本には、3つの顔がある。
2007年 01月 06日
本の装丁には2つの顔がある。このブログの書き手、shiroさんは、普段は僕のように、ビジネス書や実用書を手がけてる編集者なのかもしれません。
書店での顔と、家の本棚での顔だ。
ふつう、編集者がどんな装丁にするかを考えるときは、書店での顔しか考えていないことが多いように思います。
部数決定会議で「書店で目立たないのでダメ」と言われることはあっても、「読者の家の本棚に収まったときに雰囲気を壊しそうなのでダメ」と言われることはない。
でも、もしかしたら文芸書の場合は、そういう意見が出るのかもしれない。
(文芸書を手がけたことがないので、わかりません。)
もし自分が文芸書の装丁をやることになったときに、どう考えるだろうか。
有名な著者なら、「家の本棚での顔」をメインに考えると思う。
だからこそ、「本は手に取らせてナンボ=書店で目立て」というダメ出しを受けるのでしょう。
僕自身は、その考えは半分賛成・半分反対です。
というのも、「目立たない顔」というのも、逆説的に目立つことがありますからね。
(とくに、ハデハデな顔の本ばかりが並ぶ、ビジネス書の新刊平台では)
ところで、見出しに書いたように、本には3つの顔があるように思います。
もちろん、2つは「書店での顔」と「家の本棚での顔」。
もう1つは「社内での顔」です。
他社の事情は詳しく知りませんが、社の上層部も交えて本のカバーを決定するような場合、たいていは社内の片隅で、(その1冊のカバーを数パターン並べて)「アアデモナイ、コウデモナイ」とやっていると思います。
でも、そこはしょせん「社内」なんですよね。
書店の中でも、家の中でもありません。
あるのはせいぜい自社本と類書数冊の社内で、「この色は目立つ」「このデザインだと埋もれる」といったところで、いざ書店に並べてみると、まったく事情が違ったりすることも。
どんなに「社内での顔」がよくても、「現場」で映えなければ意味はありません。
しかし、残念ながら、社内には「現場」から離れてしまっている編集者(というかお偉いさん)もいる。
よい装丁を生み出すには、「社内での顔」と<現場での顔>とのギャップを、お偉方に伝えるような細かい作業も必要なんだろうなぁと思います。
いや、むろん、各社の社風もあるけれども。