ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

カテゴリ:不定期なヒトリゴト。( 69 )

腐る本と腐らない本(サンライズ出版の近刊・新刊)
私はずっと前、「食品を扱う業者さんは商品が腐るから大変ね」と言っておりました。
それに引き換え、本は腐らないものだと思っていました。

でも、本も腐るのですね。

会社では賞味期限のある本、ない本としてようやく分別ができるようになりました。
ここでいう「腐る本」とは、流行に乗って短期間で部数がはけるようなタイプの本だろう。
最近で言えば「株」関連の本が、その典型である。

いっぽう、「腐らない本」とは流行に左右されず、何年・何十年にもわたって売れる本だ。
「名著」とか「古典」(文学にかぎらない)といわれてる本がそれにあたる。


「腐る本」には「腐る本」なりの、本づくりの難しさがあると思う。

旬のテーマを見つけ、そのテーマが腐らないうちに一定水準のものを書ける著者にアプローチし、短期で売り切るような販促方法を考える。
当然ながら、営業、広告の力も借りなければ、意図的に仕掛けることはできない。

編集者として、あらゆる方向にむけた「瞬発力」が必要とされる。


もちろん、「腐らない本」をつくるのも大変だ。

長年読み継がれるテーマを掘り当て、時代の変化に耐えうる筆力の著者と、古典足りうる作品を作り上げる。
正直、本をつくる際にそこまで「読み切る」ことができたら、相当の才能だと僕は思う。

そして、それができる人間には、あらゆる意味での「基礎体力」が備わってるはずだ。


編集者として本づくりの現場に携わって、僕は数十冊の本をつくってきた。
その間、どれだけ「腐る本」「腐らない本」をつくってこれただろう。

気がつけば、腐るとか腐らないとか以前に、あるんだか無いんだかわからない本を量産してしまったような気がしてならない。


腐ってもいい。腐らなくてもいい。

僕がつくった本は、どれだけの人に届いただろう。
僕がこれからつくる本は、どれだけの人に届くのだろう。


そんなことを考えながら、迷いながら、僕は本をつくっている。

その迷いが消えることはないと思うけど、迷ったかいがあるような本をつくれればいいと思う。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-06-06 17:13 | 不定期なヒトリゴト。
頑張っていれば、きっと誰かが見ていてくれる
なんてことを言う人が、よくいる。

その言葉自体を、僕は否定しない。

世の中、たしかに見ていてくれる人はいる。
自分の頑張りが、自分の知らないところで評価されたりすることもある。


だけど、僕は「誰か」のために頑張るのは得意じゃない。

僕はいつでも、特定の人のことを考えて頑張っている。
その対象は、自分だったり、彼女だったり、家族だったり、友人だったり、仕事でお世話になっている人だったり。

決して、不特定の「誰か」のために頑張ったりはしない。


自分が頑張ることで、自分の知っている誰かが、ちょっとでも嬉しくなったり楽しくなったりすればいいと思う。
もちろん、そのうえで自分の頑張りを認めてもらえれば、なおいいと思う。

そんなご褒美があるからこそ、僕は頑張れる。

何の見返りもなく頑張れるほど、僕は勤勉じゃない。


僕は何も、いらない頑張りを押し売り、「荒稼ぎ」する気はないんだ。
お前にとって迷惑ならば、お前にとって不要ならば、もう頑張りはしない。

それはお前のための(そして僕のための)頑張りであって、ほかの誰かには必要ないものだから。


自分にとっているものと、いらないものを見分けるぐらい、お前にはできると思う。
いらないものは、過去と合わせて丸めて捨てればいい。


お前」のための頑張りは、「お前」が喜ばなければ意味はない。

意味もなく頑張りつづけるのには、もう疲れたよ。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-05-15 20:42 | 不定期なヒトリゴト。
ブログの更新をしばらく休止する、と書いたのが4日前。
まだまだ狂ったような忙しさに変わりはないけれど、ひとつだけ書いておきたいことがあって、一瞬だけ「ある編集者」に戻ります。


僕はこのブログを1年半近く続けているのだけど、これだけ(って、たかだか4日か)更新を休んだことは、いままで一度もない。
旅行や出張でパソコンにさわれないときもあったけど、それでも1日、2日ぐらいしかブランクはなかったと思う。

だから今回、ブログを休止することで、自分にとって何がいちばん辛いのか、知りたいという気持ちはあった。


休止前は、ブログの更新に伴う「インプット」の時間がなくなるのが辛いんじゃないか、と予想してた。

僕はこれまで、ブログを書くために、毎日けっこうな時間を「インプット」に費やしてきた。

ニュースサイト、情報サイト、同業者のブログ、著名人のブログ、笑えるブログ…
いろんなページを見て得た情報や感想は、ブログの題材以外にも、ときには企画のヒントになり、ときには著者や同業者との格好の話題にもなる。

そういったネタを仕込めないのは、自分としては、かなり辛いはずだと思ってた。


でも、その心配は半分当たっていて、半分は間違いだった。

この数日、たしかにネットからのインプットは皆無に近いけど、ほかのものから吸収したことは少なくない。

通勤電車で読んだ本や、著者への取材で聞いた話、いま編集してる本の原稿、帰宅後寝ぼけ眼で見ているテレビ…
どんなものからでも、それなりの「インプット」は可能だった。

問題なのは、むしろ「アウトプット」のほうである。


この数日間、ブログを書かないことで、僕は「ある編集者」としての時間をもたなかった。

朝起きる。会社に向かう。パソコンをひらく。メールをチェックする。今日の予定を確認する。原稿を読む。取材をする。セミナーに出る。企画のネタ出しをする。テープ起こしをする。オビのコピーを考える。会社のHPの原稿を書く。お金のトラブルを片付ける。久しぶりの重版の知らせに喜ぶ。家路につく。

目覚めてから、夜ベッドにもぐりこむまで、僕はずっと、とある版元の三流編集者だ。


「そんなの当たり前じゃん」って思うでしょう?
だけど、僕にとっては、それが辛い。


僕は、本が好きだ。編集という仕事が好きだ。

けれど、朝から晩まで、一日中、仕事のことを考えてたら疲れるよ。
会社の名前を背負って、一日中、編集者やってたら疲れるよ。


ブログを書いているときだけは、僕はどこの馬の骨ともわからぬ、「ある編集者」でいられる。
好き勝手に記事を書いたり、気楽なコメントのやりとりを楽しんだりして、仕事のことをしばし忘れることができる。

そういう時間をはさまないで、ずっと「名刺の肩書き・名前のままの僕」でいるのは辛い。

生真面目で、仕事熱心で、ときに雄弁で、実力以上の期待をされて。

その僕は、社名とか肩書きのとれた、生身の僕とは違うから。


久しぶりにブログを書くと、本当に、「戻ってきた」という気がする。

僕が「ある編集者」でいる時間は、一日の何分の一もないけれど。
明日からまたしばらく、とある版元の三流編集者でいつづけるけど。

次に戻ってこれる日まで、もう少し待っていただけたら幸いです。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-04-26 23:25 | 不定期なヒトリゴト。
むかし、ある人を傷つけたことがある。

どのように傷つけたのかは、ここでは書かない。
ただし、僕の思いやりのなさで、その人をひどく傷つけたことだけは間違いない。

その人に謝って、その傷が癒せれば、どんなにいいだろう。

だけど、それが可能かどうかは、相手によって違う。

自分を傷つけた相手から、何を言われても傷はいえないという人もいよう。
そう思うことは当然だし、そう思われている以上、こちらが何をしようと、それは自己満足に過ぎない。


僕が傷つけた人の傷口は、僕がふれれば、もっとひどくなる種類のものである。
だから、僕は遠くから、その傷口をそっと見守ることしかできない。

僕に今できることは、むかし誰かを傷つけたぶん、ほかの誰かの傷を癒すことだと思う。

べつに、過去から逃げる気もないし、開き直る気もない。
ただただ、むかしできなかったことを、今、ほかの誰かにするだけだ。


もちろん、僕は今でも無知だし、やさしくないし、何かと至らないところだらけの人間だ。
そんなやつが、人の傷を癒す癒さないなどと言うのは、傲岸である。

けれど、それでも、自分のできることを少しずつでいいからしていきたい。

他人を傷つけることが、生きている限り避けられないことだとしても、
人を傷つけるだけの人生などは送りたくない。

僕がむかし、誰かに傷つけられたとき、その傷を癒してくれた人がいるように。
自分も誰かにとって、そんな存在でいられたらいいと思う。

その程度のこともできなくて、何のための人生か。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-04-19 00:07 | 不定期なヒトリゴト。
「誰でも恋愛できる」という幻想を捨てよ(nikkeibp.jp)
小谷野 人間には遺伝や環境によって形成された、能力の差があります。だから努力したからといって、誰もが東大に入れるわけではないし、マラソン選手になれるわけでもない。これと同じように、いくら努力しても恋愛ができない人はできない

他人と意志疎通を図るために、言葉をしゃべったり文字を書くことは大抵の人ができます。けれど恋愛にはもう少し高度なテクニックが必要で、「ロミオとジュリエット」にはできても、普通の人にはできないんです。

上記がたとえ真実だとしても(もちろん、それを否定する人もいるだろうけど)、必ずしも自分を「できない側」に入れる必要はないんじゃないかなぁ、と僕は思う。

だって、そう思ってしまったら、まさしく未来永劫、恋愛なんてできないじゃない。

世の中には「恋愛できる人」と「できない人」がいて、何の根拠もないけど自分は「できる人」なんだと思ったほうが、少なくとも恋愛できる可能性は残る。


もちろん、その可能性を信じて、何年、あるいは何十年も「恋愛」に裏切られ続ける人もいるだろう。
その期間があまりにも無益だと感じる人は、はなから「できない側」に身をおいて生きるのが得策なのかもしれない。

でも、自分が本当に「恋愛できる」かどうかなんて、そう簡単にわかるものなんだろうか。


(匿名ブログで信憑性がないという批判を承知で書くけれど)僕自身は、大学に入るまでずっと「恋愛できる人」ではなかった。

見かけは悪いし、性格も悪い。女心もわからない。何より恋愛経験がない。
でも、それでも「できる(だろう、多分)」って根拠もない幻想を抱いてたら、それがいつしか本当になった。

そのために、自分は何の努力をしたというわけではない。

ただ、好きな人に好きだと言えるようになっただけだ。
(逆に、そんなシンプルなことすらできない人間だったのだが)

下らない自分語りをしてしまったけど、当時の僕は、まさしく「幻想を信じたおかげ」で恋愛できたのだと思う。


僕には、他人が恋愛して死んでいこうが、恋愛しないで死んでいこうが関係ない。
恋愛が人生の最大イベントだと言う気もない。

けれど、どうせ一回こっきりの人生なんだから、「恋愛できる」という根拠のない自信を抱いて生きてもいいと思う。
できない」ことより「できる」ことが多いと信じたほうが、このいろいろと面倒くさい人生が、少しは楽しくなるんじゃない?


信じる者が、必ずしも救われるとは限らない。
でも、信じることをやめた人間には、救いなんてくるわけがない。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-03-25 13:24 | 不定期なヒトリゴト。
仕事の多くは、「力の貸し借り」で成り立っているものである。

たとえば、編集者は著者の力を借り、デザイナーの力を借り、印刷・製本の力を借り、営業の力を借り……
キリがないからやめるけれど、一冊の本をつくって売るのにも、様々な人の力を借りている。


同時に、僕だって、誰かに力を貸して生きている。
自分の力は微々たるものだけど、誰かのためにその力を貸して、多少のお役には立ってきたつもりだ。

だけど、僕はいつでも誰かの力になれるわけではない。
誰かの力になろうと頑張って、それでも、けっきょく力になれないときもある。


最近、仕事で他人の力になれないことが、いくつか続いた。

なかには、自分が力を貸そうと貸すまいと、どうしようもないケースもあったのだろう。
いっぽうで、ただただ自分の力が足りなかったケースもあるように思う。


社会人になって、それなりの紆余曲折はあったけれど、自分なりに「」をつけてきたつもりだ。

でも、まだ足りない。
色々な意味で、圧倒的に、力が足りない。


僕はべつに善意のカタマリではないから、だれかれ構わず力になろうとは思わない。
けれど、この人の力になりたいと思ったときに、まったく力になれないのは本当に悔しい。


あなたの力になれない、と書くのは簡単だ。

でも、本当は、僕に力が足りなかっただけなのかもしれない。

その無力さを忘れることなく、また少しずつ、力を蓄えようと思う。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-03-23 22:04 | 不定期なヒトリゴト。
売れた本には二種類ある。

ひとつは、「売れて当然」と思われて、本当に売れた本
もうひとつは、「こんなの、売れるわけないじゃん」と思われながらも、売れてしまった本だ。

前者の場合、その本が売れても、多少喜びが割り引かれるように思う。
著者が有名だったり、旬のテーマを扱っていたりすれば、編集者としても多少は部数の「計算」ができるから。

いっぽう、後者の場合、その本が売れた喜びは、何とも言えないものである。
何せ、上司や営業、同僚からさえも「売れないよ」と言われた本が、予想外の売れ行きを示すのだから。

最近、僕は幸運にも、後者の経験をした。

いや、その本はまだ発売して間もないから、今後どっと返品が来る可能性もある。
だけど、ある種のジャンルの本としては、予想外の出足を記録しており、多少の期待はできそうだ。


この本の企画を立てたとき、僕は、笑っちゃうくらい色々な人から「売れないよ」と言われた。

たしかに、著者は無名の人だし、テーマも旬のものとは言えなかった。
何より、人によっては「そんなもの、俺、知らない」とまで言われた。

「知らないもの」を売れると言い張っても、信じてもらえないのは無理もない。

だけど、僕はこの本は「そこそこ売れる」んじゃないかなぁと思ってた。
気障な言い方だけど、この本の需要を、僕は皮膚で感じていた。


実際の編集作業は「辛い」の二文字しかなかった。

本を一冊つくるたびに、自分の努力が無駄ではないかと心配になる。(ヒトリゴト32)


にも書いたように、年末年始はこの本のために、頑張って頑張って。
だけど、ときには、その努力がただの徒労なんじゃないかと心配になって。

でも、その努力が100%無駄ではなかったみたいだから、いまは本当にほっとしている。


どんな本でも、編集者である限り、売れれば嬉しいはずだと僕は思う。

けれど、これほど「売れない」といわれ続けた本が売れているときの喜びは格別だ。

やっぱり、できの悪い子ほどかわいいよ。

そして、できの悪い子ほど、案外立派に成長したりするもんだ。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-02-16 20:50 | 不定期なヒトリゴト。
金曜日、土曜日と、ほとんどベッドの上で過ごしていた。
久しぶりにヘビーな風邪をひいてしまい、食事以外はずっと寝っぱなしであった。

きっと、その前の徹夜が響いたのだろう。
遊びならまだしも、仕事の徹夜は後に残る。

できることなら、今日も一日中ゴロゴロしていたかったのだけど、そういうわけにもいかない。
2月に出る本のゲラを読み込む仕事が、まだ残っている。
ページのズレもかなり発生しているので、その調整もしなければいけない。


思えば、この本の編集のために、去年の暮れから相当な時間を費やしてきた。

仕事終わりの日から仕事初めの日まで連日原稿を催促して、初出社の日から即入稿。
以降、平日・土日も関係なく、ほとんどの時間をこの本の編集作業に費やした。

しかし、それだけの努力が報われるかどうかは、はなはだ疑問である。

編集者の努力と、本の売れ行きは、必ずしも比例するものではない。
編集者がどんなに頑張ってつくった本でも、読者が「いらない」と思えばそれでおしまいである。

逆に、編集者が適度に手を抜いて(あるいはアウトソーシングして)つくった本でも、売れるものは売れる。

編集者の努力は、良書の必要条件ではあっても、売れる本の必要条件ではない


本を一冊つくるたびに、自分の努力が無駄ではないかと心配になる。
今回の本のように、その努力が並大抵のものではない場合はなおさらだ。

自分のいままでの努力をあざ笑うかのように、この本がドドっと返本されたらどうしよう。
ゲラを眺めているあいだも、そんな思いが頭をよぎる。

もちろん、こんなことをいくら心配しても仕方がないのは、十分わかっている。

すべては市場(=読者)が決めることだ。

僕ができるのは、市場にたいして恥ずかしくない本を出すために、あともう一頑張りすることだけである。

私事:そんなわけで、しばらく仕事に集中します。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-01-29 12:13 | 不定期なヒトリゴト。
自分は一体、誰から必要とされているのだろう?

そんなことを、ふと考えるときがある。

そりゃあ、そういう人も、一人か二人はいるんじゃないかと僕は思う。

でも、それはあくまで僕が思っているだけのことだ。
僕を心から必要としている人は、もしかすると、この世に一人もいないのかもしれない。

だけど、そうだとすると、困るよなぁ。
だって、それって「需要がまるでない商品」みたいだもの。

誰からも必要とされることなく、ひっそりと忘れ去られていくのは悲しい。


自分が生きている限りは、誰かに必要とされる人でありたい。

べつに、大勢の人から必要とされなくてもいい。
たった一人でも、自分を必要としている人がいれば、それでいい。
同時に、その人のことを僕が必要としているのなら、なおさらいい。

必要な人に、必要とされるだけで、生きていてよかったと僕は思う。
それって、当たり前のことなのかもしれないけれど、いままでなかなか実感できなかったことでもある。

必要な人に、必要とされないまま育った時間が、僕には少々長すぎた。


夜中に、誰もいない部屋に帰ってきて、ベッドに寝転がって、ふと考える。

自分は一体、誰から必要とされているのだろう?

その問いの「正解」を、僕は知らない。
けれど、いまは自分なりの解答が、頭の中には浮かんでいる。

それが当たってるかはわからないけど、いちおうの答えが出せることを嬉しく思う。

答え合わせは、まだまだ先になりそうだけど。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-01-19 02:06 | 不定期なヒトリゴト。

去年の末から、ずっと走り続けている。

もちろんこれは比喩であって、実際には止まったり、歩いたり、メシを食ったり、眠ったりもしてるけど。
でも、なぜだか、自分が「走り続けている」気がしてならない。

走って走って、ときどきバテて、気を取り直してまた走って。
じっくり立ち止まることのないまま、何も考えずに走っている。

人間、若いときは、大抵そういうものなのかもしれない。
目の前の仕事とか問題だとかを片付けるのに精一杯で、この道の先に何があるかなんて、考える余裕がない。

だけど、いまの僕には、それが永遠に続いていくかのように思えてしまうんだ。

目の前の原稿をやっつけて、次に出す本の取材をすすめ、通った企画は構成を練り直し、合間をぬって新しい著者に会いに行って。
スケジュールにあるタスクを「処理」するたびに、あらたなタスクが生まれ、未達成のタスクに追われ、毎日毎日走り続ける。

考えているのは、仕事のこと、そして会社のことばかり。

そんな日々が、この仕事を続けている限りずっと続くような気がして、なんだか不安を感じてしまう。

僕には、ほかにも考えたいことがある。
僕には、ほかにも考えなければいけないことがある。

僕は不器用な人間だから、ダッシュで走っている最中に考えことなんかできないよ。

だから、少しでいいから、立ち止まりたい。

自分が立ち止まれる時間が、何よりも欲しくてたまらない。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-01-15 02:31 | 不定期なヒトリゴト。