ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

ライターの子供も、編集者の子供も、みんな「普通」の子供である。

渡辺和博さんが「私のようなフリーライターの子どもは……」と相談されたときに返した言葉
(活字中毒R。)
昔、私のようなフリーライターの子どもは……、と渡辺さんに相談したら、「馬鹿、子どもにとっては自分の親が普通だ」と叱られた。
*『週刊アスキー・2007/7/17号」(アスキー)の「Scene2007」(文・神足裕司)より。

今までに何度もこのブログに書いていますが、僕の亡くなった親父もかつては編集者でした。

親父に直接聞いたわけではありませんが、彼ももしかしたら「編集者(であった)自分の息子」の行く末を案じていたのかもしれません。

親父が亡くなった後、数年たって、僕は彼と同じ職業につきました。
母親にはけっこう反対されたのですが、僕が頑固なのは昔から変わらないので、けっきょく自分で選んだ道を行くことにしました。


その後、著者や学校の後輩から、「あなたは、なぜ編集者になったのですか」と質問されることが何回かありました。

そう聞かれるたびに、僕は、「いやぁ、うちの父が編集者だったもので……。一番身近な仕事が<編集者>だったんですよ」と答えるようにしてきました。

ずいぶんテキトーな志望動機ですが、それだけが理由ではないにせよ、親父が編集者だったことが、僕に大きな影響を与えているのは間違いないでしょう。


言い換えれば、それは僕にとっての「普通」でした。

親父が編集者であったこと、彼の(仕事への熱心さやら何やらの)せいで家庭が壊れたこと、親父が本当はどんな人なのかもわからないまま何年も過ぎたこと、親父が生きている間にけっきょく数回しか会えなかったこと……

他の家の子供と比べたら少し変わっていただろうウチの事情も、僕にとっては、すべて「普通」でした。


何とまとめればいいのかわかりませんが、ようは子供の数だけ「普通」の親がいて、「普通」の家庭があるということなのでしょう。

でも、こんな「普通」のことが納得できるのにも、けっこう時間はかかりましたがね。
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by aru-henshusha | 2007-07-15 03:01 | 本・出版