最初に考えた何の変哲もないタイトルが、じつは一番よかったりする。
2006年 11月 25日
「この本のタイトルどうしよう?」これはタイトルに限らず、デザインなどにも言える場合があると思うのだけど、考え続けることが「最良」とは限らないんですよね。
茂木さん、新書編集部、たまたま取材に来ていたNHKのクルー、出版界とは全然関係のない友人、クリーニング屋のおばさん、ノラ犬、神様仏様……この本が「ひらめき脳」というタイトルに決定するまで、どれだけの人に相談したかわかりません。頭をひねり、タイトル1000本ノックを自らに課しても、「これだ!」と確信できるものをひらめくことがなかなか出来ませんでした。
(中略)
しかし、長らくタイトル難民となったこの本にも、ついにその日がやって来ました!――となれば、この原稿的に収まりもつくのでしょうが、結局は、「『ひらめき脳』が一番インパクトがあって良いよ。これにしよう」という編集長のツルの一言であっさり決定したのでした。「ひらめき脳」というタイトルは、実は早い段階で思いついていたものでした。まさに本書にも書かれているように、ひらめきとは意外と見過ごされがちで、実は身近なところに転がっているものなんだ、というのがそのときの実感です。
最初に考えたタイトルというのは、ときに何の変哲もないような言葉であったりするけれど、その分、本のテーマが端的に表れていて、読者への「伝達力」が強いことも多い。
それを、もっといいものがあるんじゃないかと考えるうちに、どんどん迷路にはまっていったりして。
『ひらめき脳』のタイトル案には、ほかにも、
・ひらめきを抱きしめて
・ひらめきを掴むために
・脳VS.不確実性
・ひらめきで世界を変える
なんてものがあったらしいけど、ここまでいくと、たぶん「考えすぎ」のレベル。
仮に、『脳VS.不確実性』というタイトルだったら、この本を買ってなかったと思います。
(だって、かたくて、つまらなそうじゃない)
もちろん、練って練っていい言葉を見つける場合もあるけれど、一瞬のひらめきにはそれをひらめくだけの理由があるということですよね。