名刺がなければ、ただの人。(ヒトリゴト。16)
2005年 10月 16日
初対面の著者に仕事をお願いするさいはもちろん、知人の紹介で人に会うときや、普通の飲み会でも名刺を渡す。
僕の名刺を受け取った人は、「編集者」という肩書きを見て、思い思いのリアクションをする。
自分を売り込む人、編集者という存在に興味を示す人、本や出版関係の話題を振ってくる人。
色々いるが、おおむね好意的な対応だ。
こちらとしても、それをキッカケにネタを探したり、面白い人を紹介してもらったりしている。
でも、それもこれも、みんな「名刺」のおかげである。
(僕はべつに、文藝春秋とか朝日新聞社と書かれた、ブランド名刺の持ち主ではないけれど)
会社が小さかろうが、相手が出版社の人間とわかれば、そういう目で僕を見る。
けれど、ときどき考える。
「編集者」でない「生身の僕」に、どれだけの価値があるのだろうと。
もちろん、そんな仮定に、現実的な意味はない。
一度なってしまった以上、名刺があろうがなかろうが、僕は編集者である。
下手をすれば、会社を辞めても「元編集者」で、その肩書きや経験は消失するわけじゃない。
だけど、そういった「飾り」のない僕は一体どれほどの人間なのか、やはり気になる。
「編集者」として頑張れば頑張るほど、それが不安になる。
これは他の職業でも言えるだろうけど、人間、名刺がなければただの人である。
たとえ、そんなただの人になったときでも、僕は(最低限の)誰かに必要とされる人でありたい。
そのために、自分には何があるのか。何が足りないのか。
そんなことを、秋の夜長にふと考えてみたりする。

