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ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

<日曜日だけど、仕事の話をしよう。> 第0回 石渡嶺司(ライター)

日曜日だけど、仕事の話をしよう。>第0回(パイロット版)のゲストは、ライターの石渡嶺司さん(詳しいプロフィールは彼のブログを参照)。30歳にして著書3冊を上梓する、実力・実績を兼ね備えたライターさんです。今回は、クリスマスイブ(!)の取材にもかかわらず、僕の拙いインタビューの「練習台」になっていただきました。2時間以上にも及んだインタビュー、出版業界に興味のある人やライターを目指す人は必見です。





●「幻のデビュー作」を書いた高校時代、書くことから少し離れた大学時代
――まずは簡単な自己紹介を。
石渡嶺司、1975年4月1日生まれ、現在30歳。北海道札幌市出身です。この名前はペンネームで、本名の一部と出身高校名の一部を組み合わせています。

――家族構成と、ご家族の方のお仕事は?
現在は、私と父親だけですね。同居はしていません。母親は、私が高校一年のときに亡くなりました。父親は北海道新聞の記者で、すでに退職しています。母は専業主婦でした。父親が記者だったので、小さいころから新聞は読んでいましたね。あと、母方の実家が読書家の家系で、遊びに行ったときは本がたくさんあって。子供のころから、活字に囲まれた生活をしていました。

――子供時代から書くことに興味を持っていたんですか?
正直、小学校時代まで、文章を書くという仕事に興味はなかったです。それでも、中学・高校時代には、小説家とかマンガの原作者になりたいと漠然と思ってました。そうそう、村上春樹みたいな小説を書きたかったんですよ。けれど、主人公のプロフィールを考えているうち挫折、みたいな(笑)。

――じゃあ、そのころはまだ、ライター石渡嶺司の片鱗も見えなかったと。
あ、でも、一つだけカタチになった文章があります。高校2年のとき、小学館の雑誌の「読者体験記者」に選ばれたんですよ。その年はコロンブスのアメリカ発見500周年にあたる年で、小学館が「海星」っていう帆船の後援をしている関係もあって、「海のボーイスカウト」的なものを紙上募集していたんです。それに応募したら運よく記者に選ばれ、体験航海をすることになって。スペインのマジョルカ島の周囲を1週間かけて帆船でまわった感想を書いた文章が、「週刊ポスト」に載りました。ある意味、私の“デビュー作”ということになりますね。

――高校時代、「書く仕事」への興味・関心はより強くなっていたんですか?
相変わらず興味はあったんですけど、父親からは「お前は新聞記者は絶対無理だ」と言われて。いま思えば、体力、あと性格面を心配されていたのかなぁ。私って話がまわりくどいし、昔は自分の意見を押し付けやすいところがあったんです。それを見て、父は向かないと言ったんだと思います。で、いま考えれば大きな誤解なんですけど、だったら編集者になろうと思ったんですよ。しかも、週刊誌の仕事は忙しそうだから、月刊誌の編集者ならどうかと。中学時代からなりたかった小説家、マンガの原作者にくわえて、月刊誌の編集者。この3つが、高校から大学時代にかけて関心があった仕事です。

――そういった「活字まわりの仕事」に就くために、何か特別な努力はしてましたか?
いや、特にしていません。大学もマスコミを目指すための学部とか、学校を選んだわけでもないですし。学部選びもいいかげんでね。数学・理科ができなかったから、はなから理系はダメ。文系も経済・経営・商学部はお金のことが苦手だったからパス。法学部は六法全書を勉強するのが面倒臭そう……。こんな具合に消去法で考えて、社会学部に決めたんです。いまでこそ「大学ジャーナリスト」を名乗ってもいますが、当時の大学にたいする意識はこの程度でした。

――それでは、大学時代のサークル活動やアルバイトなどについて、かいつまんで。
2浪して東洋大学社会学部に入学しました。最初はクイズ研究会に入ったんですが、これは長続きしませんでした。2年生のとき、地理学実習という講義を受けるんですけど、受講生みんなでいろいろな場所に出かけたりして、それがゼミ一種のサークルがわりでしたね。その講義で、あなたもご存知のY君(*石渡君の後輩で、ある編集者の元同僚)と出会いました。アルバイトは、スーパーでの販売補助、これって「TVショッピング」の実演販売みたいなこともするんですよ。それと、夜は居酒屋でも働いていました。両方とも接客業。「知らない人と話す機会が多い」というのが、仕事の共通点ですね。

●紆余曲折の末出した処女作は売れなかった
――さて、大学卒業後の進路はどのように?
最初は大学院に進学しようと思っていたんですよね。話は前後しますが、じつは私、大学時代、競馬にはまっていて。そのとき、面白いと思ったのが、ギャンブルって、それに好意的な人と、嫌悪感を示す人の差が激しいんです。その差って一体どこからくるのかなと。そのころ、谷岡一郎さんの『ギャンブルフィーヴァー』という本にも出合って、大学院に進学して「ギャンブル社会学」というものを学びたいと思うようになりました。

――でも、実際には大学院には進まなかった?
ええ、みごと試験に落ちまして(苦笑)。そのまま大学を卒業したんですが、普通の就職活動をしてなかったのでどうしようかと。ただ、幸い、例の実演販売のバイトをずっと続けていたんですよね。事情を社員さんに話したら、どんどん仕事を回してくれて。月15万から20万は稼いでいたと思います。しかも、実演販売の会社から「そのうち社員にならないか」と言われたんですよ。モノを売るのが面白かったということもあって、大学院進学はやめて、そのまま社員になればいいかって思うようになりました。

――そんな石渡君に転機が訪れたのは、いつですか?
えーと、2001年の夏ですね。まず、取引先の大手スーパーが潰れたりして、実演販売の会社の雲行きが怪しくなってきたんですよ。このままだと社員になる話も危ないかなと心配していて。あと、ここで例の後輩、Y君がからんでくるんです。彼は学生時代に「大学」をテーマにした本を自費出版していて、私もそれを読んでいました。で、面白い本だから、第二弾を出せばいいじゃないと言ったら、彼がなかなかその気にならなくて。それで私が、次回作はこういう項目を追加したらどうか、なんて提案をしてたんです。そしたら、じゃあ、2人の共著で出そうじゃないかと。

――その本は、実際に出版されたんですか?
ところが、ふたりで企画書をまとめたりしているうちに、Y君が就職してしまったんですよ。それで「大学本」の話は宙に浮いてしまって。

――変なことを聞くようですが、それまで「大学」には興味はなかったんですよね?
ええ、正直なかったです。でも、当時、彼がいろいろな大学の学園祭に誘ってくれたんですよ。で、各地の大学を見ていると、おなじ大学でもやる気のある大学生と、いじけている大学生がいることに気がついたんです。とくに低偏差値校に顕著なんですが、この大学で一生懸命学んでやろうという学生と、志望校に落ちたのをずっと引きずっている無気力な学生の差。この差はなんだろうと思ったとき、「大学」にたいして興味が一気にわいてきましたね。

――その思いは、仕事にどうつながっていったんですか?
それを契機に、自分でもあちこちの大学を見学するようになって、いつまでも実演販売の仕事をやっているわけにもいかないしと、転職を決意したんです。2か月くらい転職活動をして、大学関係の仕事を請け負っている編集プロダクションに決まりました。2002年の4月に、その編プロに入社しています。

――その会社では、具体的にどんな仕事を? また、印象深かったことは?
そこでは、「大学ガイド」的な本を編集していました。といっても、雑用も多かったですよ。アンケートの宛名書きとかね。よく、「編集はクリエイティブな仕事」みたいに過大な期待をもって入社した人って、現実とのギャップで辞めちゃったりするでしょう。その点、私は仕事ってそういうものだと思ってたから大丈夫でした。あと、当時、「数字」には気をつけていましたね。住所や電話番号を記載するので、間違いがあると大変ですから。これは私じゃないんですけど、ある大学の電話番号を間違えて記載したことがあって、誤って電話番号が載せられた方のお宅に、担当者が飛んでいって平謝りしていましたね。

――なぜ、その会社を辞めたんですか?
ひと言で言えば、クビになったんです。経緯を話すと長いんですが、その会社が途中から新しい仕事をどんどん請け負うようになって、その仕事がDTPとかデザインの知識が必要な仕事だったんですね。ところが、社内には私も含めてそういった知識を持つ人がいない。毎回トラブルは続出するし、私自身もミスがいくつかあって、そんな状態が数か月続いたある日、上司に呼ばれて退職勧告を受けたんです。会社としては人を減らして、新しい仕事に対応できる人材が欲しかったんじゃないですかね。これが、2003年1月です。

――それは青天の霹靂でしたね。そこから、ライターとしての生活が始まるわけですか?
いや、最初は普通に転職しようと思っていたんですよ。でも、どうもうまくいかなくて。そのとき、例の宙に浮いていた「大学本」の企画を思い出したんです。あの企画、じつは全体の2割くらいは原稿を書きためていたので、企画書とその見本原稿をもって、あちこちの出版社に売り込みました。でも、最初はどこもなしのつぶてで。そのうち、父から偶然電話がかかってきて、「お前、いまどうしているんだ」と。それで経緯を話したら、知人の三五館という版元の社長さんを紹介してくれて。すぐに原稿を持ち込んだら、社長さんが原稿を気に入って、幸運にも出版が決まったんです。2003年の3月のことでした。

――それで本格的にライターになろうと決意して。
そうですね。本が出るなら、フリーライターとしてやっていこうと。それで、4月・5月をこの本の執筆にあてて、6月末に処女作、『学費と就職で選ぶ大学案内』を出版したんです。ところが、正直、あまり売れなかったんですよ。出版時期が遅かったとか、私の知名度とかが原因なんでしょうけど。ただ、私としては「本が売れない。はい、そうですか」とはいきませんから、その本を名刺がわりに、あちこちの雑誌へ売り込みを始めました。

●「出会い」に恵まれたライター生活、そして今後のビジョン
――その努力が実を結んだのはいつですか?
その年の9月に、「週刊現代」から<大学選び>の企画をやるのでご協力を、という話がきたんです。それを受けたら、つづけざまに<高校選び>の企画にも関わることになって。また、この仕事の少しあとに「AERA」にも企画書を送っていたんですね。企画は採用されませんでしたが、興味をもってくれた編集者の方からお声がかかって、逆にある大学に関する企画を提案されました。たまたま私の第一作でその大学を取材していたので、すぐに記事を書きましょうという話になって。それ以降も、継続的に企画を提案したりして、いまも「AERA」とはコンスタントに仕事をさせていただいてます。

――いま思えば、その編集者の方との出会いも大きいですね。話は変わりますが、2作目出版の経緯について教えてください。
同じ年の夏ごろ、小学館クリエイティブさんから、「大学選び」のムック作りの件でご相談したいという話があったんです。それで、いろいろネタ出しをしていたんですが、企画自体が途中で消えてしまいまして……そのかわりといってはなんですが、書籍の企画が出せませんかと。それで、第1作目の続編にあたる企画を提案しました。本来ならば三五館で出すべきでしょうけど、1作目の売行きではそれが難しくて。この企画はすんなり通りまして、『15歳からの大学選び』というタイトルで2004年の4月に発売されました。この本は出版時期がよかったというのもあるし、大学選びと職業選び、2つの進路選択についてふれたという「つくり」が読者に受け入れられたのか、現在6刷にまでなりました。

――で、この作品以降は順調に仕事をこなしていくわけですか?
いや、じつはひとつ心配なことがあったんです。普通、ライターって、編集プロダクションで2、3年経験を積むとか、雑誌のデーターマンの仕事をするとか、それなりの下積み経験をすると思うんですよ。いっぽう自分は、それまでほとんど「我流」できてしまった。これでは先行きがちと不安だなと。それで「編集会議」主催の編集・ライター養成講座というものを受けました。この講座では、おなじような志を持った学生、ライターの皆さんと仲良くなれて励みになったし、また、講師としてきていた出版業界の方々とつながりができたのも、いまの自分の「財産」になっています。

――そして、今年ついに3作目を上梓されたわけですね。
ええ、前作の続編で『15歳からの大学選び トレンド業種志望編』です。光栄にも、あの江川達也さんに漫画を描いていただきました。今年の3月に出て、現在2刷です。

――石渡君のこれまでについて駆け足で聞いてきましたが、今後のお仕事についても話していただけますか?
次回作は新書の企画を考えています。なぜ新書かというと、まず新書のコーナーに本が並ぶし、「大学モノ」だと大学受験コーナーにも本が並ぶ。一冊の本でも二箇所で展開が可能だという営業的な戦略です。また、もうひとつは読みやすさ。「新書」というサイズが受験生や保護者の方といった、私の読者の中心的な方々には読みやすいんじゃないかと。あと、「大学」というテーマを核にしつつも、就職、キャリア、中学、高校と、企画の幅を広げていければと思っています。

――ズバリ聞きたいんですが、この仕事はいつまで続けるつもりですか?
いつまで、と言われると困ってしまうけれど、将来的には個人のライターは卒業して、会社組織にしたいと考えています。ライティングだけでなく、中高生のキャリアカウンセリングを行なうなど、幅広く展開していきたいです。もちろん、相当な年齢まで「書く」という仕事も続けているとは思いますけれど。

――この記事を読む人のなかには、「ライター」志望者もいると思います。最後に、そんな人たちにひと言いただけますか?
まず、ライターという仕事が、べつに特別な仕事ではないという認識は強く持ってほしいですね。特別に見える仕事の裏側は、地味な事務作業の積み重ねです。それを誤解すると長続きしないと思います。また、本当にライターになりたいのなら、それを口に出すだけでなく実際に行動に出てほしい。たとえばワインが好きなら、美味しいワインを調べてみたり、レストランに飲みに行ったり、ワイン工場を見学してみたり。ライターになりたいと言う人は多いけど、実際に行動に出る人は少ないんです。逆に言えば、「行動に出たもの勝ち」の世界だし、僕がライターになれたのもそれが大きいと思います。ライター志望者の皆さん、頑張ってください。

*このインタビューは、2005年12月24日の取材をもとに、ある編集者が構成・執筆したものです

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by aru-henshusha | 2006-01-08 00:07 | 仕事の話をしよう。