「ほっ」と。キャンペーン

ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha
サイバラの漫画を見ていると、高須さんって、とんでもない金の使い方する人だなぁ、という印象しかなかったんですが。

下の記事を読んで、だいぶ印象が変わりました。

西原理恵子さんを救った、高須院長の言葉(いやしのつえ)
西原「子供ふたり抱えて仕事しながら家にアル中(注:元夫→鴨志田穣)がいるとね、もう何をどうしていいかわからなくなるんです。そこに落とし穴があるのに、自分から入っていっちゃう感じ。やっぱり体力が一番きつかった。とにかくのどが乾いてたって記憶がありますね」

そんな大変な生活をそれでも6年続けたが、長男2歳、長女4ヵ月の時に離婚。母親として子供を守るための決断だった。

西原「ガンと同じなのよ、アル中って。家族の愛情で治そうってことがもう間違いなの。専門の医師じゃないと治せないんです。それがわかるのに6年かかった」

『毎日かあさん』は破天荒な夫を持った妻の子育て現場ルポでもある。最新刊「出戻り編」ではアル中を克服した鴨ちゃんと再び同居。ガンで亡くなるのを看取るまでが描かれている。

西原「帰りたい。鴨ちゃんにそう言われた時、最初は断るつもりだったの。記憶は飛んでるのに、あの生活を思うだけで呼吸がまだ苦しくなったから」

彼のためじゃなく、あなた自身のために彼を受け入れてあげるべきだ。じゃないと絶対に後悔する」そう言って、この時、西原さんを説得したのは、作品にもしばしば登場する大の西原ファン、高須クリニックの高須院長だった。

西原「高須先生はそれこそ何万人もいろんな女の人を診てきているからね。プロファイリングの量が違う。ありがたかった」
今、手元に『毎日かあさん4 出戻り編』がないのでうろ覚えですが、鴨ちゃんのことを描いたくだりを読むと、西原にとっても、二人の子供たちにとっても、四人で過ごした最後の日々はとても大切な時間だったんだろうな~と感じました。

そして、その生活を可能にした要因の一つは、高須院長の一言だったわけで。


彼の言葉に便乗するようですが、人を許したり、受け入れたりするのは、決してその人のためだけではないときがあると思うんです。

その人を許さないことが、回りまわって、自分の心にチクリとささったまま抜けないトゲになることがある。
とくに、その関係のまま、相手が手の届かないところへ行ってしまった場合は。


僕は昔、ある理由でずっと憎み、遠ざけていた母親が脳梗塞で倒れたとき、自分の心には一生抜けないトゲが残ると思いました。

幸いにも、母はその後、回復したのですが、そういうキッカケがない限り、彼女を許せなかった自分が今でも恥ずかしくなります。


ケースバイケースを承知で言いますが、許すことで救われるのは、相手ではなくて、自分自身かもしれない。

人を許すというのは、思った以上に複雑で、とても難しいことです。
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by aru-henshusha | 2008-04-30 02:28 | 名言・言葉
自分のことを、心底ブサイクだなと思ったときがある。

そりゃあ、もともとイケメンとは対極の顔立ちなのだけど、
自分自身、どうしようもないブオトコだと気づかされた瞬間があるのだ。


きっかけは、写真である。
その写真は、高校の体育祭で、本気で走っている僕の姿をとらえた一枚だった。

いや、ひどいのなんのって。写真の中の僕は、とんでもない形相をして走っている。

よくテレビのバラエティ番組の罰ゲームで見る、頭からパンストをかぶされて、
それをそのまま上に引っ張られたタレントみたいな、本当にひどい顔。

あまりのブサイクさに、我ながら、声を上げて笑ってしまった。


他の人のことは知らないけれど、本気で走っている僕は、
いつも、こんなふうにかっこ悪いのだろう。

顔だけじゃなくて、何もかもがイケてない。

そんな僕が、もしも走っているときにコケたら、きっと、これほどかっこ悪いことはない。


じつは今日、コケたんだ。

といっても、これはたとえで、本当に道路やトラックで転んだわけじゃない。

ここ数か月、本気で走ってきた「道」で、僕はコケた。
自分でも、本当にかっこ悪くて、ひどいコケ方をしたと思う。


けれど、きっと、コケなきゃ僕は止まれなかった。

その「道」には、もともとゴールが用意されてなくて。
でも僕は、それを知らずに走り出してしまっていて。

いつもみたいに、ブサイクで、不恰好なランナーは、
派手にコケて、痛みを覚えて、それでようやく止まることができた。


考えてみたら、そんなことは、今まで何回もあった。

本気で走って、本気なだけにかっこ悪くて、
それでも構わず駆け続けて、思いだけが先走って。

何度も何度も、見事にコケた。


本気で走らなければ、途中で止まったり、引き返したりもできるのだろう。
いや、そもそも普通の人は、走るべきか否かを、もっと冷静に吟味しているのかもしれない。

そういう生き方に、学ばなければいけない点があるのはわかる。

だけど、僕はきっと、次も本気で走り出してしまう気がする。


人生の中で数回だけ、本気で本気で走り続けて、そのままゴールしたときがあって、
その喜びを、僕は今でも昨日の出来事のように覚えている。

あのときの僕は、周りから見れば相変わらずカッコ悪かっただろうけれど、
多分、世界中で一番幸せな男だった。


本気で走って、本気でコケたら、かっこ悪いし、痛くもある。
けれど、その先にある喜びは、そんなことがどうでもよくなるほど大きい。

それを知っているから、僕は本気で走ることが好きなんだ。

次のレースは、もしかしたら、もう始まってるのかもしれない。
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by aru-henshusha | 2008-04-05 22:24 | 不定期なヒトリゴト。
最近、ある人に振られた。

こう書くと、いつもの冴えない(?)恋愛話を期待する人がいるかもしれないけど、そうではなくて。
僕が振られたのは、ある著者である。


このブログをよく読んでくれる人はご存知だと思うけど、僕の本業は「ビジネス書」の編集者だ。
ビジネスマン(&ウーマン)対象の本を作るのが仕事だから、折を見ては、コンサルタントやら企業の社長、各種士業の先生に本を書いてくれと頼みに行く。

けれど、僕が最近振られた著者は、そういった職業の人ではなく、まったく異分野の人である。
いままでビジネス書など書かなかった人なのだけど、彼の専門分野の話はビジネスにも生かせるところが多い、とふんで会いに行ったのだ。


彼が指定した喫茶店で、いくらかの世間話と専門分野の話を聞いた。
その話はめっぽう面白くて、またビジネス書としても全然いけそうで、僕は最後に、今日聞いたような話を、ぜひビジネス書として作らせてほしいと頭を下げた。

そして、あっさり振られたわけだ。


彼は言った。

「僕の専門分野の話を専門書として出すのなら、僕は喜んで受けます。
けれど、それをビジネスとか、自己啓発といった分野の本として出したいのなら、僕は断ります。
申し訳ないけれど、それは、僕がしたいことではない。他に適任の人がいるはずです」

僕はこの言葉を聞いて、編集者としては失格かもしれないけれど、素直に引き下がった。
残念だったけど、同時に、心からその言葉に納得してしまったから。


ここのところ、僕はよく、「したいこと」と「しないこと」を考える。
昔は「したいこと」だけ考えていたけど、歳をとったいま、むしろ「しないこと」についてよく考える。

人間、気がつくと、思った以上に、しなくてもいいことをやっている。
そのすべてが無駄だとは言わないけど、しなくてもいいことに時間を費やしすぎて、「したいこと」をやる時間がなくなっては本末転倒である。

だから僕は、何をしたいか以上に、何をしないかを考えるようになった。


僕が会いに行った彼も、「したいこと」と「しないこと」がハッキリ決まっていた。

したいことを悔いのないようにやり切るためには、しなくてもいいことは絶対しない。
その決意を僕は潔いと思ったし、「彼のしたいこと」をさえぎってまで「僕のしたいこと」を押し付けるのは、僕が「心からしたいこと」ではないと感じた。


本を作ることは叶わなかったけれど、一冊の本を一緒に作り上げる以上に、彼からは大事なことを学んだように思う。
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by aru-henshusha | 2008-03-17 02:14 | 不定期なヒトリゴト。
c0016141_4145714.jpg唐突だけど、これから、一編の詩を紹介したい。

とても長くて、正直、引用の限界を超えているとは思うのだけど、
関係者の方は目をつぶっていただけるとありがたい。

紹介するのは、大野勝彦さんという、事故で両手を切断したものの、
いまは二本の義手で絵を描き、詩を綴っている方の作品だ。

なお原典は、今年の夏にサンマーク出版から出された、
はい、わかりました。』に拠っている。


神様からのメッセージ

それでも生きるんじゃ
それだから生きるんじゃ
何だ偉そうに
「格好悪い。ああ人生はおしまいだ」
なんて、一人前の口を叩くな
あのな、お前が手を切って
悲劇の主人公みたいな顔して
ベッドで、うなっていた時なー
家族みんな、誰も一言も
声が出なかったんだぞ
ご飯な、食卓に並べるのは並べるけど、
箸をつける者はだぁれもいなかったんだぞ
これまで一度も、神様に手なんか
合わせたことがない三人の子どもらナ
毎晩、じいさんと一緒に、正座して
神棚に手を合わせたんだぞ
バカが
そんな気持ちも分からんと
「なんも生きる夢がのうなった」
「他の人がバカにする」
そんなこと言うとるんだったら
早よ、死ね
こちらがおことわりじゃ
お前のそんな顔見とうもナイワイ
どっか行って、メソメソと
遺書でも書いて、早よ、死ね
なー体が欠けたんじゃ
それでも生きるんじゃ
それだから生きるんじゃ
考えてみい、お前の両親いくつと思う
腰曲がって、少々ボケて、もう年なんじゃ
一度くらい、こやつが、私の子どもで良かった
「ハイハイ、これは私達の自慢作です」って
人前でいばらしてやらんかい
もう時間がなかぞ
両手を切って、手は宝物だった
持っているうちに、気づけば良かった
それに気づかんと、おしいことをした
それが分かったんだったら
腰の曲がった、親の後ろ姿よー見てみい
親孝行せにゃーと、お前が本気で思ったら
それは、両手を切ったお陰じゃないか……
今度の事故はな
あの老いた二人には、こたえとるわい
親父な、無口な親父な
七キロもやせたんだぞ
「ありがとう」の一言も言うてみい
涙流して喜ぶぞ、それが出来て
初めて人ってもんだ
子供達に、お前これまで何してやった
作りっぱなし、自分の気持ちでドナリッパナシ
思うようにならんと
子育てに失敗した、子育てに失敗した
あたり前じゃ
お前は、子育ての前に
自分づくりに失敗しているじゃなかか
あの三人は、いじらしいじゃないか
病室に入って来る時ニコニコしとったろが
お前は「子達は俺の痛みも分かっとらん」
と俺にグチ、こぼしとった
本当はな、病室の前で、涙を拭いて
「お父さんの前では楽しか話ばっかりするとよ」と、
確認して三人で頭でうなずき合ってから
ドアを開けたんだぞ 学校へ行ってなー
「俺のお父さんは手を切ってもすごいんだぞ。
何でも出来て、人前だって平気なんだぞ」
仲間に自慢しているっていうぞ
その姿思ってみい
先に逝った手が泣いて喜ぶぞ
しゃんとせにゃ
よし、俺が見届けてやろう
お前が死ぬ時な
「よーやった。お父さんすばらしかった。お父さんの子どもで良かった」
子どもが一人でも口走ったら俺の負けじゃ
分かったか
どうせまた、言い訳ばかりしてブツブツ言うんだろうが
かかってこんかい!
歯をくいしばって、度胸を決めて
ぶっつかってこんかい
死んだつもりでやらんかい
もう一遍言うぞ
大切な人の喜ぶことをするのが人生ぞ
大切な人の喜ぶことをするのが人生ぞ

時間がなかぞ………………
時間がなかぞ………………


この詩を読んでどう思うかは、人それぞれだろう。
また、どんなときに、この詩を読むかによっても、感じるところは違うはずだ。

僕がこの詩に出合ったときは、たまたま、この詩を「受け入れる」準備があった。

普段だったら「神様からのメッセージ」なんて詩、死んでも読まないと思うのだけど、
そのときの僕は、ただ素直に文章を追いかけた。


そのとき、僕の心をつかまえたのは、次の言葉だ。


それでも生きるんじゃ
それだから生きるんじゃ



生きていれば、辛いことがある。悲しいこともある。
憤ることがあれば、ままならないこともある。

自分が歩むその先に、光を見たいのに、闇ばかりで何も見えないときがある。


それでも、僕は生きている。

自分の今の境遇・立場を恨むこともあるけれど、
「死ぬか生きるか」と訊かれたら、やっぱり、僕は生きていたい。


生きている限り、小さくても喜びはある。幸せもある。
辛いことと悲しいことの隙間に、つかの間でも楽しい一時がある。

どれも、生きているから感じられる。
死んだら、(多分)何もない。


うまくいかないことだらけの日々の中で、たまにうまくいくときがあって、
たまにだからかもしれないけれど、それがとても嬉しくて。

そういう時間を少しずつでも増やしていけたら、
人生ってやつも、捨てたもんじゃないと思えるかもしれない。


そのためには、生きるしかない。
生きて生きて、ちょっとでも光があるだろう方向に進むしかない。

この先には光がないと断言して、絶望して、立ち止まるより、
無鉄砲でも、もう少し先に進みたい。


誰の人生にも、いつかは、等しく闇だけの世界が来る。

それでも生きる、それだから生きる。


残り時間がどれだけあるか知らないけれど、
どうせ一度の人生ならば、僕は行けるとこまで行こう。
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by aru-henshusha | 2007-11-12 04:19 | 不定期なヒトリゴト。
僕の敬愛する作家、山口瞳さんが書いた文章に、「少年達よ、未来は」というものがある。
少し長くなるけど、その一部をここに紹介したい。
 私が会社に勤めて月給を貰うようになったころ、そのとき私はまだ二十歳だったのですが、私の先生にあたる人と一緒に、ある会場に行くということがありました。
 駅で切符を買い、改札口を通ったときに、電車がプラットフォームにはいってくるのがわかりました。駈(か)けだせば、その電車に乗れるのです。すこし早く歩いたとしても乗れたと思います。周囲のひとたちは、みんな、あわてて駈けてゆきました。
 しかし、先生は、ゆっくりと、いつもの歩調で歩いていました。私たちが階段を登りきってフォームに着いたとき、電車は扉(ドア)がしまって、発車するところでした。駅には、乗客は、先生と私と二人だけが残されたことになります。
 先生は、私の気配や心持を察したようで、こんな意味のことを言いました。
「山口くん。人生というものは短いものだ。あっというまに年月が過ぎ去ってしまう。しかし、同時に、どうしてもあの電車に乗らなければならないほどに短くはないよ。……それに第一、みっともないじゃないか」
(『山口瞳「男性自身」傑作選 中年篇』などに収録)
僕はこの話が昔から、とても好きだった。特に太字で示した「先生(多分、この方を指している)」の言葉は、とても味わい深い言葉だと思ってきた。

でも、僕がこの話の「味」を本当の意味でわかるようになってきたのは、最近のことだろう。
かつての僕は、きっと「あわてて駈けて」いく、乗客のような人間だったはずだから。


自分で言うのもなんだけど、僕はいままでの人生で、あまりレールを外れたことがない。

ストレートで大学に進学し、4年で卒業。就職活動は手こずったが、何とか出版業界にもぐりこみ、途中で会社をかわりはしたものの、一貫して書籍編集のキャリアを積んできた。

自分の意思のみで決まったことではないけれど、その時その時で、「乗るべき電車」に滑り込んできたように思う。


けれど、近頃の僕は、少し違う。

ホームに来た「電車」に無理して駈け込まなくなった。
仕事のことでも、それ以外のことでも、ここ数年で何本かを見送ってきた。

中には、自分の人生において、大きな意味を持つ電車もあったと思う。
人から「切符」の用意までされたときもあった。

でも、乗り込まなかった。正確に言えば、乗り込めなかったときもあっただろう。


次の電車がなかなか来ないとき、あの電車に乗ればよかったのかも、と思うこともある。

だけど、それは意味のない感傷だ。

何より、あのときの僕には、乗らない理由も、乗れない理由も、存在した。
電車が満員だったわけでもなく、誰かに突き飛ばされたわけでもなく、自分の意思で、僕はホームにいた。


「少年」と呼ばれる時期をとっくに過ぎて、自分の残りの人生の短さを思うたびに、僕は「先生」の言葉を思い出す。

人生のダイヤグラムは読めないけど、それでも後何本かの電車は来るだろう。
だったら、自分が乗りたいと思ったときに、乗ればいい。

人生は短い。でも、思ってるほど、それは短くない。

大事なのは、まず「目的地」を決めること。
それが決まるまで、僕は、もう少しホームにいよう。
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by aru-henshusha | 2007-09-18 01:55 | 不定期なヒトリゴト。
ちょっとしんみりするネタを引っ張ってきてしまったのだけれど……

西原理恵子さんと『100万回生きたねこ』
(活字中毒R)
今年の春、西原さんはパートナーであり、子供たちの父親であるジャーナリストの鴨志田穣さんを腎臓がんで亡くした。葬儀のとき、西原さんの友人の医師・高須克弥さんが、こう言ってくれたのだという。
「息子たちを指差して『人間は遺伝子の船。あんなに新しい乗り物を用意しても
らった鴨志田さんは、本当に幸せだった。新しい船に乗り換えたのだから古い船
のことはもう忘れていいんだよ』って。実際、息子はささいなクセが、どんどん
父親に似てきている」

そして、鴨志田さんの生き方は、『100万回~』のラストとも重なる気がするのだという。
「とらねこが”負のスパイラル”を絶って死んでいった、とも読めるんですよね」
アルコール依存症だった鴨志田さん。一度は離婚して家を出たが、施設に入り、克服。亡くなるまでの半年間はもう一度、西原さんと子供たちと共に暮らすことができた。
「家に戻ってきたときは、『子供に渡すことなく自分の代で、アルコール依存症のスパイラルを絶つことができた』ってすごく喜んでいましたね。ちゃんと人として死ねることがうれしいって。鴨志田の親はアルコール依存症だったから。
負のスパイラルについては、ふたりでよく話し合っていた。生い立ちが貧しいっていう自覚がお互いにあって。また貧困家庭を作ってしまうんじゃないか、と私もずっと心配だった。だから、とにかく仕事をしてお金を稼ごう、とずっと思っていた」
この話、僕もよくわかる。

いや、サイバラ・カモちゃんにしてみれば、お前に何がわかるんだよ、と言いたくもなるだろう。
でも、背負った「負」の重みはそうとう違えども、僕もときおり、同じようなことを考える。


僕にとっての「負」は、母子家庭であったこと、そして(むろん、貧困と言うほどではないけれど)
それなりに貧しかったこと。

当時味わった苦しみを、いま思い出すことはほとんどない。

けれど、心のどこかではそれを覚えているし、自分が将来、もし家庭をもったときに、
それらの不幸や苦しみを「うつす」ことになりはしないかと、じつはずっと心配してきた。


僕は、世間から見れば、もう「結婚してもいいころ」の男である。
実際、年々同級生は結婚していくし、人によっては子供だっている。

だけど、いままで結婚に踏み切ることはできなかった。
この女だったら結婚してもいい、と思えた相手でも、
「結婚」の二文字はどうしても口にできなかった。

その背景には、色々な理由・事情があったけど、
いちばん大きかったのは、この「負のスパイラル」だったと思う。

いま仮に家庭をもったとしても、自分は「負のスパイラル」を断ち切れないんじゃないか。
そう思うと、一緒になってくれとは、どうしても言えなかった。


皮肉なことに、僕は年々、あの親父(ひと)に似てきてる。

だらしがないところ、はっきりしないところ、どこか冷たいところ、ときにとても無謀なところ……
親父のダメな部分を、残念ながら、僕はけっこう受け継いでしまったようだ。

だから、怖い。自分が怖い。

たとえ家族をもったとしても、けっきょくは自分のことしか考えなさそうで。
いつかポイッと、その家族を捨ててしまいそうで。


「負のスパイラル」を断ち切るためには、どうしたらいいんだろう。
自分の考えを「正解」という気はないけれど、僕は僕なりに答えを出した。

すなわち、僕自身がまず幸せになること。
自分がいまの自分の人生を肯定できること。過去の「亡霊」を笑い飛ばせること。

そういう状態になれば、こんな僕にも、何らかの余裕ができるんじゃないか。
不幸を他人に「伝染」させる前に、自らの幸せのおすそ分けができるんじゃないか。

いまは、そう思って毎日を生きている。


もちろん、これは多分に僕の考えすぎなのかもしれない。
心配性だとか、被害妄想だと思う人もいるだろう。

でも、一度「負」を味わった人間は、万が一でも、それを他人には味わわせたくないんだよ。
僕みたいな思いをした人間を、できればつくりたくないんだよ。

「負の終点」には、僕がなればいい。
べつにカッコつけてるわけじゃなくて、それもまた、僕にとっての幸せなのだから。
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by aru-henshusha | 2007-08-23 01:34 | 不定期なヒトリゴト。
少し前の記事ですが……

本の章立てをするということ(結城浩の日記)
まず、紙を広げて「第1章」と書きます。「Chapter 1」でもいいです。そして「ええと、第1章には何を書こうかな」と考えます。これと、これと、これと、これ。という風にその章に書くことを箇条書きにします。できれば、そのときに第1章の見出しも書きます。手を休めて、読み返し、「あ、この章にはこういうことも書こうかな」と思ったらそれも補足します。

次に「第2章」と書きます。「Chapter 2」でもいいです。そして「ええと、第2章には何を書こうかな」と考え…。

以上を、その本で書きたいことが尽きるまで、つまりは最後の章まで繰り返します。書き終えたら、手を休め、全体を読み返します。

これが「章立てをする」という作業です。

…当たり前みたいなことを書いていますが、大事なんですよ。大事なことが二つあります。

* 頭の中で考えるだけじゃなく、紙を広げて実際に書くこと
* とにかく、最後まで書くこと

「実際に書く」「最後まで書く」この二つが大切。
これは「本の章立て」だけでなく、会社員が企画書を書くときや、学生が論文やら読書感想文を書くさいにも、同じことが言えそうです。

いや、もちろん、それなりの「見取り図」はいるとは思いますよ。
読書感想文だったら、ある本のどこが面白かったとか、こういう表現が気に入ったとか、何をどういう順番で書くかぐらいは決めておいたほうがいい。

でも、そこで安心してはいけないと思うんです。

書けそうだから後でいいや、ではなく、書けそうだから「実際に」「最後まで」「とにかく」書くことが大事なんじゃないかなと。
(いざ書き始めてみたら、足りないものや、それまで考えてもいなかったことを発見できるでしょうし)

また、この「書く」は「作る」とか「話す」とか「する」とか、他の動詞に置き換えても、大事なポイントなのかもしれません。

僕自身、<最初の一歩>をなかなか踏み出せない人間なので、「実際に」「最後まで」「とにかく」の重要性を感じます。
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by aru-henshusha | 2007-07-23 22:43 | 本・出版
個人的には、かなり「UZEEE(ウゼー)!」と思ってしまいましたが……

みんな、見た目の年齢気になる?(L25.jp)

年齢を聞かれたとき、どう答える? (単数回答)
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これってやっぱり、実年齢よりも若く見られることを期待しているんでしょうかねぇ……

こういうヤリトリ、はてしなく面倒くさいなぁ……
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by aru-henshusha | 2007-07-19 20:43 | 恋愛・男女
渡辺和博さんが「私のようなフリーライターの子どもは……」と相談されたときに返した言葉
(活字中毒R。)
昔、私のようなフリーライターの子どもは……、と渡辺さんに相談したら、「馬鹿、子どもにとっては自分の親が普通だ」と叱られた。
*『週刊アスキー・2007/7/17号」(アスキー)の「Scene2007」(文・神足裕司)より。

今までに何度もこのブログに書いていますが、僕の亡くなった親父もかつては編集者でした。

親父に直接聞いたわけではありませんが、彼ももしかしたら「編集者(であった)自分の息子」の行く末を案じていたのかもしれません。

親父が亡くなった後、数年たって、僕は彼と同じ職業につきました。
母親にはけっこう反対されたのですが、僕が頑固なのは昔から変わらないので、けっきょく自分で選んだ道を行くことにしました。


その後、著者や学校の後輩から、「あなたは、なぜ編集者になったのですか」と質問されることが何回かありました。

そう聞かれるたびに、僕は、「いやぁ、うちの父が編集者だったもので……。一番身近な仕事が<編集者>だったんですよ」と答えるようにしてきました。

ずいぶんテキトーな志望動機ですが、それだけが理由ではないにせよ、親父が編集者だったことが、僕に大きな影響を与えているのは間違いないでしょう。


言い換えれば、それは僕にとっての「普通」でした。

親父が編集者であったこと、彼の(仕事への熱心さやら何やらの)せいで家庭が壊れたこと、親父が本当はどんな人なのかもわからないまま何年も過ぎたこと、親父が生きている間にけっきょく数回しか会えなかったこと……

他の家の子供と比べたら少し変わっていただろうウチの事情も、僕にとっては、すべて「普通」でした。


何とまとめればいいのかわかりませんが、ようは子供の数だけ「普通」の親がいて、「普通」の家庭があるということなのでしょう。

でも、こんな「普通」のことが納得できるのにも、けっこう時間はかかりましたがね。
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by aru-henshusha | 2007-07-15 03:01 | 本・出版
手抜きして、図のみ転載させていただきます……

私って暗いですか? 20~30代女性「パソコンに話しかけたことがある」4割(MarkeZine)
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ペットよりも「野良」が若干上回っていますねぇ。
(まあ、誤差の範囲かもしれませんが)

僕も野良ネコにはちょくちょく話しかけてます。
それ以外に相談相手がいない、なんてね。
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by aru-henshusha | 2007-06-01 16:40 | 日常生活