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by aru-henshusha

<日曜日だけど、仕事の話をしよう。> 第3回 成田青央(ビジネス作家)―1―

<日曜日だけど、仕事の話をしよう。>第3回のゲストは、ビジネス作家の成田青央さん(詳しいプロフィールはこちらを参照)。120以上の職歴がある成田さんのものの見方、仕事の仕方は、僕がこれまで出会ってきた方の中でもとりわけ自由で(ときに厳しくて)、とても興味深いものでした。数々のアルバイトから映画会社、経営コンサルティング、作家と多岐に渡った仕事の話に注目です!
*長文になりすぎたので、1、2に分けます。

(この記事は1週間、トップページにおきます)



●どんなバイトにも手を出した学生時代
――まずは簡単な自己紹介をお願いします。
成田青央(あお)。年齢は36歳。北海道出身です。

――お名前はペンネームですか?
名前はいま二つ目のペンネームです。といっても、これは書籍に関してですけど。書籍がいま二つ目のペンネームで、雑誌はバラバラですね。違う名前でやってることも多いので、自分でも把握できないところがけっこうあります。書き手には名前にこだわる人と、こだわらない人がいると思うんですけど、自分はこだわらないで書くほうなので、ペンネームで遊んだりしてますね。

――このペンネームの由来は?
これはじつは、友達の占い師につけてもらったんですよ。細かく見てもらって。まずは、出版・マスコミ業界で成功する名前、そしてなるべく中性的な名前というのを条件で。僕の場合、アロマの本も書けば、生命保険の本も書く。オールジャンルで書くタイプなので、男性が書いているってはっきりわかるよりは、なるべくわからないほうがいいかなって。

――家族構成と、ご家族の方のお仕事は?
僕は一人っ子です。両親と母方のおばあちゃんが、北海道で3人で暮らしています。僕は大学に入るときに実家から出て行ったきりそのまま戻ってません。4年ぐらい帰ってないのかな。まあ、父がたまに出張でこっちに来るので会いますけど。母とかおばあちゃんにはまったく会ってないですね。
母は専業主婦で、父は外資系の自動車ディーラーです。もう40年くらいクルマ系の会社にいます。父はけっこう転勤が頻繁にありました。でも、単身赴任が多かったです。僕が俗に言う受験校にいたので、それを優先したみたいで。ただ、僕の性格もあると思いますけどね。僕、小・中といじめられっ子だったので。そのつど転校させると、人見知りするので大変じゃないかって。

――成田さんが、小さいころになりたかった職業ってありますか?
子供時代はとくになかったですね。珍しいタイプ。文集とかにも何も書いていないし、じっさい何も浮かばないんです。というのも、さっき言ったようにいじめられていたので、もう目先のことしかないんですよ。早くこの学校から卒業したいとか、いじめがなくなるところに行きたいとか。もうそんなことばっかり。何になりたいとかまったくなかったですね。とにかく学校休まないで、いじめに耐えてやってくっていうだけで。

――それでは、何かになりたいという思いは、いつごろから出てきたんですか?
いちおう、大学くらいからすこし出てきましたね。なりたい職業が二つあって。大学で福祉関係を専攻していたので、福祉系の施設で働きたいっていうのと、あと映画が小学校から好きなので、映画会社に行きたかった。この二つのどちらかを選ぼうと思ってましたね、就職は。

――そもそもどうして福祉に興味をもったんですか?
やっぱり自分がいじめられてたっていうのがあるし、小・中と養護学校が一緒になっている学校で、よくありますね、国立とかの学校だと。いじめっ子たちは、そういう弱い子をみんなで馬鹿にしてたんですけど、僕はすごい仲良くしてて。あと動物ですよね。動物と遊んでいるときとか、すごく気持ちが楽になる。そういった体験から福祉に興味をもったんじゃないかな。で、大学時代から福祉関係のボランティアをずっとやってまして、それは障害をもっている方のボランティアと、あと動物関係の虐待の保護とか、そういうボランティアを。そこでの経験がのちの『ペット虐待列島』を書くきっかけにもなったと思います。

――あと、映画が好きだと言われていましたが。
小学校のときから父に映画館に連れて行ってもらってました。それで映画の世界にはまったと思います。いじめられていた日常を唯一忘れられる時間だったので。中学校からは数少ない友達や一人で行くようになって。

――どんな映画が好きだったんですか?
基本的には「自分ができないことをしてる人」の映画をよく見ましたね。できないっていうのは、たとえばダンスとか。スポーツで成功している人とか。あとは、とにかく元気な映画。全部自分との比較で見てましたから。自分にないものをもってたり、自分ができないことをやってる人を見て元気になる。
具体的には、僕の時代だと「フットルース」とかね。中学のときの映画ですけど、一日中見てましたね。映画館に朝から行って。フットルースは好きな人は好きだと思うんですけど。俗に言う80年代の、音楽との融合のイメージがある映画で、けっこう元気も出る。あと、アメリカの学校生活とか、いい仲間とか、ダンスパーティーとか、日本にないような、自分が体験できないようなことをやってるのを見てると楽しくなる。うらやましいな、自分も何かやってみたいなってなってくるんですよ、気持ちが。僕、ずっと学校ではいじめられてたので、映画館ではなるべく楽しい映画を見たいなと。

――そんな映画好きな中学時代を経て、高校・大学と進まれるんですよね?
そうですね。まず、高校は三流高を選んだんです。小・中と受験校だったので、(僕をいじめてた)そこの生徒が行かないところっていう選択肢で選んだので。就職がだいたい7割ぐらい、大学進学が3割ぐらい。そういうレベルです。

――でも、大学はかなり難関校に進まれたようですが?
そうですね、一応立命館に行っていますけど。うちの高校では当然初ですね。だから、現役で奇跡って言われてますけど、うちの高校では(笑)。大学行くだけでもとんでもなく優秀、という学校でしたからね。誰も勉強しない学校なので、その中で勉強しつづけ
るのが大変で。大学はいちおう学部で選んで、リハビリ系の科目がえらべる科に進みました。福祉系とも迷ったんですけどね。


――学生時代のアルバイトについて教えていただけますか?
初バイトは高校1年のときで皿洗いです、レストランの。ホテルに入ってるレストランの厨房の皿洗い。これは18歳ということで面接受けたんですけど。16ではだめなので。いちおう専門学校生徒とかいって受け入れてもらって。
高校時代は、なかなかバイトに入れないんですよね。採用してくれないので。だから、高校生って言って受けたことはないですね。郵便局の年末年始の年賀状は学校推薦でやれるので、毎年やってましたけど。それ以外はカレー屋とか餃子屋とか。とにかく裏方っぽいのしかないですね。調理するとか皿洗いするとか。だいたいホールの中でやる仕事だけで。

――接客のバイトとかはされなかったんですか?
接客も多少はやってますけど、やっぱり苦手ですよね。もともと人としゃべるっていうのはあまり得意ではないし、あと愛想がないので採用されにくいってのもあるし(笑。あとは性格の問題でしょうね。裏方の人には僕みたいタイプもいっぱいいるし。人が苦手な人とか、なかなか社会では生きていけなさそうな人たち。外人の方も多いですしね。明るい方がそんなにいないので楽だったなぁ。

――大学に入ってからは、どんなバイトを?
大学に入ってからは職種が広くなりましたね。ふつうのバイトはほとんどしてます。家庭教師もよくやってたし、いっぽうで土方もやってたし。

――なぜそんな肉体労働を?
やっぱり、自分が将来、社会人としてうまくやっていけないんじゃないかと思っていたんですよ、人間関係もヘタなので。一般企業入っても多分ダメだろうなぁ、というので探してたんですよ。仕事がなくなってもすぐ見つかるような業界に入れるようなものを。土方やってるときも、そのうちなるべく資格を取ろうと。大型特殊とか、フォークリフトとか。実際全部もってますから、ブルーカラーでやれる資格は全部もってます。シャベルもできるし、除雪車とか大きいのは全部運転できるし。あとボイラーですね。ボイラーみたいに、一人でやれる仕事が、本当にいまでも大好きです(笑。

――家庭教師のようなバイトと肉体労働、よく両立できましたね?
ふつうは多分できないでしょうね。なかなか人の気持ちまでわからないですけど、僕はけっこうバランス的にはいいタイプかもしれませんね。そういった両立をあまり矛盾に思わないタイプなので。僕の場合は何個か一緒にやってると、安定する。
やっぱり、一つの仕事だけだとつまんなくなるでしょう。一つの仕事だけずっとやってキャリアを積むって考え方もありますけど、それよりは精神的に安定して、すべて長くやりたい、楽しくやりたいっていうのがある。楽しくなくなってきたら、また違うバイトするとか。いまでもおなじですけど。今でも嫌になったら運送やったりとか、ボイラーでも何でも、バイトに入ったりして。また復活させてって、やってきたので。
家庭教師も家庭教師で、もちろん面白くて。面白いっていうか楽すぎるっていうか。大学時代、貧乏だったんですけど、メシは食えるし、すごい豪華ないい出前とってくれるしね(笑。

――どんなバイトするときも、けっこう計算されてたみたいですね?
そうですね、計算するというか、先を考えちゃうというか。このバイトをやったらどうなるか? お金に困ってやるとかじゃなくて、せっかくやるんだったら、何か将来使えるようにしておきたい。だから、仕事を覚えないうちにやめるとかは好きじゃないし、入るんだったらそれに関連する資格とりたいとか、とってから辞めるとか、いつでもまたやれるようにっていうことを考えていましたね。

――学生時代だけでも、けっこうな数のバイトをやられてたんじゃないですか?
もう、いまの半分ぐらいはいってるんじゃないですかね。50ぐらいは、多分いっていると思う。僕、30種類目ぐらいから書き出してるんですよ。自分がやった仕事を、紙に。「このまま職種がふえ続ければ絶対忘れちゃう、勿体無い」って(笑。それがいまでは120ぐらいになるんですけど、学生時代だけでだいぶやりましたね。

●映画会社もコンサルも、けっきょく自分には合わなかった
――就職活動について教えてください。
僕の年はバブルの最後の年って言われたんですよ。えっと、平成4年かな? まだ扱いよくて。いろんな特典があったころですね、会社から。本当にもうお金もいっぱいくれたしね、行くだけで。とにかく交通費っていう名目ですごい額。一回で5000円とかふつうだし、お土産ついたりするし、商品券とか。
とにかく僕らの時代は、受ければ受けるほどお金になるので。説明会行くだけでもいいんですよ。だから本当、みんなすごいですよ。何十万とお金入ってきますから。みんな受け放題ですよ。だからジャンルなんか決めてる人いなくて。僕の入ってた大学も、来てくれっていうところ多くて。
ただ、僕自身はあんまり受けてないんですよ。説明会も行ってないし。3社ぐらいかな、受けたの自体が。みんなの10分の1ぐらいの数ですよ、何に自信もってたのか知らないですけど(笑。本当に行きたいとこしか受けてないので。だから福祉一つと、映画会社一つと、あと財団法人一つ受けてますね。

――福祉というのは、しっかりした福祉系の企業ですか?
いえ、福祉施設のレベルですね。まあ大手もあるにはあるんですけど、あの時代であっても採用が厳しい。競争率的にはかなり激しい。あと、僕は純粋な福祉系学科を卒業していないので、いろいろ入りにくいってのもあるし。ボランティア暦とか、実習暦とか関係ない。やっぱり、「社会福祉学部」っていうところが、人事の人間は優先ですから。いっぽうで、福祉施設のレベルに関しては、そんなに問題なく入れますけど。

――財団法人というのは?
財団は経済調査会ってところがあるんですよ、経済統計を扱うとこで。経済関係のリサーチャーみたいな採用ですね。僕はけっこう資料調べるのが好きだっていうのを学生時代に発見したので。それでたまたま求人票見て受けたんですけど、英語がひどい点数だったんで結構幹部が迷って、最終面接、役員面接の段階で言われたんですけど。英語に関しては。結構必要ですよね、海外の資料多いので。この英語で大丈夫かってさんざん言われて。「もちろん勉強しますけど、そのレベルに行くかどうかはわかりません」って正直に言いましたけど(笑。でも、内定もらったんですよ。たしか100点満点で3、40点ぐらいだったと思うんですけどね、点数が(笑。ただほかの科目が全部よかったようなので、可能性もあるんじゃないかと思ったのかもしれません、採用側が。

――けっきょく、三つとも内定はもらったんですか?
はい、内定はもらってます。そういう受け方をするタイプなんですよね、僕は。的を勘で絞って、多分受かりそうだなと思うところを、自分の能力とか、業界で選んじゃう。僕はけっきょく映画会社の松竹に行ったんですけど、松竹選んだのも、東宝とか東映とか、あとフォックスとか色々調べてどこならとってくれるか計算したんですよね。当時の松竹は奥山さんがまだワンマンでやってたころで、そういう意味では入りやすかったかな。個性的な人間でも入れたのかなって。まあ、社員みんな個性的ですけどね。

――松竹ではどんな仕事をされてたんですか?
そもそも、映画会社って少ないんですよね、採用が。そのなかでも本社採用はほとんどいない。成績がトップのほうの人は行きますけど。ほかのメンバーはだいたい地方の支社にとばされて。松竹はあのころ地元に飛ばすっていう考えがあったみたいで、僕は札幌支社に行かされまして。えーと、ほとんど現場担当、つまり興業担当です。ま、映画館ですよ。映画館を一人で何館も管理するんです、僕たちが。その運営を全部管理する。経理から営業から宣伝からバイトの管理も。支配人もいますけど、僕たちがいちおう管理しながら、支配人とうまく折り合いをつけながらっていう。
興行の目標としては、最低一館5000万の売り上げとかね。一つの興行で5000万。できれば1億。このへんを狙うようにってやらされて、けっこう辛いところです。一億っていうのは一館の興行成績としたら相当高い。地方だから、大ヒットって言われるような映画が回ってこないと難しいんです。ふつうの映画が来たらまず行かない。
僕らのころに「ボディーガード」ってありましたよね。「ボディーガード」だけでしたよ、僕がいたころで、1億行ったのが。「ボディーガード」はほっといても入ったので1億軽く行きましたけど、一館で。ほかのはけっこう難しい。5000万も難しいです。

――仕事はきつかったですか?
そうですね、地方の劇場はやっぱりけっこうきついですよね。本社のしばりがあるので。(この映画を)かけろって言ったらかけろというのが多いんです。いちおうラインナップから希望は出すんですけど、そんなに聞いてはくれない。でも、都会の札幌なので、担当が。けっこう大作は来ましたね。東宝系の日劇があるので、ある程度対抗できるものをというのがありますから。ただ、配給の問題もありますけど、本当の話題作は東宝のほうでかかることが多くて、だから、なかなか厳しいのが多かったですね。いまはもう忘れちゃってるような映画ばかりです。自分が担当してた映画なのに。営業が辛くて。

――映画会社の営業というのは?
営業っていうのは、大手企業に行くんですよ。そこで、1000万円単位で前売りを売るってのが基本。とにかく大量に前売りを買ってくれる会社に営業行って、チケットを買ってもらう。社員用に、福利厚生で。そこにノルマがあるのでマイナーな映画が来たものなら、その説明から入ったりして。自衛隊なんかにも営業に行きましたね。

――そうやって「営業」された前売り券がチケット屋に流れるんですか?
そうですね。ただ、けっこう社員からも流れますけどね、チケット屋には。だって、営業担当にはプレゼント用のチケットが1000枚単位でもらえるんですよ。これは、映画のポスター貼ってくれる店に配る用のチケットで、流している人もいましたけど。まあ、やっちゃいけないとはいえ、べつにみんなふつうのことだったので。給料が安いからいいだろうみたいな。松竹なんてとくに安かったので。

――きついことが多かったみたいですけど、逆にこのお仕事でよかったことは?
映画のフリーパスがもらえるんです。このパスはどこの配給会社も関係なくて、映画会社の人は全員同じなんですよ。どこの映画でも見れるので、とにかく時間があったら映画行く。試写会に行く。映画好きの人だったらわかるように、どんな映画でも先に見られる「夢のパスポート」。そのパスポートさえ手に入れば一生困らない、映画死ぬほど見られるっていう。そうやって、休みの日にも映画三本見たりしながら、映画漬けですよね、一年中。営業でも映画のことを知っていないと当然無理だし、色々聞かれるので見てないとまずいっていうのもあるし。それでもってた部分もありますね。

――ところで、松竹には長くはいなかったんですよね?
3年ぐらいしかいないと思いますね。松竹には。25ぐらいまでいました。それから次のちゃんとした職につくのが28歳ぐらいなので、3年間あるんですよ、間が。その間は正社員になっていないんです。その間に職歴を120まで伸ばして。すごいいっぱい仕事をしているんです。
ここでやっぱり迷ってたんですよねぇ。映画会社も、けっきょく人間関係で辞めてるんですよ。とにかく人と付き合えないってことを痛感して。ふつうの会社員が向いていないんだったら、どうしたらいいのか。なるべく一生やれる仕事を探したいというのもあって、完全に方向転換しましたよね。とにかく職種を経験して、そして30までに選びたい。なんか向いている仕事をわかりたいと。

――その3年間で、成田さんに向いていた仕事はありましたか?
向いてるのは、とにかく仕事仲間が少ない仕事ですよね。というか、一人でできるかどうかというのが一番重要で、僕の中のナンバーワンは絶対ボイラー技師ですよ。一番向いてたのは。
ボイラー技師って何でもできるんですよ。物書きは特にそう。仕事中に、文章ずっと書いていられる。だって、地下室にずっとこもっているだけですから。やることと言えば、計器のチェックだけなので。でも、そんな安全でもないですね。計器チェックもろくにできなかったら、破裂したりしますから、危ないんです。ただ、やることきちんとやってれば、何もすることないですけど。計器チェックを一時間に一回やるだけですから。

――どこのボイラー室の仕事をされていたんですか?
僕はけっこう病院のボイラー室が多かったです。病院って面白いことに、ボイラー技師が警備をかねていることも多くて。ボイラー室にいなくていいから、計器チェックだけ行って、あとは警備室にいて、病院回って、電気のチェックとかほかのチェックして、雑用もして……電気の取り替えとかテレビの修理とか全部やらされて。だから、ボイラーで入っても、ほかのいろんな仕事の能力がアップしたり(笑。
考え方ですよね。嫌がる人は嫌がるけど僕は面白いかな、何でもできたら面白いし。

――ボイラー以外にも向いてる仕事はありましたか?
あとは清掃も向いてますね。あの仕事は、格好つける人はまずできないですけど。トイレ掃除の問題があって。最近は求人情報にもトイレ掃除のこと明記するぐらいですからね、清掃って。それぐらいトイレ掃除に関しては、本当に悲惨ですから。
とにかく「外す」人が多いし、流さない人も多い。男のほうの便所なんて大変なことになってますから。本当にプライドあったらできない。あの臭いをかぐ状況の中でピカピカにできるかどうか。ピカピカにしてもすぐ入ってきますから、人が(笑。それができるかどうかですね。

――どんな建物の清掃をしていたんですか?
そうですね。僕がやってたのは、区役所、保健所あとはテナントビルですね。まあ、傾向的には行政がらみの施設のほうがラクです。そんなに汚くはしないので。
逆に、ファッションビルなどのテナントビルはけっこうきつくて。あれは「ムシ」がらみもありますしね。すごいんですよ、ゴキ(ブリ)とかが。お客さんはいっぱいいるんですけど、発見しないんですよ。だからいないと思っている。でも、僕たちはすごい見てますから。僕たちが常に退治しているから見ないだけで。実際、ものすごくいるんだなぁって。発見ですよアレは。こんなにいるのかと本当は。やってる人が全部殺してるんだなって。ホテルだったらロビーに出る手前で全部殺さなきゃいけないので。で、虫を殺すとかトイレの掃除とかって、やっぱりやれる人が限られてくるんで。やってる人って、だいたい年配の方。あと中国人留学生、けっこう留学生が多くて。どこ行っても留学生がいる。そういう人たちが黙々とやっている。

――逆に、向いてないなぁと痛感した仕事は?
探偵ですね。この仕事で自分に注意力がないのを発見しましたね。とにかく注意力が散漫な人には向いてない仕事で。
仕事は、だいたい旦那さんとか彼氏を尾行することが多いので、会社の前でけっこう待って、そのあと夜はずっとついていくとか。尾行はバイクだったり徒歩だったり。繁華街に飲みに行くときとかは、歩きで店までついていきましたね。夜ってけっこう見失うんですよ。たとえば、(近くの人をさして)ああいうおじさんとかがターゲットにだとしても、混ざると本当にわかんなくなるんですよ。あの人とそこのおじさんとか、全部同じに見えてきますよ、絶対に。それで混乱してくる。
どれだけ覚えても特徴ない人が多いですよ。勤めている人とか、同じ格好してますからね、みんな。飲み屋街とか繁華街入ったら同じサラリーマンですよ。その上興味がないでしょう。ストーカーじゃないから(笑。で、やっぱりわからなくなっちゃう。ほんと何回も見失ってますよ。どれだけ怒られたかわからない。それでもできる人はできるんですよ。やっぱりちゃんと。これは完全に適性の問題だし、集中力なり人を見分ける能力が長けてるのか。そこは自分になかったものです。

――では、その3年間のあとに就いたお仕事は?
経営コンサルティングです。(松竹に続いて)これもまた営業ですね。じつは、ここの会社に入るときってちょっと疲れてきたころで。ここは一部上場企業だったし、ここでずっといたいなって、そういう考えが出てきたころで。30代が近いっていうのもあって、安定したかったのかもしれないですけど。

――ここの会社に入った決め手は?
正直、すごいキレイな理由はないですね。先ほど言ったように「安定したい」という気持ちがあって。だから、その第一条件としてまず一部上場。あとキャリアをそれほど問わないところ。僕は結構転職が多いのでキャリアのことを言われると受かりませんから。まあ、個性的な人材という意味で取ってくれるところ。
なぜ経営関係かっていうのは、やっぱり会社に勤めることに限界を感じてて、フリーとか会社経営とかにあこがれが出てきたころなので。経営を勉強すれば、独立に役立つかなって。

――具体的にはどういうお仕事をされてたんですか?
まあ企業の開発ですよね。自分たちを顧問として使ってくれる企業を探す。と簡単に言っても、実際に仕事をとるのはかなり難しいです。だからみんないっぱい辞めていったし。営業が一番知識がなきゃだめなんです。僕たちがどんなコンサルティングができるのか、そのために、経営学のことも経営管理も財務も全部わからないといけないんで。あのころは本当にいつリストラされるかってね。成績表が一週間に一回出るんですよ。しかも全国会議、テレビ会議でみんなやられちゃうんですから、役員に。支社ごとに怒られるし個人攻撃もされる。まわりが思うようなスマートなイメージないですね、この業界には。

―2―に続きます
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by aru-henshusha | 2006-05-28 23:59 | 仕事の話をしよう。