ベストセラーは、編集者だけでは作れない。
2005年 10月 17日
ベストセラー考(4) 「細野真宏研究(前編)」
ベストセラー考(5) 「細野真宏研究(後編)」
( 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』100万部?日記)
前回は苦言めいたことを書いたけど、今回の内容については基本的に同感である。
(もちろん、このメソッドが通用するのは、限られたジャンルだが)
ただ、一つ付け加えれば、これらの方法論は編集者の力だけでどうこうなるものではない。
たとえば、山田氏は初心者向けの本をうたうなら、文中の漢字比率を落とせという。
しかし、それは編集者の一存だけでは決められると限らない。
著者の原稿の漢字をバンバンひらいたら(平仮名にするの意)、後々、著者から漢字に戻されたなんてことはよくある。
こちらが意図を説明しても、「俺の文字使いはこうだ」と言われたら、それをのまなければいけないときもある。
ようは、本気でベストセラーを作りたいなら、著者にもある程度の「協力」の姿勢が必要だということだ。
(もっとも、「いい本」を作りたい著者に、無理やり「売れる本」を書かせることがいいと言っているわけじゃない)
とはいえ、そこまで綿密に打合せをした本でも、コケるときはコケるのもまた現実。
たとえ、ベストセラーの方程式があったとしても、そこに「人」という変数がある限り、いつでも理想どおりの解が求められるわけではない。

