「世界」を文章化する小説家、「映像」を文章化する小説家。
2007年 04月 05日
--10作が映画・漫画化されているが、小説を書くときに映像を念頭に置いているのか。このやりとりを読んで、以前、森博嗣が書いていたこの文章を思い出しました。
「それはありえない。映像を考えて書いた瞬間、小説は終わってしまい、読者の立場からすれば小説を読むより映画がおもしろいと感じるようになる。小説は映像を書くのではなく、世界を書く。 私は映像を考えずに書くため、後に映像化する人が自分の世界を作ることができる。これが映像と文学の正しい関係だ」
【HR】 時給(MORI LOG ACADEMY)
僕は、自分の小説はすべて文字数で把握しているし、毎日書く文字数を決めていて、それを大幅に越えて書くことはしない。決めた量を書いたら、強制的に打ち切る(文章の途中で打ち切ることが多い)。そうしないと、躰がもたない。次の日に疲れが残らない程度にして、続けられるようにしている。二人の「小説作法」はとても対照的ですが、それぞれがきっと、各人に合ったやり方なのでしょう。
だいたい、1時間に6000文字書くけれど、これは調子の良い悪いにはあまり関係がない。書く速度はいつも同じだ。これも、頭の中の映像を「追っている」からだ。調子が悪いときは、長く続かないので5分か10分で休憩するし、休憩のあとも、なかなか始められない。
もちろん、これ以外にも、自分だけのやり方をもっている小説家の方もいるはずです。
小説に限らず「最良の方法」が議論されることがありますが、けっきょくは人の数だけ、「型」があるというのが正解だと思います。
あ、これは、「ベストセラーの条件」は、けっきょく人それぞれである。でも言いましたね……