編集者に必要なのは、「惚れっぽさ」かもしれない。
2005年 11月 17日
「出したいもの」と「出さなくちゃいけないもの」(未公認なんですぅ)
自分は、こんなとこでこんな駄文は書いていますが、物書きじゃありませんから、本1冊を著すなんてことはできませんし、それほどたいそうな知識やノウハウや考えも持っていません。
でも、心の中で大切に思っていることや、大事にしている考え方などはあります。小さな、些細なことだけど、あります。そういうのを、自分と同じように大切にしていると感じられる人に、その大切なものをなんらかの切り口で丁寧に表現してもらう本を書いてもらえたときが、いちばんうれしいのです。そして自分は、せっかく「本をつくる」という立場にいるのだから、そういう本をつくりたいなと思うのです。
でも、そういう本を年に10冊とかつくるのって、無理。そんなにいっぱい、世の中に伝えたい「大切な想い」とかありませんから。
では、自分がもともと持っている想いとは関係なく、著者さんの考えや書いたものそのものの素晴らしさに感銘を受けて企画をたてるパターンはどうかというと、そんな著者やテーマにそうそう出会えるわけはありません。
なるほど、「自分がシンパシーを覚える考えを、より高次元で丁寧に解説してくれる著者」の本を、年に何冊も作るのは難しいと思います。
仮にそういう著者を見つけられたとしても、先約が一杯で、一緒に仕事をすることさえままならない場合もあるでしょう。
だからこそ、編集者は、「それまでの自分の想いとは全然接点のないテーマ・著者」の本を何冊作れるかが大事になるはずです。
(少なくとも、それなりの制作点数を要求される商業出版において)
あまろ~ねさんは「そんな著者やテーマにそうそう出会えるわけはありません」と率直に書かれています。
たしかに、そういう「一目惚れ」のケースはそれほど多くはないでしょう。
ならば、「だんだん好きになっていけばいい」というのが、僕の考え(というかやり方・あり方)です。
最近、気づいたのですが、僕は結構「惚れっぽい」人間です。
べつに著者の**さんが大好き、とかいう話ではありません、念のため。
たとえば、ある著者が僕に「介護」をテーマにした企画を持ちこんだとします。
それは、僕がいままで興味のなかった分野の企画です。
「まだ介護の本なんてつくる歳じゃないでしょ~」なんて思いつつ、著者の話を聞くだけ聞いてみます。
すると、そこで「惚れる」ということがありえるんです。
著者のこの本にかける熱意や、最近の介護本への需要、本におりこもうとしているエピソードなどを聞いているうちに、「介護の本も面白いかもな~」とか「ウチの親も結構歳だし、予習もかねて作ってみっか」なんて心境の変化があらわれます。
もちろん、こういう変化は「惚れっぽい人間」特有のもので、誰でもそうなるとは限らないし、どんなテーマでも惚れるというわけでもありません。
(加えて、会社的に無理というテーマもあります)
けれど、最初からこの人(企画)には惚れないだろうな~という縛りをつくるより、とりあえず話を聞いてみっかという姿勢でいると、思わぬ掘り出し物を見つけることはままあります。
そして、そういう化学反応を味わったり、意外な一面を発見したりすることもまた、編集者の醍醐味だと僕は思います。
一ビジネスマンとしては、同業他社の人間が企画が出ないと苦しんでいるのを、シメシメと喜んでいればいいのかもしれません。
ただ、自分はお節介かつお人好しなので、このクソ忙しいときに、こんな長文を書いたりしています。
あまろ~ねさんにも、「時間をかけて惚れこめる」ようなテーマや著者と出会えるんじゃないかと僕は思います。
「出版」という海は、それくらい広いんじゃないかな~
そう思うのは、僕がこの世界で泳ぎはじめて、まだ間もない人間だからかもしれないけど。
追記
でも、女性にたいしては惚れっぽくないんですよね~なんでだろ。