結局のところ、「いい文章」とは何なのか?
2007年 02月 02日
見城徹のボイス
いい文章とは僕ら(非文芸系の)編集者は、時と場合によりますが、著者の文章にかなり手を入れることがあります。
文章がうまかったり 文章の構成がとってもよくできていたり
そんな必要は全然ないの
まず大事なのは
自分らしいということ
他の人が真似出来ないものがあればいい
それが一番大事なの
もちろん、こちらも仕事ですし、手を入れることで、元の文より「うまい文章」「わかりやすい文章」にしているという自負はあると思います。
でも、それが本当に「いい文章」なのかと聞かれたら、僕は自信をもって「そうだ」とは言えません。
「いい文章」を目指してこちらが手を入れることによって、著者特有の言葉遣いが、リズムが、雰囲気が、少しずつ崩れていくことがあります。
そのとき、その文章は、「著者のもの」ではなく「編集者のもの」になってる危険性がある。
あまりに、編集者の色がつきすぎた文章を、僕は「いい文章」だと言う気にはなれません。
そんな文章ならば、著者など立てず、最初から編集者が書けばいい。
別に、僕らの仕事の、大事な一工程を否定するつもりはないのです。
ただし、編集者が「いい文章」を追求しすぎると、最終的にはそれは「いい文章」とはかけ離れたものになるような怖さがあるように思います。
いい文章とは、それぐらい微妙なバランスの上に成り立っているもののではないかと、「悪い文章」に手を入れつつも、ときおり迷ったりするのです。

