自分は何が欲しいのか、思った以上に、僕らは知らない。
2008年 11月 11日

『スティーブ・ジョブズの流儀』
ねっからのWindowsユーザーの僕ですが、ものづくりに携わる人間として、学ぶところが多い本でした。
紹介したい話はたくさんあるのですが、「フォーカス」が信条の彼にならって、一番印象に残った部分にポイントを絞って引用します。
(新製品を作る際、ユーザーの意見・要望を調査することをジョブズは好まない、という記述の後に)彼はまた、雑誌のインタビューに答えて
ジョブズはつねにユーザー体験を重視した、とジョン・スカリーは言う。「彼はいつもユーザーがどのように体験するかという観点から物事を見ていた。でも、そのころの多くのマーケティング担当者のように消費者のところへ行って彼らの望みを訊く、みたいな方法は信じていなかった。彼は言ったものだ。『グラフィックベースのコンピュータが何かを知らない人に、グラフィックベースのコンピュータはどうあるべきかを訊くなんてどだい無理な話だ。だれも見たことがないんだからね』とね」(同書82ページ)
「自分が何をほしいかなんて、それを見せられるまでわからないことが多い」とも言っています。
(同書83ページ)
たしかに、これまでにない新しいものであればあるほど、実際にこの目で見なければ、その良し悪しを判断することは難しいはずです。
ところで、自分は何を欲しいのか、僕らは「それ」さえ見れば、わかるのでしょうか?
僕は、時と場合によっては、「それ」を手に入れた後でさえ、自分の本心がわからなくなるときがあるように思います。
ビジネスの話からそれますが、何十年も生きていると、自分が一生懸命頑張って手に入れたものが、本当に欲しいものだったのかどうか、迷うことがあります。
むろん、それは単なる気の迷いかもしれないし、一時的に飽きがきただけなのかもしれません。
けれど、一方で、自分は、自分が欲しいものが本当にわかっているのか、不安に思ったりもします。
自分は何が欲しいのかを知るということは、自分を知ることに他なりません。
そして、僕らは、思った以上に、自分のことを知らないんじゃないかなという気がします。
欲しいから手に入れて。でも、手に入れたら、それが本当に欲しいものかわからなくなって。
気づいたら、手に入れたものを失って。失ってから、そのものの大切さに気づいたり。
そうやって、迷って迷って生きるのが、天才ジョブズとは180度違う、僕の流儀なのかもしれません。
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