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ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

<日曜日だけど、仕事の話をしよう。> 第1回 石岡みさき(両国眼科クリニック院長)

<日曜日だけど、仕事の話をしよう。>記念すべき第1回のゲストは、両国眼科クリニック院長の石岡みさきさん(詳しいプロフィールは両国眼科クリニックのHPを参照)。彼女はこの企画を発表した直後(なんと元旦!)に取材協力のメールをくださった方です。取材当日は初対面ということもあり緊張しましたが、医学界について何も知らない僕の質問に、誠実に、ときにユーモアを交えて答えていただきました。
記事を見て興味をもたれた方は、ぜひ彼女のブログも見てください。きっとファンになりますよ。

(この記事は1週間、トップページにおきます)



●「医者」は、そう簡単に儲かる商売ではない
――まずは簡単な自己紹介をお願いします。
石岡みさき。東京生まれ東京育ち、もっと言えば渋谷区生まれの渋谷区育ちです。昭和39年生まれで、今年42になります。ちょうど東京オリンピックがあった年の生まれです。

――家族構成と、ご家族の方のお仕事は?
姉が一人。あと両親は健在です。父は医者で、姉も医者です。母は医者じゃないんですけど、開業医の娘なんですね。だから、私は「三代目」にあたります。祖父も医者で祖母も医者でした。

――石岡さんのように、お医者さんって親御さんも医者であるケースが多いように思うんですが……
それは、(親が)すすめるんです。これはうちの父の持論なんですが、医者って「技術職」ですから、どんな形態でも仕事ができる。とくに、女は医者か弁護士になれって言っていましたね。弁護士はどう考えても難しいと思ったので、私は医者になったんですが。

――お金の話で恐縮ですが、医者になるのって、やっぱりお金がかかるんですか?
かかりません。というのは、私はずっと公立校なんで。小学校から大学までぜんぶ公立。大学は横浜市大ですが、そのころの横浜市大の学費って年間21万円なんですよ。アルバイトしながら通っている勤労学生もいたぐらいです。

――逆に、医者になってからは、すぐにお金を稼げるんですか?
実際になってみてわかったんですが、医者って一人前になるのに10年かかるんですよ。24でストレートに学校を卒業して、それから34、5まで収入が安定しないってのはあまり知られていないんです。お医者さんと喜んで結婚した女性たちが、収入が意外に少ないのにビックリするぐらいで。それだけ、収入が安定するまで時間がかかるんですね。私自身、35で開業するまでは年収300万円を切ってました。
なので、なぜ医者の子が医者になるかというと、その実情を理解しているからなんですね。子供が一人前になるまでは、親が経済的にサポートしなければいないっていうことをわかっているので。その意味で、同級生で実家がお医者さんじゃない人は、苦労してましたね。親が期待しちゃって、卒業したらすぐ稼げると思っているので。けっきょく、危ないバイトに手を出すようになったり……

――う~ん、意外な話ばかりですね。質問が前後しますが、子供のころになりたかった職業ってありますか?
あまりないんですよね。二人姉妹で姉が医者になっているから、私も医者になるだろうってまわりが思っていて、自分自身もあまり抵抗なく医学部に進んでしまって。ただ、もし医者になっていなかったら、何かものを書く職業についていたかもしれません。子供のころから文章を書くのが好きだったので。

――中学、高校では医者という職業を意識することがあったんですか?
とくに意識してたわけではないんですけど、中学・高校は医者の子供が多い学校に通ってましたね。筑波大付属というところなんですけど、医者と公務員の子供が多くて。1クラスで何人も医者になってます。

――大学は横浜市大に進まれたということですが、なぜここに?
父のアドバイスが大きいですね。大学の医学部って「偏差値」が重要じゃないんですよ、じつは。それより「歴史」が大事なんです。歴史の長い大学のほうが関連病院が多くて、力も強いので。一種の「学閥」ですね。父はそれを知らなくて、歴史の浅い大学に行って苦労したんです。だから、私は受ける大学も全部伝統があるところを選んで、結果的に横浜市大に。

――大学時代には、何かアルバイトなどしてましたか?
家庭教師をしてましたね。口コミというか、友達つながりでどんどん話が来るので。中学生に数学を教えていたかな。でも、バイトができたのは1、2年生の(教養課程の)ときだけですね。そのあとは忙しくて続けられないので、みんな後輩に引き継ぐんです。

●泣きながら学校に通った研修医時代、転機となった留学時代
――医学部を卒業した学生が、どういう過程をへて医者になるのか、簡単に教えていただけますか?
普通は、医学部を卒業してからは研修医になります。だいたいは卒業校に行きますね。ただ、私がいた横浜市大は、1学年1クラス60名で、研修医が百数十名いるんですよ。どうして数が増えるかって言うと、ほかの大学の卒業生が来ているんです。ほかの大学の卒業生を受け入れるのは珍しいんですけど、横浜市から補助(金)が出ていたので、それが可能だったんですね。大学によっては補助が出ないので、研修医をなるべくとらないところもあります。さっきの学閥の話にもつながりますけれど、横浜市大で研修をしたら、いちおう横浜市大所属というかたちになるので、有名な大学には学生が集中しますね。

――その研修医の期間は何年間ですか? また、その間は、自分の専門の「科」について学ぶんでしょうか?
期間は2年間です。みなさんはよく、学生のうちに自分の「科」を決めていると思っているんですが、そんなことはなくて、研修医の2年間というのは、ほかの科もやらなきゃいけないんですよ。私の場合は半年内科にいて、3ヶ月は救急センターにいました。

――研修医って具体的にはどんなことをやるんですか?
あの、病気などで入院すると主治医がつきますよね。すると、何人か医者の名前が書いてあるんですけど、一番下の若いのが研修医です。たとえば、内科の研修医だったら受けもちの患者さんが何人かいて、朝、患者さんの状態を見て、看護婦の記録を見て、先生の回診にくっついていって……。あとは、大学病院では普通、内科は研修医に外来をやらせませんから、アルバイトに行っていることも多かったです。眼科の場合は研修医に外来をやらせていたんで、科によってさまざまですけどね。(注:現在は研修医に給料が出るシステムに変わったため、バイトは禁止されているそうです)

――手術は実際に手伝ったりするんですか?
う~ん、これも科によって色々。たとえば、眼科って手伝わせることができる部分が非常に少ないし、将来眼科に進む人ばかりが研修しているとも限らないので、なにもやらせないっていう大学病院もけっこう多いです。外科なんかだと、研修医は傷口をひらく器具(鈎)のはしをもってるだけだったりね。意味な~い、とか思いながら(笑)

――お話を聞いていると、意外と学べることが少ないと思ってしまうのですが……
たしかに、学べることって少ないです。すごくきっちり研修医を教えている大学病院もあるけれど、そこは本当に大学病院ごとの差が出ますね。

――それで、石岡さんはどうして「眼科」に進もうと決めたんですか?
私は大学のときから、忙しい科がぜったい嫌だって思ってたんで。あの、大学5年生のときに眼科の教授がガンで急死しちゃったんですね。教授がいない教室っていうのはすごく暇そうなんですよ。で、私は眼科って暇なんだって大きな誤解をして(笑)。ただ、あとから考えると、私、どうも人に触るのが嫌みたいなんですよ。暇だったら皮膚科でもいいじゃないって言われたんですけれど、皮膚科って患者さんに薬を塗ったりするんで、それが嫌だなっていうのもあって。
あと、「眼科をどうして選んだんですか」って、ほかの人にも聞いてみると、手術は好きだけどグループでやるのが嫌っていう人がいて。外科は一人で手術は無理ですけど、眼科は一人でできますから、そういう一匹狼タイプの人とか。それに、機械をよく使う科なので、機械が好きな人も来ていますね。

――研修医を終えたあとは、どのような進路を進まれたんですか?
大学院に行ったんですよね。卒業してすぐに大学院に行くようにうちの父には勧められたんですけれど、そのときは素直に聞けなくって。研修医を2年やって、やっぱり学位が欲しいなと思ったんで、大学院に入りなおしたんです。

――「学位」って、そんなに重要なんですか?
とくに女性は、学位をとったほうがいいです。というのは、私の場合はちょっと違いますけど、ご主人にくっついて「転勤」することがあるんです、女性の場合って。ふつう、「転勤」ってないんですよ、医者には。関連の病院をすべて大学が支配していますから、関係のない大学の人がその土地に来ても、すぐに就職できないんですよね。でも、学位があると大学に非常勤講師として雇ってもらえるんです。そういう身分があれば、わりとすんなり非常勤講師でとってもらえて、たとえば週に1回、外来に来ますかといった道が開けるんですけど、学位がないとまったくシャットアウトされてしまうんです。

――ちなみに、大学院は2年間ですか?
医学系の大学院って4年なんです。私の場合、6年医学部にいて、2年研修医をやって、4年大学院やって。でも、大学院の途中でアメリカに留学しているので、途中から半分社会人のような状態でした。

――その留学は、どういう経緯で決まったんですか?
そもそも、なんで留学したかというと、当時、自分がいた大学院の環境がすごく不愉快で、どうしても違う場所へ行きたかったんです。私たち大学院生って、4年通えば学位がもらえるわけですけど、私たちを教える先生の中には、学位のない人が何人もいるんですよね。そういう人たちにとっては、大学院生が目障りでしょうがないので、陰湿ないじめをやられたり。そういうのが、もうバカらしくって。
あと、当時、外来に来る患者さんを診ながら、自分自身の研究のテーマを探していたんですけれど、今から考えると25、6歳の子に研究なんてできるわけないんですよ。それで、どうしたらいいかわかんなくって、ほとんど泣きながら毎日学校に通っていたときに、偶然、アメリカの研究所へ留学する話が来て。「やった、違うところへ行ける」って思って。

――留学生活で大変だったことや、よかったことはありますか?
やっぱり、英語が通じるようになるまでは、どのドクターも辛い思いをしますね。みんな、それなりにプライドがあるじゃないですか、それまで医者としてやってきたという。それが英語が通じないという世界に放り込まれるんで、結構みんな辛い思いをするんです。後から来た留学生を見てて、自分の英語での失敗を冗談にして言うようになると「お、馴れたな」と思うようになるんですけど。
でも、人間関係でわずらわしい思いをしたことはなかったな~ アメリカは、すごいドライっていうか、「あなたの仕事はここまで、自分の仕事はここまで」というのがはっきりしていて、クリアでわかりやすかったですね。あとは、不満に思っていることを言うと、ちゃんと聞いてくれるんで。拙い英語で「私はこういうところに不満を感じるのだけど」と言うと「そうか、じゃあ、こうしよう」って答えてくれて。
それと、何がよかったかって、留学生同士で違う大学の医学部の人と知り合いになれたのがよかったです。それがきっかけで、留学後に市川総合病院に勤めることにもなったので。

――そこらへんの経緯を聞かせてください。
アメリカに留学しているときに、グリーンカードをとって残ろうかとも思っていたんですよ。あまりに日本に帰るのが嫌だったので。そんなことをブツブツ言ってたら、東京歯科大学から留学に来ている先生から、うちの大学の眼科に、よかったら来てみたらと言われたんです。そのとき、たまたま(歯科大学の)教授が、長めのお休みを取ってアメリカとかブラジルを見学していて、ちょうど私がいた研究所に遊びに来てたんですよ。会って話をしてみたら、非常勤職ではあるけれど、バイト先を探してあげるからこないって言われて。ラッキーと思って、帰国したんです。

――それで、東京歯科大学市川総合病院では、どんなお仕事をされていたんですか?
アメリカで言えばレジデントと呼ばれるような立場だと思うのですが、疾患や手術について学びつつ、雑用もこなす、という仕事内容でしたが、扱いは非常勤ですので、月給は5万。あとはアルバイトに行って生活費を稼いでいました。社会保険はもちろんつきませんし、交通費も自前なので、とても楽しい時期でしたが、お休みを取るとバイトがなくなり、収入が減る、というとっても不安定な時期でもありました。

●「女性院長」特有の悩みと、女医への期待
――なぜクリニックを開業されたのですか?
非常勤ですので、病院にいられる年限があり、次の職場を探していました。病院の眼科の医長になるか、という誘いもあったのですが、当時やっていた研究も続けたかったので、どうしようかと思っていたところ、同じ職場の先輩がハーバード大学の「のれんわけ」のような研究所を作ろうとしていたのに誘われました。費用を払えば、ハーバードの名前がついた研究所が作れると言われ、お金を稼げる、そして大学病院ではなかなかできないことをやる施設を作りたかったのです。そこで、グループ開業という形を取って、仲間で仕事を展開しています。

――いま、クリニックではどのような仕事をされているのですか?
普段は週に5回、クリニックで外来の診察を担当しています。午前に外来を担当して、午後は(専門誌などへの)執筆活動にあてています。以前は基礎研究をやっていました。あとは、月2回ですけど、自分の出身大学に外来をやりに行っています。

――出身大学で外来というのは? 同時に、授業のコマを持っていたりもするんですか?
角膜などの専門医がいないので来てほしいと言われて、非常勤講師として行っています。でも、学生への授業はやっていません。「非常勤講師」というのは、外来で診察をするために必要な肩書きなんですね。本当は学生にも教えたいんですけれど。自分が学生のときって、開業医の先生が来るのってすごい新鮮だったんです。今日は臨床の話が聞けるんだぁと思って。大学の外来って、基本的には特殊な病気の人しか来ませんから、普通の患者さんを見ているドクターに会いたいなって学生時代は思ってましたね。

――両国眼科クリニックには、どのような病気・症状でいらっしゃる人が多いんですか?
うちはドライアイが専門なんで、自分でドライアイですと言ってくる人が多いですし、あとは眼が疲れるとか、コンタクトレンズが合わない・疲れる・かわく・ゴロゴロするといった、コンタクトの不調で来る方が多いですね。
――ほかに、白内障などで来る方もいるんですか?
白内障の手術は、口コミで来ますね。誰々さんがやってよかったからここを紹介されたとか、最近視力が落ちたって言ったらばここを紹介されたとか、行っている病院が混んで困るって待合室で文句を言ってたらここを紹介されたとか(笑)。ネットで見てくる方は「角膜」とか「ドライアイ」で調べてくるんですけれど、うちの大きな収入源になってる「白内障」はおばあちゃんの口コミなんです。これは年代の差もあるんでしょうけれど。

――ネットの話が出ましたが、両国眼科クリニックにはわりとしっかりしたホームページがありますよね。これはどのように活用されているんですか?
ホームページは、やっぱり、(クリニック・医者の)「得意分野」を示すにはいいツールですよね。こんなちっちゃな「眼」ですけど、専門が分かれているので。あと、「かわら版」は、患者さんにわかりやすく眼の病気のことを伝えようと思ってはじめました。
去年、たまたま、学会で「楽しい開業」というテーマで話をする機会があったんですけれど、そこで自分の開業をふりかえっているうちに、自分がやりたいことは「医療情報の伝達」という仕事が一番向いてるし、好きなんじゃないかなーと思うようになったんです。それがホームページであったり、患者さんにわかりやすく病気のことを説明するかわら版だったり、あるいはいま連載している雑誌の記事だったり。これが今後の自分のテーマにもなるとも思うんで、こういう仕事は苦にならないんです。

――石岡さんは、さらにブログもやられてますよね。病院の院長のブログというのは、非常に珍しいと思うんですが。
私も調べてみたんですけれど、キワモノ系っていうんですか。「女医さんのHなブログ」みたいのはあるんですけれど(笑)、まじめな記事を書いている人はあまりいないですよね。ブログを始めたときは、何か自分の文章を載せる場所がほしくて。そしたら、うちの電子カルテを手伝ってくれている男の子が「ブログってものがありますよ」って教えてくれて。外来であったこととか、日常生活のこととかを書いています。患者さんも結構見てくれているんですよ。

――「院長」というのは人の上に立つ立場ですから悩みなども多いと思うんですが、具体的に教えていただけますか?
やっぱり、医者っていうと患者さんを診る、診療するっていうのがメインの仕事なんだけれども、院長になるとそれに加えて経営、お金のことや雇用のことの問題が出てきて。でも、経営のことって習わないんですよね、私たち。だから、たとえば人を雇うということがこんなに難しいとは思わなかった。
女性経営者の本を読んだりもするんですけど、それを読むと違うんですよ、(組織の)トップが男と、トップが女というのは。男の経営者だと、それだけでそこに溝って言うと変ですけれど、「男の社長だったら、こんなことをしてもしょうがないよな」っていう感覚が女性のスタッフにある。でも女の経営者になるとないんですよ。おんなじ女なのに、どうしてあの人はお金があるのとか、こんなことをやっても許されるの、という目で見られることが多いので。とくに医療界は女社会なので、そのなかで女性が経営者になるのは難しいです。

――石岡さんは実際にスタッフの面接などもするんですか?
はい。面接するとわかるんですけど、医療界ってすごい人気なんですよ、女性にね。求人誌に載せるだけですごい電話が来るんで。なかなかいい人は来ませんけれど。

――石岡さんのスタッフの採用の基準ってなんですか?
私は結構面白い子が好きなんで(笑)。味のある子。きちんと履歴書が書いてあって、そこそこ職歴があって受け答えが面白い子を採用しちゃうんです。あとは素直な子ですね。こちらが注意したことをすぐ理解できる子がいいと思っているんだけど。で、なかには、面接中に異様な色気を発する女の子がいるんですね。理事長、事務長(ともに男性)と一緒に面接すると、そっちを採用したがるので、「ダメダメ、色気はいらない」と(笑)。

――そうやって採用したスタッフを育てる上で大変なことってありますか?
一番辛いのは、なんとか育ててきてうまくいきそうになると思ったときに、結婚してやめますっていわれるとすごくガッカリしますね。今回、初めて産休とった子がいて、戻ってくるか戻ってくるかって心配してたんですが、戻ってきてくれてよかった。

――両国眼科クリニック、そして石岡さんの将来のビジョンを聞きたいんですが?
専門が違うほかの眼科とゆるやかなネットワークをつくりたいですね。自分のクリニックでは対応できない(専門外の)患者さんを相互に紹介しあって、患者さんを待たせない。大学病院って会計だけですごい待つじゃないですか。
それがクリニックの将来だとすれば、自分の将来としては先ほども触れた「医療情報の提供」をやっていきたいですね。たとえば、いま学会ではアメリカの学会をまねて、ただ個別の発表をやるんじゃなくて、テーマを決めた発表が多いんですね。たとえば私みたいに「開業医における眼科クリニックの運営」といったコースをもつので、それを続けるのと同時に、クリニックでも学会に行けない女医さんを集めて、日曜日に勉強会みたいなことをしたいですね。実際、家庭を持っている女医さんだと、なかなか学会にも行けないっていう不安があるみたいなんで、ネットで情報を公開すると同時に、女医さんが困っていることを相談できるようなホームページもやってみたいな~と思ってます。

――それは、いつまでにという期限は決めていますか?
とりあえず、ここ2、3年はホームページの充実を考えてます。あとは自分のホームページを立ち上げようと思っています。クリニックだと、やっぱり「女医さんの」というのは打ち出せないので、ほかの先生と一緒に、女医さんのためのネットワークをつくってみようかなと。

――最後に、医者を目指している方などにメッセージがあれば。
やっぱり、女性に医学部を目指してほしいいですね。医者はやっぱり、女性むきの職業、「技術職」だと思うので。ただ、いわゆる「幸せな結婚」をしたい人はやめたほうがいい。女医はモテませんし、離婚率もすごく高いので。医者どうしだととくに。男の医者がモテすぎるので(笑)。おなじ病院で勤めるということが少ないので、片方が転勤すると男に女ができちゃうんです。
よく、どういう人が医者に向いているんですかと言われるんだけど、基本的に人間が好きな人に向いている職業だと思うんで。もちろん、いろんな仕事をしている医者がいるので、たとえばうちの姉は放射線科なので画像しか見てませんけど、基本的にはやっぱり臨床・外来なんで、人とのかかわりが好きという人には向いている仕事だと思いますね。
あと、これもよく言われるのが、「昔、病気をしたからお医者さんになろうと思ったんですか」とか、「人を助けたいと思ったから、この職を選んだですか」とか。でも、長い医者の人生の中で、助けられる患者さんってじつはすごく少なくて、自然に治っちゃうことのほうが多いんです。そういうあまりに崇高な理想を持ってくるととガッカリしちゃうんと思うんで、医者を一つの技術職と見て、人が好きという人に向いている仕事だと思いますね。
*このインタビューは、2006年1月8日の取材をもとに、ある編集者が構成・執筆したものです

★本企画、<日曜日だけど、仕事の話をしよう。>の趣旨については、こちらをご参照ください。
取材協力者の募集はそのうち再開します。
とくに、出版関係以外の方にご応募いただければ、幸いです。
(自分の視野を広げたいので)

by aru-henshusha | 2006-02-18 23:59 | 仕事の話をしよう。