だから、その手をはなして。<ヒトリゴト。3>
2005年 02月 07日
このブログ、僕らの日常にあふれる、ベタな言葉やシチュエーションを取り上げている。
たとえば、こんなシチュエーション。
自転車をはなす
そうそう、僕のときもそうだった。
最初は補助輪のついた自転車に乗っていて、ある日、その補助輪がとられた。
マンションの駐車場で、母親と二人で、補助輪なしの自転車に乗る練習をした。
最初は母親が後ろを支え、そのうち自転車からそっと手をはなした。
僕はかなりの運動音痴だけど、自転車にはわりとすんなり乗れた。
うれしくて、近所のお寺の敷地をぐるぐる回ったりしたっけ。
親にとって、子供がどれだけかわいいものか、僕ようやくもわかる年齢になった。
でも、いくらかわいい子供でも、手をはなさなければいけない日が来る。
べつに、自転車のことだけを言っているわけじゃない。
子供が自立するためには、親はいろいろなところから、いつかは「手をはなす」必要がある。
今の日本には、「手をはなし損ねた親子」が少なくないように、僕は思う。
親は子供を溺愛し、子供は親に頼りきる。
そうやって、親はいつまでも、子供から手をはなせない。
でも、それは決して、子供のためにはなるまい。
自立するとは「補助輪」を外すことである。
そして人は、いつの日か、また誰かの補助輪になっていく。

