「必要な人」が、「大切な人」とは限らない。(ヒトリゴト。15)
2005年 09月 24日
人は誰でも、必需品と言えるものがあるだろう。
たとえば、僕の場合はメガネである。
子供のころから近眼の僕にとって、つねにメガネは必要だ。
これがなければ、仕事にならないし、日常生活だってかなり不便である。
けれど、僕は必需品であるメガネを、けっこう雑に扱っている。
寝るときはテキトーな場所に放り投げて、まめにレンズをふくわけでもない。
自分に必要なもののわりに、お世辞にも大切にしているとは言えない。
その存在が身近すぎて、ぞんざいに扱ってしまうのか。
壊れても、また買い換えればいいやと思っているのか。
自分でも、よくわからない。
誰かにとって「必要である」ということは、それを「大切にする」ということを、必ずしも意味しない。
これは「物」だけでなく、「人」にも言えることだろう。
相手が組織であれ個人であれ、「必要とされる人」が「大切にされる人」とは限らない。
必要なときだけ必要な人の力を借りておいて、ふだんは何の気にもかけないような人間がいる。
それは、ただの「利用」である。
誰かに必要とされている。
他人からそう思われることは、一人の人間としてたしかに嬉しい。
だけど、その「使命感」だけで、人はどこまで頑張れるだろう。
「必要」の名のもとに「利用」され続けるうちに、心も体も磨耗してしまう。
僕が必要ならば、それなりに大切にしてほしい。
甘い言葉であなたのエゴが見えなくなるほど、僕はもう若くはない。

