「POP」があるから売れるというより、「書店員」が書いたから売れるんだ。
2006年 06月 14日
ちょっとまじめに考えてみる。
書店員の手書き「POP」 「帯」上回る!?訴求力(本よみうり堂)
編集者が書く帯より、書店員が書くPOPに訴求力がある(場合がある)のは、
まさしく「書店員」が書いたから、が大きい理由であると思う。
編集者が自分のつくった本を、「面白い」とか「役に立つ」って帯であおるのは当然のこと。
その本が売れることでお給料をもらえるんだから、
(たとえ出来がイマイチの本でも)何とかして「売る言葉」で飾り立てる。
いっぽう、書店員だって本を売らなきゃいけないことに変わりはないけれど、
編集者とはちがって、それはA社の本でもB社の本でもいい。
(特別な事情がないかぎり)自分が売りたいと思う、
本当にいい本・面白い本だけにPOPが立つ。
だから、普通の読者にとって、「編集者」の帯の言葉と、
「書店員」のPOPの言葉はもつ意味が違う。
僕だって、読者の立場で本を買うときは、「書店員」の言葉のほうにより信憑性を感じる。
(ただ、その店員と読書センスが合わなかったら意味ないけど)
僕ら編集者(あるいは営業・販促の人間)がPOPをつくることもあるけれど、
それだって「書店員」の手書きPOPには、まあかなわないだろう。
けれど、だからといって「編集者」のつくる帯やPOPに、意味がないわけではない。
そもそも、書店にある本のなかでPOPをつけられる本なんて少数だし、
書店員が感じる「本の第一印象」は、こちらがつくった帯によるところも少なくないだろう。
POPがなくても売れるような帯の言葉を考えて、また、
書店員自身がPOPを書きたくなるような本に仕上げる。
その意味で、「おちおちしている」編集者なんて、そうそういない。
つくった本が、書店員の熱烈な後押しを受けて加速して売れていくのは、とても嬉しいことである。
その「幸運」に恵まれるためにも、(帯も含めて)僕らは頑張って本をつくっているつもりである。