本のタイトルは、「ウソ」でもよいのか?
2007年 02月 11日
本書のタイトルは間違っている。リンク先で取り上げられてる本のタイトルが、どのような経緯で決まったかは僕は知らない。
本書の本当のタイトルは、「学者のウソとマコト」である。
献本に感謝すると同時に、このタイトルのまま本書を上梓してしまった関係者に猛省を促す。
本書「学者のウソ」のウソは、最近とみに増えた「ウソ」本とは一線を画している。これらの「ウソ」本はいずれもウソの鑑定、ウソの告発、そしてウソの批判に終止しているが、本書は違う。本書は「ウソまみれのこの世界に、どうやってマコトをもたらすか」を正面から本気で提案した本である。
けれど、僕がもし、SBC(ソフトバンククリエイティブね)の編集なり営業の責任者だったら、「学者のウソとマコト」いうタイトルには、なかなかOKは出さないと思う。
だって、「学者のウソ」のほうがスッキリしてるし、何より売れそうだもの。
本のタイトルというものは、必ずしも本の内容を正確に表しているものばかりではない。
というのも、本の内容を正確に表そうとすればするほど、タイトルとしての魅力が薄まっていくことが少なくないからだ(もちろん、例外もあるけれど)。
たとえば、最近読み終えた新潮新書の『好かれる方法』という本は、その内容を正確に表せば、
『PRとは何か? そして、弊社プラップジャパン(注 著者の会社)はPR業界でこんなに活躍しています!』
といったものになると思う。
要するに、「PR」というものの概略と、著者の会社の業務案内的な内容なのだが、それをストレートにタイトルで出したら、読者の興味はなかなか得られないわけである。
だから、新潮新書の編集者は、
PRというものがわかれば、会社(あるいは商品、サービス等)のイメージがよくなるという発想で、『好かれる方法』というタイトルをつけたのだと思う。
↓
会社のイメージがよくなるということは、会社が好かれるということ
↓
すなわち、PRとは「好かれる方法」なのだ
(これは、あくまで僕の推理だが)
これは、必ずしも本の内容を正確に表してはいないが、ぎりぎり「ウソ」ではないだろう、というラインのタイトルであろう。
ただ、この本のアマゾンのレビューを見てもわかるように、本の内容との距離が遠すぎるタイトルは、読者の反感を買う。
正確すぎず、かといって「ウソ」にならない「演出」の範囲内で読者の興味を誘うタイトルを決めるのが、編集者、あるいは著者や営業の腕の見せ所だ。
もちろん、後々そういった小細工をしなくてもすむように、本のテーマを決める時点で「売れるタイトル」がつけられるような内容に調整するほうが、より王道な編集のあり方だとは思うのだけど。
(たとえば、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』は、内容に沿った直球のタイトルで、なおかつ魅力的である)