どうせ僕から奪うのなら、すべてを奪ってくれればよかったのに。(ヒトリゴト20)
2005年 11月 27日
うんと昔、どこかの偉い人が、そんなことを言ったそうです。
でも、僕は、その人の言うことが本当かどうかはよくわかりません。
僕は、あなたに与えることが幸せです。
あなたから、与えられることも幸せです。
僕にとっては、その二つとも、とても大事な幸せです。
それにしても、「与える」ということは、なかなか難しいものですね。
人は、ろくに自分が持っていないものを、他人に与えることはできません。
人に与えるためには、何かを作ったり、増やしたり、よそから持ってきたりする必要があります。
僕はあなたが欲しいというものを、できるかぎり与えたいと思っています。
「もの」といっても、物品にかぎらず、ときに精神的なものであったり、あるいは時間であったり。
だけど、それらのものを、僕が常に持ち合わせているとはかぎりません。
たまたま切らしている場合もあれば、他人や自分のために使わなければいけない場合もある。
自分のためなら我慢することもできますが、他人のためならそういうわけにもいきません。
ときには、あなたに順番待ちをさせなければいけないこともありえます。
僕はこれまで、自分はできるだけ「後回し」にしてきたつもりです。
そのことで、自分が後々困ったこともあったけれど、それは仕方がありません。
優先順位をつけたのは、ほかならぬ僕ですから。
けれど、あなたは僕が「後回し」になっているのを、ご存じなかったのかもしれない。
あなたは、ときにお礼を言って、ときに当然という顔で、僕からものを受け取りました。
年を重ねるにつれ、あなたに与えられるものは、だんだん減ってきています。
あなたに与える前に、それを先に与えなければいけない人が他にいる。
あなたに与える前に、いいかげん自分が受け取らなければいけないものがある。
そのことを、あなたはわかってくれなかった。
いままでと同じように、求めて求めて、埒が明かぬと無理やり奪おうとする。
あなたに奪われることは、僕にとっても本望です。
でも、どうせなら、すべて奪ってほしかった。
あなたに対して、憎しみとも悲しみとも諦めともつかぬ思いを作り出す、この心を奪ってほしかった。
逃げ道を求めて拙い文章を書き付ける、この手を奪ってほしかった。
永遠に思考を停止したまま、あなたのために与え続けるのなら、そのほうが幸いだったのかもしれない。
あなたに奪われなかったものが、僕の胸をしめつけて、悲しいほどに正気にさせます。