ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

<日曜日だけど、仕事の話をしよう。> 第2回 高島利行(語研・取締役営業部長)―1―

<日曜日だけど、仕事の話をしよう。>第2回のゲストは、語研・取締役営業部長の高島利行さん(詳しいプロフィールはこちらを参照)。前回の石岡さん同様、この企画を発表した直後に取材協力のメールをくださった方です。
そのお名前は、僕もポット出版のHPの連載で存じ上げていました。業界の大先輩へのインタビューは、ときに専門的な話にもなりましたが、何より「出版」の楽しさを知ることのできた2時間半でした。同業者の方はもちろん、出版に興味のある方はぜひ読んでください!
*長文になりすぎたので、1、2に分けます。

(この記事は1週間、トップページにおきます)



●学者になりたかった青年は、本屋で「出版」の面白さに目覚めた
――まずは簡単な自己紹介をお願いします。
高島利行。40歳。北海道生まれ。学歴ですが、大学を2つ中退しています。家族は、妻と子がいます。

――家族構成と、ご家族の方のお仕事は?
両親は北海道にいます。札幌ですし屋をやっていたんですが、中学生のときに潰れてしまって。二人とも特に何ができるってわけでもないですからね。すし屋が潰れたあとは職を転々としてましたけど、いまはいい年なんで年金暮らしですね。

――高島さんが、小さいころになりたかった職業ってありますか?
小さいころになりたかったのは学者ですね。最初の大学に行ったのも学者になるつもりで行ったんです。家は貧乏だったんですけど、勉強だけはできたんですよ。ものすごくってわけじゃないけど、そこそこ。ただ、自分は理系だったんですけど数学がダメで、学者になるには数学の能力が足りなかったのかなという気がしますね。

――そもそも、大学で専攻していたのは数学なんですか?
いや、数学ではなくて、専攻は地学なんですよ。もともと物理と地学をずっと勉強してて。ただ、物理ってけっきょく数学なんですよね(笑)。で、地学を選んだんですが、それでも理系である程度ちゃんとやろうと思ったら、数学って必須なんです。ま、思ったほど数学はできなかったなというのが正直なところですね。

――当時、大学はどちらに?
東北大の理学部です。大学時代は寮に入ってたんですね。ところが、東北大って中核派とかそのての過激派の学生がいる大学で、寮にも山ほどいるんですよ。色々もめたりとかして、ちょっと嫌気がさして。で、一人暮らししようかなと思って、親に仕送りをしてもらいつつ、バイトでなんとかやりくりしてたんですけど、そうこうしてるうちに、なんか急に東京に行きたくなって。

――それで、東北大をやめて東京の大学に?
東京の大学に入学しようとしたのは、東北大をやめる理由が必要だったからです。そもそも、北海道出身なんで、やっぱり北大に入れって言われるわけですよ。それをわざわざ北大に入らずにですね、一浪してまで東北大に行ったんで。自分としても、東京に出るにあたってはそれなりの理由が必要で、別の大学に入ったとなると、一応理由になるだろうと。

――東京ではどの大学に入学したんですか?
おかしな話なんですけど、芸大、東京藝術大学に入りまして。絵が描けるわけもなく、音楽もできるわけもないんですが、美術学部の中に、芸術学科っていう絵が描けなくても入れる学科があるんですよ。芸術学科は、基本的には西洋美術史とか東洋美術史とか日本美術史っていう美術史関係、あとは美学とか、評論のほうですね。

――しかし、なぜ芸大に?
その当時付き合っていた彼女が、美大生だったんですね。それで、東京でどこの大学受けたら入れるかなって話になって。お金がかかるんで、国立じゃないとダメだけど、さすがに東大は無理だろうって話で。そしたらその彼女がですね、「芸大だったら入れんじゃないの」って言い出して、そんなもんかなって思って受けてみたんですよ。そしたら、運がよかったんでしょうかね、受かってしまって。

――芸大ってどんなところなんですか?
入ってみたら、芸大ってものすごく面白かったんですよ。絵を描いているやつとも知り合ったし、デザインとか音楽とか、しかも結構、その後第一線でやってるようなのと。最近でこそ疎遠ですけど、学生のころはそういうやつと接しているのがすごく面白くて。勉強は真面目にやってなかったんですけど、オペラの舞台の大道具とか照明とか手伝ったりして、それがまたすごく面白かったですね。

――学生時代にしたアルバイトについてお聞きしたいのですが。
東北大のころは家庭教師とかやってましたね、仙台じゃ、東北大といえば家庭教師のくちはいくらでもあるんで。わりもいいですからね。科目は数学と理科と英語かな。英語なんか全然できなかったんですけどね、それでも一応教えてましたね(笑)
東京に出てからは、芸大に入る前に、吉祥寺の弘栄堂書店でアルバイトをしていたんですよ。もう二十年以上前ですね。

――書店のアルバイト時代のエピソードを教えてください。
最初は雑誌の入れ替え、付録組みとかやってたんです。そうすると雑誌の発売日一覧をわたされて、これを全部覚えてこいといわれるわけですね。一生懸命覚えて、それを見ながら棚から抜き出して返品したりとか。
一時は、国文学の棚なんかを担当してました。ちょうど、『サラダ記念日』が大ベストセラーになったときで、飛ぶように売れるんですよ。けれど、その当時の担当の社員の方が、自分はこんな本は売りたくありませんといって、仕入れないんですよ、全然。だから、こっそり頼んで、バレないようにして売ってたんですけど(笑)。
それで本を売るのって面白いなってすごい思って。お客さんも『サラダ日記』くださいとか、適当なタイトルいってくる人が山ほど来て、そういうのもいちいち全部面白くて。だから、本屋のアルバイトだったらずっとやってもいいなって。ただ、芸大に入って引っ越しちゃったんで、そこのバイトはやめちゃったんですけど。

――芸大をやめた、直接のきっかけを教えていただけますか?
また本屋でバイトを始めたんですよ。三省堂書店の神田本店で。東京来て四年目のころかな。日中、週に六日もアルバイトしてたんですね。だから、そのぐらいの時点から学校にはほとんど行かなくなっちゃたんですけど。本屋の仕事が性に合ったんでしょうねぇ。
当時は、アルバイトも棚の担当をもって注文を書いてたんですよ。自分は新書の棚で、「高島君、理系だったんなら、(講談社の)ブルーバックスね」といわれまして。ブルーバックスの棚の注文、メンテナンスを。その時期に、『ゲーデル・不完全性定理』っていう本が出てですね、それがものすごく売れて。その当時ゲーデルが少し流行ってて、類書が出てたせいもあって。担当の自分としては、どんどん仕入れてどんどん売るわけですよね。これがまたすごく面白くて。売れれば売れるほど、もっと一生懸命売ろうと思って、いい場所を確保したりして。
そうすると、売れるもんだから他の仕事も任されるし、ほかにも色々担当ができたりして、出版社の営業の方が来たりとか、取次の方が来て色々話をしたりとか、少しずつ業界のこともわかってきて。本が売れると面白いし、本について基本的なことを覚えていくうちに、「本屋だったら一生働けるな、一生働いても全然飽きないな」と思うようになったんです。そしたら学校行ってる必然性もほとんど感じなくなっちゃって、またやめてしまって。そのまま神田の三省堂書店でしばらく働いてました。

――そのまま正社員になろうとは考えなかったんですか?
正社員になろうかなとも思ってたんですけど、そのころたまたま、札幌で働いていた友達から、会社興すんで一緒にやらないかって連絡をもらったんですね。色々相談して、できるかなって見通しもついたんで、三省堂のアルバイトもやめて、札幌に戻ったんです。当時流行ってたんですけど、CD-ROMのマルチメディアタイトルをつくる会社を興そうって話で。その友達が高木敏光ってやつなんですけど、高木が働いていたデータクラフトっていう会社に、自分もとりあえずアルバイトで入って、会社を始める準備をしようと。
仕事は、コンピュータでアニメーションをつくれるようなソフトで作品をつくることでした。実際、高木は地元のテレビ局にちょっとしたアニメーションを納品したりしてたんですよ。自分もそれを手伝っていたら、会社の社長にもよくしていただいて、仕事もずいぶん教えてもらって、半年くらいああだこうだってやってたんですけれど。ところが、会社を興す準備のほうはいつまでたっても進まないわけですよね。

――それは、あせりますよね。
準備が進まないだけだったらまだよかったんですけど、事務所がわりにマンションを借りてしまってですね。お金だけどんどん出ていくんですよ、もう借金がどんどんふくらんで。事業資金借りているわけじゃないから、ものすごくふくらむってことではないんですけど、やっぱり大丈夫なのかなって。
結局、半年ぐらいたって高木と大喧嘩してですね。あばら骨にヒビが入るような大喧嘩(笑)。で、もう俺はやめると。あばら骨が痛いまま、カバン一つで東京に戻って。その日のうちにすぐに三省堂に電話して、当時よくしてくれたフロア長に「戻ってきたんですが、バイトのくちありませんか?」と。そしたら、数日してアルバイトで雇っていただいて。かなり無理やりですけど。

●どんな仕事もこなしたIDG時代、コストカッターになった語研時代
――三省堂に戻ってからはどんな仕事を?
今度は担当が替わって、全集とか国文学とかSF文学とかの棚のお手伝いと、後は客注担当をやってました。ところが、半年ぐらいたったら、そのよくしてくれたフロア長から、「お前、出版社で働く気はないか?」と。出版社の営業の仕事なんだけどさといわれて、出版社の営業だったら自分も興味あるし、仕事としてもなんとかできるんじゃないか、なんて、今になって考えるとそんなことよくいってたものだと思いますけど(笑)。じゃあ先方に会ってみるかと。

――それが、語研さんですか?
いえ、IDGコミュニケーションズ(以下、IDG)って会社です。今はIDGジャパンに社名が変わりましたけど。コンピュータ関係の雑誌中心の会社で、「マックワールド」とか「ウィンドウズワールド」という雑誌を出していて。「いつから来れる?」っていう話になって、すぐに働き出しました。ちなみに、当時のIDGの社長が平松庚三さんといって、今のライブドアの社長です。

――IDGでは、どんなお仕事をされていたんですか?
いちおう書店営業なんですが、入社したとき、実質的には、営業って上司と自分しかいなくてですね。ちょうどIDGが取次の「口座」を取得したばかりだったんですよ。それまで、ほかの会社に雑誌の発売をお願いしてて。
でも、口座は取得したんですけど、会社の人間はそれまでそういうところにまったく接点がないですから、書店から電話がかって来ても注文を受けられる人がいないんですよ(笑)。だから入社して最初にしたことといえば、書店さんからの電話注文対応マニュアルをつくったりしましたね。電話ではこれを聞いてこれをメモしてくださいとか、そういうマニュアルを。
IDGという会社自体はその前から十数年やってますけど、出版社としてはやっぱり口座取得して立ち上がったばっかりなんで、伝票とかも手書きなんですね。そうすると委託の納品伝票なんか誰も書けないんで、「あれ、なんかちょっと思っていたのと違うな……」と思いつつも、本屋で働いていた経験が非常に生かせてですね、入ったときからフル稼働でしたね。

――いまのお話に出てきた取次の「口座」について、簡単に説明していただけますか?
取次の「口座」をもつっていうのは、トーハンとか日販っていう、本の流通・販売業者さんと直接取引をするって意味なんですよ。そんなのすぐできそうな感じがするんですけど、ところが取次さんのほうも、こちらがある程度の基準を満たしていないとダメだとか、新規参入に厳しいんですよね。見えない壁があってですね、それを越えるのがけっこう大変だし、その壁を越えたところでまだ問題もある。
よくいわれてる話ですけど、取次とくらべると、新しく取引を始めた出版社なんて、ほんとに弱小もいいところですから、なかなか思い通りにはならないんですよ。取引の条件も決してよくはないですし。直接取引するって壁を越えても、まだいろんな壁があってなかなか思うようにはできないってのが現状です。まあ、それがいいとか悪いとかいうつもりはなくて、現実としてそういうものだということです。むこうも商売ですからね、あたりまえですけど、手間ばかりかかって儲からないようなところと取引しても、という気持ちは当然あるとは思いますよ。

――難しいところですね。ところで、IDGでは、雑誌のお仕事ばかりされていたんですか?
すごくよかったと思うのが、自分が入る前までIDGは雑誌しか出してなかったんですけど、入社した後は書籍も出そうと。じゃあ、今度は書籍の口座を取得しなきゃいけないということで、書籍の口座の取得にも最初からつきあってるんですね。また、月刊誌などの定期雑誌だけじゃなくてムックも出したいからムックのコードを取得しようとか。ムック(MOOK)というのは「Magazine」+「Book」っていう和製英語というか造語なんですけど、雑誌の扱いでありながら不定期に刊行できたりISBNをつけることができたりと、書籍に近い扱いができる、出版社にとっては非常に便利な形態なんです。そういう仕事も上司と一緒にやって。
ただ、書籍が出たから書店を回って色々やりましょうという話になったんですけど、当時隔月刊誌・月刊誌合わせて雑誌を7誌ぐらい出してたこともあって、もう雑誌の「進行」だけで手一杯なんですよ。同時に、雑誌の売れ行き調査も毎週やって。雑誌の売れ行き調査に行ってお店まわったときに、ついでに書籍の営業してくるぐらいの、そんな感じで仕事がどんどん進んでいましたね。

――いまのお話にあった雑誌の「進行」というのは?
書籍の場合だと、(本の)見本を取次へ中二日前にもっていくじゃないですか。当然その前に事前の注文をとってそれを集約したりだとか、色々やらなければいけないことがありますけど。で、雑誌の場合はだいたい三週間くらい前に「部決(部数決定)」に行くんです。このとき、返品率が高めの雑誌だと、一発で決らないことを覚悟で、もう少し前から何回か通ったり、その場で何時間も粘ったりとかするんですよね。
「部決」は出版社として出したい数と、取次が取ってくれる部数のせめぎ合いです。雑誌の場合は販売収入だけじゃなくて広告媒体としての意味合いが大きいですから、媒体として成立するためには一定の露出が必要なんですね。だから返品率がちょっとくらい高くたって、いっぱい並んでないとダメなので、何時間でも粘るんですよ、その部数じゃないと帰れませんって話で。

――なるほど。ちなみに、IDGではそれ以外のお仕事もあったんですか?
そのうち、取次の業務をしっかりやっていくのにあたって業務システムを導入しようという話が出て。業務のシステムは誰が担当してやるんだといったら、じゃあ高島やれと。だから、業務システムの導入から立ち上げもやったんです。最初に導入に関わったシステムは、単純に納品伝票、返品伝票をぜんぶパソコンに入力して、取次向けの請求書を出したりする、そういうものですね。
実際の出荷業務ってのは倉庫にお願いしてるんですけど、倉庫からもらった伝票をぜんぶ打ち直して請求書を発行したりするわけですよ。そのシステムを導入した当時も人がほかにほとんどいなかったので、けっきょく自分で伝票を打ったりして。ようやく人が増えてですね、少し時間ができるようになってきたら、今度は取次の請求業務だけじゃなくて、雑誌の定期購読の管理業務とかも含めて一つのシステムを構築して、一本化できないかと。それも開発から付き合って、新たに別のシステムを導入してですね。けっこう時間がかかったんですけど、定期購読の管理、取次の請求業務、それから直販とかもぜんぶ管理できるようになって。
だから、IDGで働いていたときの前半はすごく基本的な実務だったり、雑誌や書籍の立ち上げにかかわって、後半はそういうシステム関係と広告媒体としての雑誌の認識だったり定期購読の重要性を感じたり、なかなか得がたい経験がありましたね。

――そんなIDGを、なぜ辞めてしまったんですか?
辞めた理由の一つは(社長の)平松さんが辞めたからですね。平松さんが辞めて会社の体制が少し替わりました。そのときに、ちょっと違うかなって感じて。それと、もともと入れ替わりの激しい会社だったんですけど、上(の人間)が入れ替わるんですよ、下じゃなくて。上が入れ替わっちゃうと会社ってガラッと変わっちゃうんで、その当時の直属の上司と自分は非常にいづらくなってですね、もういいやと。33か34のころの話です。

――次の行き先は決まっていたんですか?
一応次は決まってました。そこは出版社ではなくて全然別の会社で。ただ、一か月もいないでやめました。仕事での知り合いの社長が来てくれって話だったんですけど、入社したら聞いてた話と全然違って。その会社を辞めたとき、人のコネでいやな目にあったんで、次は普通にさがすかと職安に行ってたら、今の会社(語研)を見つけたんです。自分自身は語学には苦労したけど、出版社としてこれからは手堅いよなと思って。
で、すぐに本屋に行って、そこの出版社の本がどうなのかざっと見て。つくりはもちろん、どれくらいの規模の本屋にどれくらい並んでいるか見たうえで、これなら大丈夫そうだなと。で、面接に行ったその日のうちに、電話がかかってきて、いつからこれますか。じゃあ、何日から行けますと話して、6月ですかね、働き始めたのは。

――当時の語研って、実際どんな状態だったんでしょう?
「足で稼ぐ」営業スタイルの会社でしたね。そもそも語学の本って、足で稼ぐとけっこう注文がとれるんですよ。けれど、どこかの段階からそれがうまく回らなくなりはじめて、そのうち納品と実売のバランスが崩れたりする。そこで売り上げが悪くなってくると、もっと頑張って営業しようってさらに注文をとって、それが限界になると急にモノが入らなくなりだすんですよ。そうすると、そのあと返品がすごいかえってきだして。自分が入ったときの語研はまさしくそういう状態で、今まで足で稼いでたのが、足で稼げなくなって、なおかつ返品がものすごい急激に増えてきたと。

――そんな会社で、高島さんはどんなことをされたんですか?
自分が入って最初に何やったかというと、社内の在庫表とかもなかったんで、まずはそういうのをつくるようにしたり。あと、「パブライン」(書店・紀伊國屋チェーンの実売データが見られるシステム。後述)を導入しようかって面接のときにいわれてたんで、すぐパブラインを導入したりとか、ほかのポスシステムを導入したりとか。
で、6月に入社して10月にポスデータ導入して、それぐらいからお店の実売のデータがあがってくるわけですよ。すごくマメな会社で営業の注文の記録とか日報とか充実してたんですけど、実売のデータはそれと明らかに違うんですよね。営業がとってきてる注文と、実際の売れ方が。
その時点でだいたい気づいてはいたんですけど、一人ひとり話を聞いたら、いっぱい注文をとって本を並べて、そのうち注文がとれなくなるんで、今並べてるものをどんどん返してもらって、新刊書籍にどんどん入れ替えてるとかね。それじゃ(本が売れないで回転してるだけだから)まずいだろうと。だから、いろんなことを見直してやり方も変えて。
それまでは「とにかくいっぱい注文とってこい」だったのが、そうじゃなくて、「しっかり売ろうと、売れるぶんの注文をとろう」と。

――注文の見直しをすることで、どんなところに影響が出たんですか?
そもそも無理な注文をとっていると、コストもすごいかかるわけですよ、物流の。だからデータをとって、「もういいよ、そんなに注文とんなくても。これくらい売れてるんだから」といって。あとは本の売れ行きのランクを全部つけたんですね。そうすると、このお店はたぶんAランクだけでいいよとか、Bランクだけでいいよとか、事細かに説明して。
ただ、そうすると一時的に注文が激減するんですよ。最終的には実売に近いような注文のとりかただから、どこかの段階で安定はするんですが。売り上げは急激に減るわけですから、だから、よく会社にもやらせてもらえたなと思いますけど。でも、結果的には流通コストが下がっていきました。
あと、それまでのようにどんどん注文とってると、在庫がなくなったから増刷しましょうってなるじゃないですか。ところがしばらく経ったら返品がいっぱいきますから、増刷したぶんより在庫のほうが多かったりするわけですよ。(注文をコントロールしてからは)そういうロスもどんどんなくなっていくわけですよ。そうなると在庫コストもどんどん落ちてくる、無駄な分をつくらなくなるから、そのコストもなくなる。
IDGのときからパブラインは見てたんですけど、そのときにできなかったこともいっぱいあったので、語研に入ってそういうポスデータをとりはじめてから、過去の反省もふくめて色々やりましたね。

――まるで「コスト・カッター」ですね。では、最近の高島さんはどんな仕事をされているんでしょう?
ここしばらくはですね、自分がどんどん何も仕事をしなくなるように心がけるっていうか、そういう方向にもっていってるんですね。自分以外の人間にどんどん仕事をふっていって、ぜんぶやってもらえるようにするって感じです。ま、そこにいたる前段階では、色々会社の事情もあって、請求業務とかもやってましたけど。
後、いちおう去年の2月に役員になってからは、どっちかというと全体的な数字の話がふえましたね。だから、書店に直接行ったりとか、今はほとんどしてないんです。本当はもうちょっと行きたいなとは思うんですけどね。
営業ってジレンマがあって、経験積んだほうがほんとはいろんなことができるんですけど、経験積みすぎちゃうと、売り場の担当の方って若い人が多いから、話が合わなくなっちゃうんですよ(笑)。けっきょく店長と会ったりだとかになっちゃうでしょう。店長じゃなくてほんとは売り場の人と話しなきゃいけないんですけど。

―2―に続きます
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by aru-henshusha | 2006-03-26 23:59 | 仕事の話をしよう。