太宰の言葉は、心に沁みる。
2004年 12月 25日
二十歳過ぎても太宰が好きだと言うのは、幾分恥ずかしいのだけど、やはり好きなものは好きなのである。
彼の小説(あるいは箴言集)には、心に沁みる言葉が多い。
とくに、自分が辛いときほど、その辛さと重なる言葉を思い出すのが慰めになる。
ちなみに、最近の僕は、『斜陽』の次の言葉がとくに沁みる。
僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂(うわさ)した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻(うめ)いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。
どうも、くいちがう。
他人は、何も見えていない。