見る目がないのは、自分の責任。(ヒトリゴト26)
2005年 12月 19日
詳細は省くけど、「う~ん、そういう人だったのか」という、やり切れぬ思いをいまだ感じている。
昔の僕なら、きっと相手に対する怒りを、ここにぶちまけていただろう。
「そんな人だと思わなかった」とか「あのときは調子のいいことを言っていたのに」と、やり場のない怒りを叩きつけるように記したはずである。
でも、いまの僕には、そういう気は毛頭ない。
なぜなら、すべては人を見る目がない僕のせいだから。
自分の期待通りにふるまわない人に対し、「信じられないやつだ」とか「騙された」と言うのは簡単だ。
だけど、それは一時的なガス抜き以上の意味をもちやしない。
すべてを相手のせいにしてしまえば、そこで思考は停止し、近い将来、また同じようなめに遭うだろう。
信じられないようなやつを信じた自分も悪いし、騙しそうなやつに、まんまと騙された自分にも責任はある。
もしも僕に「人を見る目」があったのなら、それらは未然に防げた出来事なのかもしれない。
問題の原因を外部に求めるのはたやすいが、今回のケースはそれでは何も解決しない。
内部の原因を洗い出し、それを解消することが、改善へのただ一つの道である。
人を見る目というのは一朝一夕で育めるものではなかろうが、少なくとも、自分に見る目がないという自覚はもてる。
それを肝に銘じて、これからは人を見ていこう。
それにしても、人を見る目がないというのは、編集者にとって致命的な欠点だ。
そのことに、じつは一番傷ついていたりする。