「自分」というのは、探すもの? 決めるもの? 作るもの?
2008年 02月 16日
先日、ソフトバンクパブリッシングの編集者さんから献本された2冊のうちの、残りの1冊、
『自分探しが止まらない』
が、先に小飼弾さんに書評されてしまった。
探すな決めろ - 書評 - 自分探しが止まらない
(404 Blog Not Found)
僕が言いたかったこと、あるいはそれ以上のことが、すでに書かれていて、正直、やりづらい。
ただ、若干付け足せる要素があると思うので、恥を忍んで、後追い書評(というか感想)を書いておく。
この本を読んで、まず思ったのは、「よく調べたなぁ」ということ。
何せ、「自分探し」をキーワードに、あらゆる人物、作品、現象などが語られる。
中田英寿、須藤元気 、『あいのり』、イラクで殺された香田さん、高遠菜穂子、高橋歩とサンクチュアリ出版、自己啓発セミナー、フリーター問題、猿岩石、『絶対内定』、軌保博光(注:てんつくマン、のほうが通じるか?)、ホワイトバンド、共同出版ビジネス、自己啓発系居酒屋「てっぺん」、『ザ・ビーチ』、梅田望夫……
各対象の論じ方の深い浅いはあるものの、この1冊で、いまの「自分探し」ブームの大部分をカバーできるのは間違いない。
なかでも、一部の自己啓発書、あるいはその著者について書かれた部分は、そういった本を実際に作っている編集者の僕でさえ知らない暗部(とあえて書いておく)に迫っており、色々考えさせられた。
さて、次に僕が思ったのは、「じゃあ、どうすればいいのよ?」ということである。
著者も書いているように、この本は、
「自分探しの若者をテーマにしながらも、彼らをそこから救うような手立てについて何ひとつ提示できていない」
いや、この点を責めようとは別に思ってないのだ。
だからこそ、著者も編集も、『自分探しが止まらない』というタイトルにしたんだろうし。
けれど、読んでいるほうとしては、やはり気になる。
もしも「自分探しを止めたい」という人がいたら、どうすればいいのだろう?
一つの答えは、先にリンクした記事で小飼さんが言っている、
「あえて自分を決めてしまう」
ということなのだろう(詳しくはリンク先を参照のこと)。
そして、もう一つの答えになりそうなものは、たまたま最近読んだ本に書かれていた。
(皮肉なことに、この本も一種の「自己啓発書」だが)
*以下、『汗をかかずにトップを奪え!』74ページより引用
そう、自分探しを強調する連中ほど、ほんとうは「自分」を見つけたくないのだ。これはちょうど、「探す」と「決める」の間のポジションとでも言えばいいのだろうか。
ほんとうの自分、ちっぽけな自分、無力で情けない自分を認めるのがイヤだから、いつまでも「探し」続けている。それだけなのである。
仕事は探せ。そして職についてからも、探し続けろ。(中略)
しかし、自分は探すな。必要なのは「自分探し」ではなく、一段ずつ自分を積み上げていく「自分づくり」なのである。
と、ここまで書いて思ったのだけど、「自分」と付き合う一つのパターンとして、
「探す→作る→決める」
という一連の流れがあるかもしれない。
僕自身に当てはめれば、まず編集者という職を「探し」、さらにビジネス書という比較的自分の力を発揮できそうなジャンルに出合い、いまはそこでキャリアを「作って」いる状態だ。
ただし、その次のステップ、「決める」に進む自信であったり、思い切りがないのが、悩みではあるのだが。
以上、ダラダラ書いてきたわりに、あまり有益なことを書けていない気もするが、本書は、久しぶりにじっくり物事を考えるきっかけをくれた一冊であった。
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