「彼女」という言葉は、なぜおかしいか?
2007年 04月 06日
新・お言葉ですが… | Web草思 第5回 「彼女」はいやだ
明治期に発生し、ひろがって、いまにいたるまでもちいられ、それどころかすっかり定着して、かくいう小生自身もいやだと思いながらつい使ってしまうことばに「です」と「彼女」がある。これが小生にとっては明治期発生語の二巨悪、きらいなことばの筆頭ですね。というわけで文法(語法?)的には、彼女(かのじょ)という言葉はおかしいのだとか。
(中略)
言われてみると、彼女(かのじょ)というのはずいぶん変なことばでしょ?
「かの」ということばはむかしからある。「兎追ひしかの山、小鮒釣りしかの川」の「かの」だ。「かの山」「かの川」のほかにも「かの時」「かのところ」とか「かの人」とか、いろんな言いかたがある。しかしこれらはみな「かの」の下につくのが和語である。しかも、山、川、時、ところ、人など、独立してもちいられる語である。
(中略)
ところが「彼女(かのじょ)」だ。つまり「かの女(じょ)」だ。「かの」のあとに字音が来るというのはめったにあることでない。それでも独立してもちいられることばであれば、ないことはない。たとえば「かの仁(じん)(人)」といったふうな。これならば、「この仁(じん)は釣りがお好きでね」などともちい得るから「かの仁(じん)」も可能である。しかし「かの女(じょ)」は変だよね。これがありなら「この女(じょ)」も「あの女(じょ)」もなければならない。「かの男(だん)」もなければならない。しかしそんなのはない。「かの女(じょ)」だけが発生し、普及し、定着してしまった。
しかし、理屈はわかったものの、筆者の、
「彼女」というのはふつうのことばではない、優雅な和語に字音がくっついた異様なことばが明治の時代に生れて日本語に侵入し、現在にまで居坐ってしまったものだ、という違和感をつよく持っているという心境は、正直あまり理解できません。
僕が生まれたときから「彼女」は「カノジョ」だったわけで、これからも、抵抗なく使ってしまうと思います……