親の顔が、見たいんだ。
2005年 02月 01日
僕も朝のワイドショーでその光景を見たが、正直、勘九郎が悪いわけじゃないのにな、と同情した。
七之助容疑者は21歳で立派な大人だし、聞けば勘九郎はずいぶん子供のしつけにも厳しかったようだ。
事件を起こした責任は、すべて本人が負うべきである。
同様の見方は、現役の新聞記者によるブログ、札幌から ニュースの現場で考えることにもが書かれている。
親は出なくていいよ
まさに、このタイトルの一言に尽きる。
が、いままでの話に矛盾するようだが、(僕を含めて)少なくからぬ人々が「親の顔が見たい」という欲望を抱えているのだと思う。
東に子供を殺された親がいれば会いに行き、西に子供が事件を起こした親がいればマイクを突きつける。
いまとなっては、当事者には会えないが、当事者に一番近い人間を眺め、声を聞くことはできる。
それ知りたさに、人は新聞を読み、TVにかじりつく。
親の顔が見たいんだ。
それもまた、人間の欲望である。
だから、許されると言いたいのではない。
ただ、そういう欲望が、まぎれもなく存在するというだけだ。
追記
この記事に対して、札幌から ニュースの現場で考えることさんが、さらに記事を書かれています。
僕とはまったく反対の方向からのアプローチで書かれた記事ですが、読む価値はあると思います。
それでも「親の顔」は必要ない