青年よ、ハウツー本を買えよ、でも町にも出よう。
2007年 04月 05日
青年よ、ハウツウ本を捨てよ、町に出よう(代替案のある生活)
最近電車に乗っていても、いわゆるハウツウ本を読んでいる人が多いように見受けられる。対人関係、営業の仕方、仕事の仕方、効果的なプレゼンテーション、果てはお金の儲け方まで、最近はハウツウ本が良く出ている。別にハウツウ本が悪いというのではないが、たとえば、対人関係についていえば、いくらハウツウを本から習ったところで、ひととちゃんと接していかなければ何も身につかない。誠実さや信頼される態度は、ハウツウ本で得られるとは思えない。この方が言っていること、当たってる部分もあるとは思います。
特に若い人たちは、まだまだ自分を育てていく余地を十分に残しているのだから、ハウツウ本に頼らず、古典を読んだり、芸術に触れたり、影響を与えてくれるような人と接したりする事の方が重要だ。
でも、いわゆる「ハウツー本(この表記で統一)」も作る編集者としては、全面的に賛成ですとは言いたくありません。
なるほど、ハウツーからは得られない知識、生身の人と交わらなければ得られない経験というものは、たしかにあるでしょう。
けれど、それらを生かすのに、かえってハウツー本に書かれている情報が役に立つこともあるかもしれません。
たとえば、AさんはBさんによく頼みごとをしていたとする。
毎回のように頼みをきいてくれていたBさんが、ある日、Aさんに「もう、君の頼みごとはきけない」といいました。
突然の展開に驚くAさん。
むろん、冷静に考えれば、一方的に頼んでばかりの彼にBさんが愛想をつかしただけですが、(自分ばかり頼みごとをするほど)鈍感なAさんはそれに気がつかない。
こんなとき、Aさんが人間関係のハウツー本を見れば、
「人間関係はwin-winである」「もらう前に、まず与えよ」
といった一節に引っかかり、自分のまずさに思い至るかもしれません。
自分ひとりの頭では気づけなかったことでも、ハウツー本がヒントになる可能性はある。
ハウツー本に書かれていることは、ともすればベタで、応用の利かない原理原則でしょう。
人によっては、「言われなくてもわかるよ、そんなことは」といったレベルの情報かもしれません。
それでもハウツー本に一定の需要があるのは、どんな人でも初めは「当たり前のこと」がわからないし、またそんな「当たり前のこと」の判断さえできなくなるほと迷う時期が、人にはあるということではないかと思います。
「町に出て」自分の目で物を見、自分の頭で考え、成長できるのはすばらしいことです。
が、それは同時になかなか難しいことでもあります。
そんなときに「杖」となるのがハウツー本の役割だと、僕は勝手に思っています。
別に、自分の足で歩けるようになれば、一度は本を放ってしまえばいいのです。
けれど、いつのまにか、うまく歩けなくなったとき、またハウツー本にかえってもいい。
人は、どんなものからも学べるし、どうせ学ぶなら、いろんなものから学んだほうがいいのではないでしょうか。