ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

美しいものを書いた文章と、美しく書かれた文章。

【図工】 美しさを捉える(MORI LOG ACADEMY)
(引用者補足:絵を描くには)2つの手法があるようだ。それは、「美しい絵を描きたい」という動機によって描かれたものと、「美しいものを描きたい」という動機によって描かれたものだ。
僕の場合は、明らかに後者である。美しい絵を描こうとは思わない。絵を描くことが好きなのではない。そうではなく、まず美しいものがある。それがさきに存在する。そして、その美を捉えたいと思う。これはたぶん、その美しさを自分のものにしたい、という欲求と似ているだろう。そこで、その絵を描いて、なんとかその美しさを留めようとする。そうして出来上がった絵は、自分が見た美を100%は備えていない。しかし、それを描いたことで美が自分の中に残る。
(中略)
一方では、美しい絵を描こう、という動機があるようだ。芸術の動機として正当なものだと思われる。そして、その美しさをいかに描くか、という方向から、周囲に目を向けていく。絵になるものを探すことになる。この方向性も、僕は否定するものではない。
しかし、歌をうたいなさい、絵を描きなさい、作文をしなさい、というように、さきに「手法」を押しつけられるのが、学校の教科であるために、多くの子供たちは、うたうものを探し、絵になるものを探し、作文に書けるものを探すだろう。うまくそれが見つかれば良いけれど、時間も制限されているので、手近なもの、すなわち、歌いやすいもの、描きやすいもの、書きやすいものが選ばれる。こういった方向性は本来ではない、あるいは、この方向性には合わない才能の子供がいる、と僕は思うのである。
長々と引用してしまいましたが、これと同じようなことが、もしかすると「文章」にも言えるのではないかと思いました。


小説でもエッセイでも、あるいはノンフィクションでも論文でもいいのですが、本を読んでいると、「これは美しい」と思える文章に出合うことがあります。

でも、その美しさは大別すると2つあり、1つは「美しいものを書いた」文章、もう1つは「美しく書かれた」文章だと僕は思います。
そして、後者の文章を、僕はそれほど好みません。

前者には、書き手が「美しいものを見た(聞いた、体験した)」という<想い>が込められているのに対して、後者には、書き手が「美しく書いてやるぞ」という<狙い>が透けて見え、その狙いが強ければ強いほど、僕はちょっと引いてしまうのです。


リンク先にあわせて「美しい」を例に出しましたが、これは「悲しい」でも「面白い」でも、同様のことが言えるかもしれません。

悲しいものを書いた文章と、悲しく書いた文章。面白いものを書いた文章と、面白く書いた文章。
両者は似ているようだけれど、決定的に違うところがあるように思います。

むろん、それらの文章を読んだとき、書き手の「狙い」どおりの反応をしてしまうこともあります。
そういう文章は、個人的な好みはどうであれ、やはり力のある文章だとは思いますが。
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by aru-henshusha | 2007-02-03 18:13 | 名言・言葉