「しかし」と「けれど」が多い僕。
2005年 02月 06日
接続詞が大事でした。
たしかに、文章を書くにあたり、「接続詞」の使い方は重要である。
僕自身、著者の原稿に手を入れるときはもちろん、自分で文章を書くときも、この点はとくに意識している。
(ただし、このブログでは、そこまで厳密に考えてはいないが)
ところで、僕の文章には、「しかし」と「けれど」という接続詞がよく登場する。
あるいは、「だけど」「もっとも」「でも」なんて接続詞も多い。
これは、僕が物事を、「批判的」なスタンスで見がちだということの表れだと思う。
この傾向は、昔からずっと続いていて、
「人は○○と言うが、本当は××ではないのか」
「この問題には△△であると同時に、◇◇の側面もあるんじゃないか」
という論法を好んで用いている。
人様から見れば、僕はいくぶん天邪鬼で嫌な奴なのかもしれない。
だけど(ほら、さっそく使ってる)、どうせ文章を書いて他人の眼にさらすなら、みんなと同じことを言ってもしかたがないのではとも思う。
それが先人や他人への否定であれ、肯定であれ、何かしらのプラスアルファがある文章を書きたいものだ。
話は急激に飛躍するが、これはプロの書き手の方にも言いたいことである。
どこかで見たことがあるような話を、自分流に「書き下して」一冊上がりというのは、あまりにも安直だ。
たとえ、先人を超えることができなくとも、本の価格に見合ったプラスアルファのネタが何本かほしい。
ビジネス書を読んだり作ったりしていると、そんな当たり前のことが、なかなか当たり前でない現実に気づき、愕然とすることが少なくない。