『バッテリー』を読んだら、「物語の力」を思いだした。
2005年 06月 25日

たぶん、社会人になってからは、一度もそんなことがなかったと思う。
むろん、忙しくて、それだけの時間がとれなかったということもある。
でも、それ以上に、1日に何作も読みたいと思える書き手に出会えなかった。
けれど、今日読んだ『バッテリー』(3巻まで、角川文庫版)は、一度読んだらとまらなかった。
電車で遠くまで出かける用事があって、1巻を車内で読み出したのだけど、先が読みたくて、帰りがけに池袋の書店で2巻、3巻を購入。
家に帰って、さきほどまでかけて、ようやく読み終えた。
この物語は、あきれるほど「まっすぐ」な物語だ。
主人公・原田巧のようなまっすぐな(冷酷なまでにまっすぐな)少年は、現実世界ではなかなかお目にかかることはできない。
大人の世界になると、そんな奴は皆無である。
この物語の中には、僕らが失った(あるいは、はなから持ち得なかった)「まっすぐ」さがこれでもかというほど描かれている。
それが可能なのは、あくまでこれが「物語」だからだろう。
そして、同時にそれが物語の「力」であり、「存在意義」なのではないか。
ありそうなことを、ありそうに描いた物語は、しょせん現実に負ける。
なさそうなことを、ありそうに描いた物語こそ、真の物語だと思う。
とまあ、こんな小難しいことを考えなくても、十分楽しめる本だから、気になった人はどうか手にとってほしい。
この本を子どもだけに読ませておくなんて、そんなもったいないことはない。