このケータイ小説は、しっかりと太陽の方を向いている。
2008年 03月 23日
できることなら、この手の本とは一生無縁でいたかったが、知人を通じて発行元から献本されてしまった以上、しかたがない。
俺はお前を一生愛す [上]/俺はお前を一生愛す [下]
上下巻あわせて500ページ近くもあるこの本を、休みも使って読ませてもらった。
この本は、ケータイ小説としては、比較的「読める」ほうだとは思う。
意外と言っては失礼だが、文章には編集者や校閲者がしっかり手を入れた跡がうかがえる。
また、サクラとかアサガオとか名づけられた各章は、それぞれの「花言葉」と関連した内容になっており、コワザが効いた構成だ(ちなみに作者の名前も「花穂」という)。
けれど、それはあくまで「ケータイ小説として」の話である。
僕は数多く小説を読むほうではないけれど、それでも、これまでに読んできた小説と比べて、この作品は内容としても表現としてもあまりに幼い。
「ケータイ小説=すべての小説」といった一部の若い子にはこれでもいいのだろうけど、僕ぐらいの年齢(って、明かしていないか)になると、残念ながらかなり厳しい。
そこは献本者の方も、正直、送り先を考えたほうがいいと思う。
ただし、僕はこの本をまったく評価していないわけではない。
僕は、この本の「姿勢」には、ひそかに共感している。
僕は以前、人気ケータイ小説が今すぐ書けるようになる、7つの魔法のキーワード。という記事の中で、人気ケータイ小説に共通する、7つのキーワードを挙げた。
そのうちの6つ、すなわち「①売春②レイプ③妊娠④薬物⑤不治の病⑥自殺」は、あまりにも暗い要素である。
多くのケータイ小説は、これらが重なって織り成す暗闇に、最後、「⑦真実の愛」が一条の光となって差し込む、という構成をとっている。
しかし、この本『俺はお前を一生愛す』は、できるだけ上記の要素を排除しようとして書かれている。
実際には、レイプ未遂の描写やら薬物使用の描写は出てくるのだけど、それらはストーリーの展開上、必要最低限の記述がなされるだけで、これら「小道具」のためにストーリが存在するわけではない。
(注 そもそも、この作品がライブドアパブリッシング大型新人賞を受賞するにあたって、上記の要素を扱わないというのが選考基準だったらしい→参考:ケータイ小説出版までの作業)
だから、この本の後味は、他のケータイ小説とは、かなり違うものになっていると思う。
それは、この作品の登場人物の多くが、本当は優しく、恋人や友達を大切にする人物として描かれていることにも関係があるはずだ。
この小説は、人や世の中の暗闇を描くことより、光と暖かさを描くことに、より力を入れている。
その「姿勢」を、僕は買う。
僕の、数少ない好きな小説家の一人、北村薫の作品にこんな言葉がある。
いいかい、君、好きになるなら、一流の人物を好きになりなさい。――それから、これは、いかにも爺さんらしい台詞かもしれんが、本当にいいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ(『朝霧』40ページ)
このケータイ小説は、しっかりと太陽の方を向いている。
もちろん、太陽もあれば暗闇も月もあるのが僕らの生きている世界だけど、ケータイ小説という、ともすれば暗闇をクローズアップしすぎる表現ジャンルにおいて、この作品の「姿勢」は貴重である。
こんなことを書くのも、僕が年々「爺さん」に近づいている証拠だろうか。
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