「自殺した野口さん」という言い方は、もうやめないか?
2006年 01月 23日
ライブドア子会社元役員の告別式、知人ら参列「残念」(NIKKEI NET)
ライブドアの企業買収に関与し、18日に那覇市のホテルで自殺した同社子会社の元役員でエイチ・エス証券副社長の野口英昭さん(38)の告別式が22日、東京都港区の増上寺で営まれ、同証券関係者や知人ら約550人(同証券発表)が参列した。堀江貴文社長らライブドア幹部の参列は確認されていない。
自殺のライブドア元役員悼み通夜 「責任押しつけるな」(Sankei Web)
ライブドアによる企業買収にかかわり、18日に自殺した同社の子会社元役員で現エイチ・エス証券副社長の野口英昭(のぐち・ひであき)さん(38)の通夜が21日夕から、東京都港区の増上寺で営まれた。雪が降る中、同証券関係者や知人ら約760人(同証券発表)が駆け付け、故人を悼んだ。両紙の記事がほとんどおなじなのは、ともに共同通信配信の記事を使用してるから。毎日、読売はネットで見た限り、野口さんの告別式にふれた記事は見つけられなかった。
(TV番組でも「自殺した」と報道されることが多いのではないか)
彼が自殺したのか、あるいはそうでないのか、僕にわかるはずもないのだけど、各社の報道を見ているだけで怪しさがにおう彼の死を(参考:野口英昭氏自殺記事の報道内容のバラツキ)、ここまで明確に「自殺」といっていいのだろうかという疑問は残る。
些細な違いかもしれないが、「自殺と見られる」とか「死亡した」ではダメだったのだろうか?
ちなみに、朝日は意図的にかどうかは知らないが、結果として「自殺」という表現をつかっていない。
野口副社長葬儀、同僚ら悼む(asahi.com)
ライブドア関連会社の証券取引法違反容疑の舞台となった投資事業組合の設立にかかわったとされるエイチ・エス証券副社長の野口英昭さん(38)の葬儀が22日、都内で営まれた。「ベンチャー企業の株式公開の専門家」はなぜ死を選んだのか。これを朝日の「抵抗」と見るのは、希望的観測に過ぎるかな。