著書が書きたいもの、編集者が書かせたいもの、読者が書いてほしいもの。
2007年 03月 21日
すなわち、
「著書が書きたいもの=編集者が書かせたいもの=読者が書いてほしいもの」
という状態。
でも、これがけっこう難しかったりする。
たとえば、編集者がAという企画をもって著者に会いに行く。だけど、著者は乗り気ではない。
「僕はむしろ、Bという本だったら書きたいんだけどねぇ」
そうやって著者が提示してきたものに、こちらが賛同できればいいけど、そういうケースばかりではない。
こちらが提案した企画のほうが、「読者が書いてほしいもの」であり、また出版社としても出したいものであり、編集者として一緒に仕事をしたいものであると判断したら、(少なくとも僕は)それを推す。
その思いを、著者が理解してくれることもあれば、そうでないこともある。
ダメだったときは、僕はすんなり引き下がる。
Bという企画は、それを本気で「書かせたい」と思った、僕ではない編集者がやるべきだ(と僕は思う)。
いっぽうで、幸運にも(?)、著者と編集者の思惑が一致するケースもある。
「著者が書きたいもの=編集者が書かせたいもの」という状態が成立し、この本はイケますよ、なんて言って、お互いどんどん盛り上がって。
けれど、それが「読者が書いてほしいもの」ではない、というときもある。
著者と編集者が<二人の世界>に浸りすぎても、うまくいかない。
できた本を買うのは、著者でも、編集者でもなく、読者である。
彼らを、置き去りにするのはよくない。
自分が作ってきた、数々の売れなかった本を思い返すと、先述した式が成り立たなかったものが、たくさんある。
・著者が(本当はそれほど)書きたくないものを、押し切って書かせてしまったもの
・自分が書かせたいものとのズレが次第に生じて、それを最後まで修正しきれなかったもの
・読者が書いてほしいものをとらえきれずに、著者と編集者の迷いが出てしまったもの
どれも、後悔している。後悔しているからこそ、僕はいろいろ考える。
書きたいもの、書かせたいもの、書いてほしいもの。
考え続けて、わけがわからなくなるときもあるけれど、悩むのも、どこかでその悩みを断ち切るのも僕の仕事である。
*著者に対して「書かせたい」という表現は本当とりたくなかったのだけど、「読者が書いてほしいもの」との対比で、あえて「書かせたい」という表現を選びました。念のため。