではなく、両者のちがいのままに喜ぶのが愛することなのだ。

超訳 ニーチェの言葉

ディスカヴァー・トゥエンティワン


言われてしまった、と思った。
おっしゃる通り、でもね、とも思った。
僕はなかなか、ニーチェみたいに愛することができない。


たとえば、好きな人ができたとする。
最初はいいところばかり、目に入る。
しかし、一緒にいる時間が増えたり、そのままつき合うようになると、
相手の嫌なところ(ニーチェ流に言えば、正反対な生き方や逆の感性)が目につく。

多くの場合、僕は相手の嫌なところを変えてほしいと思うし、
でも変わらなくて、喧嘩になることも多かった。

また、僕がつきあう人も、ある意味、僕に似ていた。
僕が相手を変えたいと思ったように、彼女は僕を変えたいと思い、
やっぱりうまくいかなくて、ダメになった。


恋愛ベタな僕は、街を歩くカップルを見るたび、不思議に思うことがある。

彼や彼女は、もともと自分に合った相手と付き合ったのか、
それともニーチェの言うような愛し方をしているのか、
それとも単に我慢をしているのか…

きっと、人それぞれなのだろう。


人と人にちがいがあるのは当たり前で、
そのちがいに目をつぶることで、世の中は成り立っている。
けれど、僕は好きな人といるとき、目をつぶれなくなる。
それは、そのちがいを(相手から)埋められるという甘えなんだろう。

相手に甘えることで、本当に甘えられる相手を失っていく。
書けば書くほど、僕は恋愛に向いていない。


ニーチェみたいに、愛せますか?

といま訊ねられたら、僕は口ごもるだろう。
ニーチェの愛の優しさの前に、深く恥じ入りながら。
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by aru-henshusha | 2011-04-24 23:44 | 不定期なヒトリゴト。