ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

カテゴリ:不定期なヒトリゴト。( 69 )

斎藤さんは、やはり死亡してしまったのだろうか。

「映像見て兄と確認」 斎藤さんの弟がコメント(exciteニュース)

一部の報道では、ほぼ間違いないという書き方の記事も出てきた。

ネット映像の男性、斎藤さんとほぼ断定(YOMIURI ON-LINE)

記事を読む限りでは、そうである確率が、かなり高いという印象を受ける。

それにしても、このニュースを見ても、いまの僕はほとんど驚きを感じていない。

彼が、死の危険と隣り合わせの、民間軍事会社の人間だからだろうか。
あるいは、第一報を聞いたときから、彼の死をうすうす予感していたからだろうか。

いや、理由は多分、それだけではない。

戦場で日本人が死ぬということに、日に日に鈍感になっていく自分がいる。
それは、ある意味、「国際的」な感覚になったと言えるのかもしれない。
イラクで自衛隊から死者が出ることになっても、もう僕は驚かないだろう。

でも、そうやって「戦争」と「死」に慣らされていった先に何があるのかを考えると、僕の心はかろうじてまだ恐怖を覚える。

うまく言えないけれど、その感覚だけは、忘れてはならないように思う。

続報(ともにexciteニュースより)
本人と考えざる得ない 斎藤さん「死亡」映像
<イラク邦人拘束>斎藤さんとほぼ断定 外務省幹部
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by aru-henshusha | 2005-05-28 21:04 | 不定期なヒトリゴト。
僕が好きなKICK THE CAN CREWに、「ナニカ」という曲がある。

たしか、二年前ぐらいに発表された曲だろう。
その曲の詞を、最近よく思い出す。

何かしなくちゃ何かをしなくちゃ
何かってなんだい?
その何かが何かさえも知らず
確かな明日だけ欲しがる


初めて聴いたときには、正直、この言葉にピンとこなかった。
でも、いまは、この詞の意味が、痛いほどわかる。

僕はいま、すごく焦っている。
焦って焦って、いろいろな意味で結果を欲しがっている。

だけど、その結果に至るまでの道筋が、よく見えなくなる。
文字通り、「何かしなくちゃ、何かをしなくちゃ」と焦っては、その「何か」を見失っているときがある。

社会に出て、いろいろな人を見て、いろいろな価値観に触れて、僕の視野はわずかながら広がった。

けれど、そのせいか、ときどき、自分がブレてしまう。
自分の芯となる「何か」がわからなくなって、そのときそのときの流れに合わせてしまう。

これじゃいけない、と思いつつ、僕は依然揺れている。

何かしなくちゃ、何かをしなくちゃ。
でも、何かってなんだい?

その問いに、答えが出る日は来るのだろうか?
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by aru-henshusha | 2005-05-11 00:43 | 不定期なヒトリゴト。
ビジネス書を読んでると、よく「成功体験」という言葉に出合う。

「成功体験」のある人間は、それで自信とノウハウを得るから、また次の成功につながる。

なんて、簡単にまとめすぎではあるけれど、そんなメッセージを説く本は少なくない。

もちろん、「成功体験」は、ないよりはあるほうがいいだろう。
僕自身、以前うまくいった仕事が、いまの仕事の糧になっている部分はある。

けれど、「成功体験」というのは、こだわりすぎてもいけないものだ。

過去の成功にこだわりすぎる人間は、その成功に縛られる。
以前の栄光を忘れられない人間は、その栄光ゆえにダメになる。


「成功体験」は、ときに人の思考を停止させ、出口のないマンネリに突き落とす。
この業界でも、その罠にかかった人は少なくない。

著者であれ、編集者であれ、デザイナーであれ、過去の成功のイメージから抜けられない人間は、そのコピーをくりかえす。

同じような原稿、同じような構成、同じようなカバーデザイン。
それらの手法は、繰り返せば繰り返すほど、与えるインパクトは自ずと弱まる。

だけど、彼らはもう、そこから逸脱できない。
逸脱することが、怖いのだ。

1年前の僕だったら、そういう人と出会ったときは、そのことを指摘したかもしれない。
でも、いまはしない。黙って見ているだけだ。

自分が作り上げた成功体験の殻は、内側からしか割れないと僕は思う。
それに、ヘタに外側から割ると、「中身」が傷つく可能性だってある。
だから、僕は、黙って見ている。

でも、それが正しいのか、本当はよくわからない。
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by aru-henshusha | 2005-05-02 16:54 | 不定期なヒトリゴト。
「内田樹の研究室」で、こんな記事を見つける。

「強い政治的意見」と「弱い政治的意見」

なるほどな~と思うと同時に、これはべつに、政治に関することだけではないよなと思う。

僕自身、このブログでは、しばしば強い意見・強い言葉を使ってしまう。

だけど、それらの強さは、つねに「正しさ」に立脚しているとは限らない。
むしろ、個人的な思い入れ(思い込みともいう)の強さが、その言葉の強さを支えていることが少なくない。

ときおり、そういう僕の意見に、またまた強い意見を持つ人が言葉をかぶせてくるケースがあって、そうなるとコメント欄で字数と時間をムダに浪費することになる。
(強い者同士がぶつかると、落しどころを探るのが大変なのだ)

強い言葉で語る意見にも、私見の枠を出ないものが多々あるということを、自分も含めて再認識しなければならないなぁと、再認識したしだいである。

この一文は弱い言葉で書いたけれど、伝わる人に伝わればいいと思う。
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by aru-henshusha | 2005-04-11 11:41 | 不定期なヒトリゴト。
c0016141_0205434.jpgいま、遅ればせながら『プロ論』を読んでいる。

もとは「B-ing」に載っていたインタビューを集めたこの本。
各界の著名人の仕事観が垣間見れて、なかなか面白い。

そのなかでも、中島義道氏へのインタビューは、他とは多少毛色が違ったものだったが、ひときわ印象に残る。

中島氏は言う。

社会や人生はそもそも理不尽なんです。不平等で、不公平で、偶然が評価や成功を左右する

みもふたもない言葉だけど、これは事実であろう。
そして、この事実を忘れないことが大事だと僕は思う。

誤解しないでほしいのだが、社会や人生が理不尽だからといって、べつに人生を悲観しろと言う気は毛頭ない。
僕はむしろ、理不尽だからこそ、その理不尽さに屈服したくはない。

世の中には、「何で私だけが」という言葉が口癖の人がよくいる。
僕自身、過去を振り返れば、「何でオレだけが」と思ったことが何回もある。

でも、その「何で」に理由などないのだ。
それは、ただの偶然であり、神というものがいるとしたら、そいつの気まぐれに過ぎない。
そんなもののために、自分が苦しみ、悩み続けるのはバカバカしいことだ。

人は、社会や人生の理不尽さに苦しめられることもあれば、逆に助けられることもある。
それはもはや、個人がコントロールできる範疇のことではない。

僕らはただ、やれることを、やるだけだ。
理不尽さを嘆いて何もやらないよりは、まだましである。
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by aru-henshusha | 2005-03-27 01:08 | 不定期なヒトリゴト。
c0016141_049083.gif「暮らしの手帖」という雑誌に、昔、花森安治という名編集長がいた。

彼の仕事のすごさ、すばらしさは、ここでは語り尽くせない。
編集者として、デザイナーとして、とにかくすごい人だった。

また、彼は戦時中に大政翼賛会にいて、「欲しがりません勝つまでは」のコピーを作ったのもこの人だという噂がある。
(ただし、本人は当時のことを後悔しており、戦後は反戦の姿勢をつらぬいた)

そんな彼のエピソードを、ZengyouNetというお寺のホームページ内のブログで見つけた。
(しかし、お寺もブログの時代ですか……)

いうことを聞く

彼が、亡くなるときに、暮らしの手帖社の大橋社長に言った言葉が胸を打つ。

大橋君。僕は死んでも行くところがない。だから僕は、君に移る。君の中に入り込む。
だから、君は困ったことや、どうしていいか分からないことがあったら、自分に聞け


これは、花森というカリスマが亡くなったあとの、「暮らしの手帖」を案じての言葉だったのだろう。
同時に、人の死というものについて、考えさせられる言葉でもある。

人は誰でも(僕もあなたも)、いつかは死ぬ。
けれど、それはあくまで、自分という肉体が朽ちるだけだ。
自分という存在が、この世から、みなの中から、まるっきり消えてしまうわけではない。

僕はときおり、自分が死んだあと、誰かの中に残れるか考える。

べつに、大勢の中に残りたいとは思わない。
一人でも、二人でもいい。

誰かの中に残り、その誰かの内なる声として、生き続けられるか。
それだけの価値がある人間なのか。

いまは、まだ自信がない。
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by aru-henshusha | 2005-02-12 01:24 | 不定期なヒトリゴト。
僕が面白いと思うブログのひとつに、困ったときのベタ辞典がある。
このブログ、僕らの日常にあふれる、ベタな言葉やシチュエーションを取り上げている。

たとえば、こんなシチュエーション。

自転車をはなす

そうそう、僕のときもそうだった。
最初は補助輪のついた自転車に乗っていて、ある日、その補助輪がとられた。

マンションの駐車場で、母親と二人で、補助輪なしの自転車に乗る練習をした。
最初は母親が後ろを支え、そのうち自転車からそっと手をはなした。

僕はかなりの運動音痴だけど、自転車にはわりとすんなり乗れた。
うれしくて、近所のお寺の敷地をぐるぐる回ったりしたっけ。

親にとって、子供がどれだけかわいいものか、僕ようやくもわかる年齢になった。
でも、いくらかわいい子供でも、手をはなさなければいけない日が来る。
べつに、自転車のことだけを言っているわけじゃない。
子供が自立するためには、親はいろいろなところから、いつかは「手をはなす」必要がある。

今の日本には、「手をはなし損ねた親子」が少なくないように、僕は思う。
親は子供を溺愛し、子供は親に頼りきる。
そうやって、親はいつまでも、子供から手をはなせない。

でも、それは決して、子供のためにはなるまい。

自立するとは「補助輪」を外すことである。
そして人は、いつの日か、また誰かの補助輪になっていく。
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by aru-henshusha | 2005-02-07 17:37 | 不定期なヒトリゴト。
いま僕は、とある営業コンサルタントの方の本を作っている。
先日、その方と打ち合わせをしたとき、「ミッション」の話になった。

最近の企業は「ミッション」というものを掲げていることが多い。
直訳すると「使命」だが、「企業理念」と言っても間違いではなかろう。
(たとえば、マイクロソフトの「ミッション」はこれである)

そのコンサルタントさんは、企業にとって「ミッション」はとても大事だと言っていた。
話の大意をまとめれば、「ミッション」がない企業は、「何をやりたいか、そのために何をするのか」が共有できず、ことあるごとに判断がぶれるし、会社としての強みがないということだ。

その話を聞いているうちに、企業だけではなく人間にも、「ミッション」は必要ではないかと、僕は思った。
同時に、自分の「ミッション」は何かということを考えてみた。
で、以下にその結論を記す。
すなわち、僕の「ミッション」は、「僕自身がめいっぱい幸せになること」である。

これを見て、「おいおい、それは違うんでないの?」と思った人も多かろう。
お前は、そんなに<>のことしか考えていないのか、とお怒りの方もいるかもしれぬ。
でも、誤解を恐れずに言えば、僕自身が幸せになることは、ごく少数だが、他人をも幸せにすることなのだ。

世の中に、僕の幸せを、本当に心から喜んでくれると確約できる人が、二人だけいる。
それは、僕の母親であり、僕の彼女である。(なお、僕の父はすでに亡くなっている)
この二人は、一緒に過ごした年数は違うけれど、ともに僕の人生をどんなときでも見続けてきた人たちだ。
僕がくじけそうなときは叱咤激励し、僕がつらいときは陰で支え、僕にうれしいことがあったときは僕以上に喜んだ。

世間には、僕が幸せになることを、妬む人もいれば、快く思わない人だっている。
(それは仕方のないことである。僕だって、誰かにそういう気持ちを抱くことがあろう)
でも、母と彼女だけは、その限りではない。僕の幸せは、二人の幸せである。

ならば、まずこの二人を幸せにしないで、何が「ミッション」だろう。
いや、そんな堅苦しい言葉はどうでもいい。
自分が幸せになることで、二人も人を幸せにできるのなら、それで十分ではないか。

「世界中の人を幸せにしたい」とか、「平和な世の中を実現したい」というような大きな「ミッション」を持つことも大事である。
けれども、ひたすらその大望に尽力することが、個人として幸せであるかは別の話だ。
自分の器を見誤ったあげく、力のなさを痛感しながら死んでいくとしたら、一人の人間としてそれは不幸であろう。

僕は自分が死ぬときに、「色々あったけど、幸せだった」と思いたい。
また、僕がそういうふうに生きられたとしたら、彼女たちも少しは安心するだろう。
べつに、自分の幸せのために、人様に迷惑をかける気はさらさらない。
仕事であれ何であれ、後悔の残らぬよう、精一杯がんばるだけの話である。

ところで、あなたの「ミッション」は何ですか?

追記
ちなみに、実際の経営者さんでも「ミッション」の重要性を説く人は多いようです。
たとえば、こちらの記事を参照。

ミッション・経営理念

それにしても、久々に「ヒトリゴト」を書いたので緊張しました。
ゆるい文章ばっかり書いていると、おとろえますね。
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by aru-henshusha | 2005-01-30 00:20 | 不定期なヒトリゴト。
c0016141_282334.jpg今日じつは、2年半以上続けてきたHPの更新をやめた。
理由はそちらに書いたので、くりかえさない。
他の人には伝わらないかもしれないが、僕なりの決心のあらわれである。

ふだんはアメリカのHIPHOPしか聴かない僕が、いまは珍しく、HYの「DREAMING」という曲を聴いている。
たまたま、今週レンタルしたものだ。
不思議なほど、いまの僕にマッチした歌詞である。

どこまでも羽をはばたいて止まらずに
そうこの場所に用は無く 只止まる訳も無く 先を行く
あの場所へ続くこの道を見続けて
見えてきたか行くべき場所は 聞こえてきたか心に響く歌は


いまできるのは、先を行くことだけである。
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by aru-henshusha | 2005-01-21 02:21 | 不定期なヒトリゴト。