朝日新聞の『嫌韓流』書評を、どう読むか?
2005年 09月 25日
(【他称:原理関係者】mumurブログ)
上に紹介した記事で、朝日新聞に載った、唐沢俊一による『嫌韓流』の書評の全文が読める。
正直、一読しただけでは何が言いたいのかわかりかねる文章だが、そのいっぽうで色々な読み方ができると思う。
ポイントの1つは、以下の文章か。
作者をはじめ、この本を支持している若い読者層は自分の感情を素直に表明することを是として教育を受けてきた世代である。その彼らに、なぜ嫌いなものを嫌いを言ってはいけないと強制するのか、本の内容の否定の前に真摯に回答する義務が、われわれ大人世代、そして知識人諸氏にはまず、求められるのではあるまいか。多くのベストセラーがそうであるように、この本も、この本を嫌う人がまず、試されているのだと言っていいだろう。
この「知識人諸氏」が朝日シンパの知識人、あるいは実際に朝日新聞をつくっている「知識人」をさすのだとしたら、この書評は痛烈な皮肉だろう。
『嫌韓流』をあからさまに嫌ってきた朝日の社員(もちろん全員とは言わないが)にとって、「なんでそんなに嫌っているの?」と問いかけているわけだ。
ただ、僕は唐沢氏がそれほど強い毒性をもっているかは知らないし、あくまでそういう読み方もできるよと言うにとどめたい。
この書評はまた、ベストセラーの「内容」には一切触れず、ベストセラーを生んだ「構造」とその「受容」についてしか触れていない(それもかなり浅く)。
意地悪な見方をすれば、内容を「是」と言っても「非」と言ってもさしさわりがあるから、評者は「安全策」を選んだんだな~ということになるだろう。
そして、多くの場合「安全」なものは、面白くも何ともない。
ともあれ、どんな真意があったにせよ、朝日に載る『嫌韓流』の書評は、こんな形に落ち着かざるを得ない気はするのだが。
それにしても、朝日新聞、なんで今さら『嫌韓流』の書評を載せたのかねぇ。
「若者にも理解あるインテリ」ぶりを見せたかったのかしら。
「AERA」読んでも思うんだけど、そういうのを「年寄りの冷や水」と言うのでは。
(あっ、この一文は余計か)