誰が、著者を殺すのか?(ヒトリゴト25)
2005年 12月 15日
誰がそうだとは言わないが、ここ一年の著作の量を調べると、「え、こんなに書いてるの?」という著者が何人もいる。
多くの場合、彼らの書く本の中身は薄っぺらい。
毎回毎回、どこかで見聞きしたような話ばかりが書いてある。
(ひどい場合、自分の著作の焼き直しにすぎないこともある)
でも、それは仕方がないことだ。
年に数十冊も書けば、似たテーマの本を複数書くこともあるだろう。
キャリアが長ければ長いほど、過去の著作とのカブリが避けられなくもなる。
とはいえ、そんな著者たちを、僕はいままで軽蔑してた。
同じネタを使いまわして印税稼ぎやがって、太い野郎だと思ってた。
だけど、それははたして、著者だけの責任だろうか?
その著者が、自ら望んで、そういう仕事のスタイルに落ち着いたのだろうか?
それは決して、著者だけのせいではないと、僕は思う。
結論から言えば、僕ら編集者も「共犯」なのだ。
(むろん、すべての編集者がそうだとは言わない)
僕は先ごろ、ある多作な著者が、ここ一年に出した本の売り上げを調べてみた。
驚いたことに、その著者の本の多くが初版部数をさばけていない。
平たく言えば「売れない」のである。
なのに、その著者を頼る編集者は少なくない。
毎回毎回、似たようなテーマ・流行のテーマを持ち寄っては、安直な本を作っている。
「売れない」とわかっていながら、なんでその著者を頼るのだろう。
それはただの、(出版)点数稼ぎか?
それとも、「便利な著者」を利用して、自分の労力をセーブしてるのか?
あるいは、名の知れた著者の本を手がけたという自己満足か?
どんな理由でその著者に仕事が回るのか、僕は知らない。
しかし、残念ながら、その著者の筆力を頼ったものではないことは、僕にも想像がつく。
そんな編集者が積もり積もって、著者を「殺す」。
「殺す」というのが言いすぎならば、著者の「緩慢な自殺」を幇助している。
毎回毎回、目新しさのまったくない企画を持ち込まれ、本の中身は縮小再生産になり、昔からのファンはどんどん離れ、往時の勢いを失っていく著者。
そんな企画にのっかる著者も悪いのだろう。
けれど、薄汚い笑顔とともに、そんな企画を持ち込む編集者にだって、責任がないとは言わせない。
それがたとえ出版業界の構造的な問題だとしても、罪の意識は感じるべきである。
著者に「マンネリという毒薬」を盛り続ける僕らは、まったき咎人だ。
その自覚がない編集者を、僕は心底軽蔑する。

