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by aru-henshusha

話せばわかる、とは限らない。(ヒトリゴト46)

よく、「話せばわかる」という人がいる。

だけど、あれは本当は「話せばわかる(場合もある)
ということだと僕は理解している。

お互いの意見がぶつかろうと、5分も話せばわかり合える人もいれば、
どんなに言葉を尽くしても、絶対にわかり合えないときがある。

なぜ、そうなのか?

それを考えるには、まず「話せばわかるケース」を
分類・定義してみればよいのではなかろうか。



・話せばわかるケース1
「お互いの目的あるいは背景が一致している場合」

職業柄、本のデザインを例にして、話を進めよう。

たとえば、ある本のカバーデザインでAさんとBさんの意見がぶつかったとする。

俺はX案がいい、私はY案のほうがいい。

こう意見が分かれたとき、かりに、
「20代女性向けにアピールするようなデザインにする」
という目的が二人の間で一致していれば、話し合いの余地はある。

もちろん、何が20代女性向けなのかは各々思うところが違うだろうが、
それでもその目標に向けてお互いの意見を調整して、
前に進める可能性は高いだろう。


・話せばわかるケース2

「お互いの落としどころ、あるいは譲りどころがかみ合う場合」

やはり、本のカバーデザインの例で説明する。

Aさんは、緑色のカバーに明朝体のタイトルのデザインがいいと言う。
Bさんは、黄色のカバーにゴチック体のタイトルが一番だと言う。

だがこのとき、二人に譲れるところはないだろうか?

かりにAさんが、カバーの色は譲れないけど書体にこだわりがなく、
Bさんが書体のデザインはこれで行きたいが、カバーの色は柔軟に考えるとしたら。

お察しのとおり、「緑色のカバーにゴチック体のタイトル」でいけば話は収まる。
(実際にはこんな単純には決まらないよ、念のため)


まあ、上の例が適当かどうかはわからないし、
これ以外のケースでも「話せばわかる」ときはあるだろう。

とはいえ、やはり何らかの条件が整ったときこそ、
「話せばわかる」の効力は発揮される
のではなかろうか?

もしも、お互いの目的や背景がズレており、
なおかつ自説をすべて譲れない人同士がぶつかれば、
「話せばわかる」の境地に達するのはかなり困難だろう。


話し合いは万能ではない、と僕は思う。
ただし、それは話し合いの価値を否定することを意味しない。

自分は納得しかねるけど、そういう考え方もある、
と受け止めるのも、考え方の幅を広げる際には必要だ。

だからといって、いつまでも不毛な話し合いを続けるほどの余裕は、僕にはない。
わかり合えなくてもいいからいつまでも話したいと思える相手など、人生にそうはいない。
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by aru-henshusha | 2006-08-24 12:19 | 不定期なヒトリゴト。