ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

タグ:企画モノ ( 42 ) タグの人気記事

昔、母親にこんなことを言われたことがある。

「私はあなたなんか生みたくなかったの。
あなたを生んでくれって言ったのはお父さんよ」

母が僕に対して、どういう気持ちでこんな言葉を言ったのかは知らない。
父と母との間で、本当にこういうやり取りがあったのかもわからない。

だけど、僕はこの言葉にひどく傷ついた。

何せ、実の母親から「あなたは必要ない」と言われたのも同然だから。

そして、僕のことを「必要だった」はずの父親は、僕が三歳のときには家を出ていた。
僕は彼には引き取られなかったし、彼は離れた場所で、また新しい家庭を持った。

必要だった」はずの僕は、結果的には、父親にも母親にも「必要とされない」存在だった。


そんな生い立ちだったから、僕はできるだけ「人を必要としない」で生きてきた。

自分のことは、できるだけ自分でした。
人に頼るのが嫌だった。

友達を必要としなかった。
相手は僕を友達と思っていても、僕は心からそうだとは思えなかった。

両親から「必要とされなかった」自分が、誰かを「必要とする」ことが許せなかった。
一時的に力を借りることはあっても、永続的に依存することはできなかった。


そんな僕が変わったのは、間違いなく、君と出会ってからだ。

僕は君のことを、本気で必要だと思った。
一目ぼれだと言えばそれまでだけど、自分の人生にはこの人が必要なんだと、僕は確信した。

二人はやがて付き合った。

二人で誕生日を祝いあって、記念日を数えているうちに、いつの間にか七年が過ぎていた。

喧嘩はいっぱいしたけれど、お互いがお互いを「必要」としている関係だと思っていた。


だから、あの日の君の言葉が、僕にはまるで死刑宣告のように聞こえた。

私にあなたが必要なのか、もうわからなくなった

僕は、瞬間的に、あの日の母の言葉を思い出していた。

ああ、僕は、君からも必要とされない人間なんだなぁって。
ただ、僕が君を必要としてただけなのかもなぁって。

君はその言葉とともに、しばらく距離をおきたいといって、僕のもとから去った。


あの日から僕は、その言葉がずうっと頭から離れなかったよ。

仕事の合間にふと手を休めたとき、休日に一人で飯を食ってるとき、夜が更けてようやくベッドにもぐりこんだとき。

自分は君にとって、必要なのか、必要じゃないのか。
考えても、考えても、わからなくて。

それで、けっきょく、君の答えを待つことにした。


待っている間、「私には、あなたは必要ない」と言われることが本当に怖かった。
自分がここまで必要としている人に、必要でないと言われるのが辛かった。

そんなことは、いくらでも起き得ることだと頭ではわかっている。
でも、この七年間、君のことをを愚直に必要としてきた僕には、その傷はすぐには癒えないだろうと思うと憂鬱だった。

そんな恐怖におびえている間に一か月が過ぎ、昨日、君から、電話をもらった。


久しぶりに声を聞いて、気づけば三時間も話していた。

僕が君に何を言い、君が僕に何を言ったのかは、ここには書かない。

だけど、一つだけ書いておきたいのは、君にとって、僕がまだ必要らしいとわかったこと。


君が僕を必要で、僕が君を必要ならば。
それ以上、僕が言うことはない。

君に必要とされる喜びは、、どんな言葉でも表しきれるものじゃないから。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-07-18 00:20 | 不定期なヒトリゴト。
*この記事は、映画「日本沈没」の試写を見て考えたことがベースとなっています。
映画のネタバレは避けられませんので、同映画を見る予定の方、見るかもしれないという方は、極力スルーしていただいたほうがいいと思います。








今日、映画「日本沈没」の試写会に行った。

先ほど見てきたばかりだし、感想はいろいろあるけれど、一つだけ、自分の中に強く残った問いがある。
それは、人を守るために、自分の命を捨てられるかということだ。


映画の終盤、草なぎ(字が出ない)演じる小野寺という潜水艇のパイロットが、愛する人を、ひいては日本を守るために、ある行動に出る。

その行動は、彼の「」が前提となった行動だ。
行動の結果、愛する人が守られようが守られまいが、どちらにしても彼は死ぬのである。


話がそういう展開になったとき、僕はこの映画を見続けることが苦痛で仕方なかった。

おいおい、けっきょく「死ぬ」のかよ。
生きる」という選択肢は、万に一つもないのかよ。

そう思うと、僕はこの映画も草なぎの熱演も、何もかも嫌になった。


こういうことを言うと、僕を非難する人もいるだろう。

愛する人(あるいは国)を守るために、一人の人間が命をかける。
それは尊いことである、美しきことである、感動的なことであると。


なるほど、そう思う人もいるだろうし、そう思うことが悪いと言いたいわけではない。

でも、そう思う人がどんなに多かろうと、僕はそういう考えが好きではない。
それが、どんなにカッコよく見えようとも、人を守るために「死ぬ」ということを、僕は積極的に支持したくはない。


どんなシチュエーションであろうとも、僕はいつでも「生きる」ことを考える。
たとえ僕が映画の小野寺パイロットのような境遇におかれても、僕はどうにかして「生きる」方法を探すと思う。

べつに、カッコ悪くてもいい。自分勝手と言われてもいい。他人に卑怯と思われてもいい。
自分と、自分の愛する人が、ともに生き残る方法を考える。

そして、生きて、生きて、それから先も、ずっとその人のことを守っていきたいと切望するだろう。
僕にとって「守る」とはそれだけ永く、泥臭い行為である。


物語を終わらすにあたり、主人公が死ねば涙の一つも出るだろう。

あなたは私たちのことを命がけで守ってくれた、ありがとう。
私たちはあなたのぶんまで生きていきます、としめれば一応の格好はつくだろう。

だけど、僕らの人生は、そこでエンドロールが流れるわけじゃない。
残された人たちの人生は、まだまだずっと続いていく。


こんなふうに考える僕は少数派かもしれないけれど、それでもいい。
僕はいつでも、しぶとく、いやらしく生きていく。

死んだらそこで終わりである。死んだらもう君を守れない。


そんな話を、前にもたしか一度だけ、君にしたことがあった。
それを思い出したから、僕はこんなに熱くなってるのかもしれない。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-07-05 23:07 | 不定期なヒトリゴト。
最近、久しぶりに将棋を指している。

といっても、相手は人ではなく、フリーの将棋ソフトだ。
ボナンザ」といって、コンピュータ将棋選手権でも優勝した猛者である。

帰宅してから寝る前の暇つぶしに、これまで何局も戦った。
だが、恥ずかしながら、いまだ一勝もしていない。

ときおり、対局が終わったあとに、ソフトの機能を利用して指し手を再現することがある。

「あのとき、こう指しておけばよかった」「この一手がマズかったなぁ」

そんなふうに、自分の選んだ一手、選べなかった一手を後悔ばかりしてしまう。


久しぶりに将棋を指していると、ふと、人生と将棋は似ているなぁと思う。

誰の人生にも、一度や二度の「悪手」はある。

指してはいけないとわかりながら、指してしまった手。
指せばよかったと思いながら、けっきょく指せなかった手。

けれど、「対局中」に、いつまでもそれを引きずっていてもしょうがない。
勝負が続く限りは「次の一手」に注力すべきである。


ここ数日、自分が指した悪手を、ずっとずっと悔やんでいた。

でも、それはもう過去の一手である。
どんな理由があれ、「待った」をかけようとは思わない。


いま僕は、君の「次の一手」を待っている。
指してほしい手があれば、指してほしくない手もある。

だけど、どんな手が来ようと、受け止める。
それが君が選んだ手であるかぎり、真剣に受け止める。

制限時間は決めてないから、思いっきり長考すればいい。

どんな一手でも、君が一生懸命決めたこと。
その一手を見届けるのが、僕の役目だ。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-06-11 23:19 | 不定期なヒトリゴト。
携帯電話を切ってから、今日が君との記念日だと思い出しました。

付き合って7年と1か月。
こんな日に別れの電話をもらうなんて、冷静に考えれば笑うよね。

予感がなかったわけじゃない。

僕は君をそれだけ追い詰めてたと思うし、でも、それを知りながら何もできなかった。
うん、ぜんぶ自業自得。


今年はほんとケンカばかりしてたよね。

君が僕を怒らせて、僕が君を怒らせて。
罵り合って、傷つけあって。

それでも好きだったから、ほんとバカだなぁと思う。
憎んで憎んで憎んだまま別れられたのなら、きっとこんなに痛くはなかった。


この7年間で僕は変わった。
よくも、悪くも変わった。

でも、僕を「よく」してくれたのは君だと思う。
君は、何もしていないよというかもしれないけれど。

君がいたから変われた部分は、いっぱいあった。


僕は、言い訳はしたくない。

泣き言だって言いたくはない。
(もう言ってるかもしれないけれど)

君に僕が言えるのは、「ありがとう」と「幸せに」。
本当に、本当に、幸せになってください。


幸せへと続く道は、決して一本なんかじゃない。

今日、僕と君は違う道に別れて、もう二度と出会うことはないかもしれないけれど。
君が選んだその道に、たくさんの幸せがあることを。

もしも道に迷ったら、また電話でもしてくれよ。
俺も方向音痴だけど、ちんたらちんたら、君の横を歩くことぐらいならできるから。

ありがとう、そして幸せに。

愛してるなんて、いまさら言わなくてもわかるだろ?
[PR]
by aru-henshusha | 2006-06-08 02:04 | 不定期なヒトリゴト。
腐る本と腐らない本(サンライズ出版の近刊・新刊)
私はずっと前、「食品を扱う業者さんは商品が腐るから大変ね」と言っておりました。
それに引き換え、本は腐らないものだと思っていました。

でも、本も腐るのですね。

会社では賞味期限のある本、ない本としてようやく分別ができるようになりました。
ここでいう「腐る本」とは、流行に乗って短期間で部数がはけるようなタイプの本だろう。
最近で言えば「株」関連の本が、その典型である。

いっぽう、「腐らない本」とは流行に左右されず、何年・何十年にもわたって売れる本だ。
「名著」とか「古典」(文学にかぎらない)といわれてる本がそれにあたる。


「腐る本」には「腐る本」なりの、本づくりの難しさがあると思う。

旬のテーマを見つけ、そのテーマが腐らないうちに一定水準のものを書ける著者にアプローチし、短期で売り切るような販促方法を考える。
当然ながら、営業、広告の力も借りなければ、意図的に仕掛けることはできない。

編集者として、あらゆる方向にむけた「瞬発力」が必要とされる。


もちろん、「腐らない本」をつくるのも大変だ。

長年読み継がれるテーマを掘り当て、時代の変化に耐えうる筆力の著者と、古典足りうる作品を作り上げる。
正直、本をつくる際にそこまで「読み切る」ことができたら、相当の才能だと僕は思う。

そして、それができる人間には、あらゆる意味での「基礎体力」が備わってるはずだ。


編集者として本づくりの現場に携わって、僕は数十冊の本をつくってきた。
その間、どれだけ「腐る本」「腐らない本」をつくってこれただろう。

気がつけば、腐るとか腐らないとか以前に、あるんだか無いんだかわからない本を量産してしまったような気がしてならない。


腐ってもいい。腐らなくてもいい。

僕がつくった本は、どれだけの人に届いただろう。
僕がこれからつくる本は、どれだけの人に届くのだろう。


そんなことを考えながら、迷いながら、僕は本をつくっている。

その迷いが消えることはないと思うけど、迷ったかいがあるような本をつくれればいいと思う。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-06-06 17:13 | 不定期なヒトリゴト。
<日曜日だけど、仕事の話をしよう。>第3回のゲストは、ビジネス作家の成田青央さん(詳しいプロフィールはこちらを参照)。120以上の職歴がある成田さんのものの見方、仕事の仕方は、僕がこれまで出会ってきた方の中でもとりわけ自由で(ときに厳しくて)、とても興味深いものでした。数々のアルバイトから映画会社、経営コンサルティング、作家と多岐に渡った仕事の話に注目です!
*長文になりすぎたので、1、2に分けます。

(この記事は1週間、トップページにおきます)

★インタビュー本文はこちら
[PR]
by aru-henshusha | 2006-05-28 23:59 | 仕事の話をしよう。
まずは―1―からお読みください

★インタビュー本文はこちら
[PR]
by aru-henshusha | 2006-05-28 23:59 | 仕事の話をしよう。
頑張っていれば、きっと誰かが見ていてくれる
なんてことを言う人が、よくいる。

その言葉自体を、僕は否定しない。

世の中、たしかに見ていてくれる人はいる。
自分の頑張りが、自分の知らないところで評価されたりすることもある。


だけど、僕は「誰か」のために頑張るのは得意じゃない。

僕はいつでも、特定の人のことを考えて頑張っている。
その対象は、自分だったり、彼女だったり、家族だったり、友人だったり、仕事でお世話になっている人だったり。

決して、不特定の「誰か」のために頑張ったりはしない。


自分が頑張ることで、自分の知っている誰かが、ちょっとでも嬉しくなったり楽しくなったりすればいいと思う。
もちろん、そのうえで自分の頑張りを認めてもらえれば、なおいいと思う。

そんなご褒美があるからこそ、僕は頑張れる。

何の見返りもなく頑張れるほど、僕は勤勉じゃない。


僕は何も、いらない頑張りを押し売り、「荒稼ぎ」する気はないんだ。
お前にとって迷惑ならば、お前にとって不要ならば、もう頑張りはしない。

それはお前のための(そして僕のための)頑張りであって、ほかの誰かには必要ないものだから。


自分にとっているものと、いらないものを見分けるぐらい、お前にはできると思う。
いらないものは、過去と合わせて丸めて捨てればいい。


お前」のための頑張りは、「お前」が喜ばなければ意味はない。

意味もなく頑張りつづけるのには、もう疲れたよ。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-05-15 20:42 | 不定期なヒトリゴト。
ブログの更新をしばらく休止する、と書いたのが4日前。
まだまだ狂ったような忙しさに変わりはないけれど、ひとつだけ書いておきたいことがあって、一瞬だけ「ある編集者」に戻ります。


僕はこのブログを1年半近く続けているのだけど、これだけ(って、たかだか4日か)更新を休んだことは、いままで一度もない。
旅行や出張でパソコンにさわれないときもあったけど、それでも1日、2日ぐらいしかブランクはなかったと思う。

だから今回、ブログを休止することで、自分にとって何がいちばん辛いのか、知りたいという気持ちはあった。


休止前は、ブログの更新に伴う「インプット」の時間がなくなるのが辛いんじゃないか、と予想してた。

僕はこれまで、ブログを書くために、毎日けっこうな時間を「インプット」に費やしてきた。

ニュースサイト、情報サイト、同業者のブログ、著名人のブログ、笑えるブログ…
いろんなページを見て得た情報や感想は、ブログの題材以外にも、ときには企画のヒントになり、ときには著者や同業者との格好の話題にもなる。

そういったネタを仕込めないのは、自分としては、かなり辛いはずだと思ってた。


でも、その心配は半分当たっていて、半分は間違いだった。

この数日、たしかにネットからのインプットは皆無に近いけど、ほかのものから吸収したことは少なくない。

通勤電車で読んだ本や、著者への取材で聞いた話、いま編集してる本の原稿、帰宅後寝ぼけ眼で見ているテレビ…
どんなものからでも、それなりの「インプット」は可能だった。

問題なのは、むしろ「アウトプット」のほうである。


この数日間、ブログを書かないことで、僕は「ある編集者」としての時間をもたなかった。

朝起きる。会社に向かう。パソコンをひらく。メールをチェックする。今日の予定を確認する。原稿を読む。取材をする。セミナーに出る。企画のネタ出しをする。テープ起こしをする。オビのコピーを考える。会社のHPの原稿を書く。お金のトラブルを片付ける。久しぶりの重版の知らせに喜ぶ。家路につく。

目覚めてから、夜ベッドにもぐりこむまで、僕はずっと、とある版元の三流編集者だ。


「そんなの当たり前じゃん」って思うでしょう?
だけど、僕にとっては、それが辛い。


僕は、本が好きだ。編集という仕事が好きだ。

けれど、朝から晩まで、一日中、仕事のことを考えてたら疲れるよ。
会社の名前を背負って、一日中、編集者やってたら疲れるよ。


ブログを書いているときだけは、僕はどこの馬の骨ともわからぬ、「ある編集者」でいられる。
好き勝手に記事を書いたり、気楽なコメントのやりとりを楽しんだりして、仕事のことをしばし忘れることができる。

そういう時間をはさまないで、ずっと「名刺の肩書き・名前のままの僕」でいるのは辛い。

生真面目で、仕事熱心で、ときに雄弁で、実力以上の期待をされて。

その僕は、社名とか肩書きのとれた、生身の僕とは違うから。


久しぶりにブログを書くと、本当に、「戻ってきた」という気がする。

僕が「ある編集者」でいる時間は、一日の何分の一もないけれど。
明日からまたしばらく、とある版元の三流編集者でいつづけるけど。

次に戻ってこれる日まで、もう少し待っていただけたら幸いです。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-04-26 23:25 | 不定期なヒトリゴト。
むかし、ある人を傷つけたことがある。

どのように傷つけたのかは、ここでは書かない。
ただし、僕の思いやりのなさで、その人をひどく傷つけたことだけは間違いない。

その人に謝って、その傷が癒せれば、どんなにいいだろう。

だけど、それが可能かどうかは、相手によって違う。

自分を傷つけた相手から、何を言われても傷はいえないという人もいよう。
そう思うことは当然だし、そう思われている以上、こちらが何をしようと、それは自己満足に過ぎない。


僕が傷つけた人の傷口は、僕がふれれば、もっとひどくなる種類のものである。
だから、僕は遠くから、その傷口をそっと見守ることしかできない。

僕に今できることは、むかし誰かを傷つけたぶん、ほかの誰かの傷を癒すことだと思う。

べつに、過去から逃げる気もないし、開き直る気もない。
ただただ、むかしできなかったことを、今、ほかの誰かにするだけだ。


もちろん、僕は今でも無知だし、やさしくないし、何かと至らないところだらけの人間だ。
そんなやつが、人の傷を癒す癒さないなどと言うのは、傲岸である。

けれど、それでも、自分のできることを少しずつでいいからしていきたい。

他人を傷つけることが、生きている限り避けられないことだとしても、
人を傷つけるだけの人生などは送りたくない。

僕がむかし、誰かに傷つけられたとき、その傷を癒してくれた人がいるように。
自分も誰かにとって、そんな存在でいられたらいいと思う。

その程度のこともできなくて、何のための人生か。
[PR]
by aru-henshusha | 2006-04-19 00:07 | 不定期なヒトリゴト。