『グランド・フィナーレ』の、ちっぽけな結末。
2005年 02月 17日

遅ればせながら、先の芥川賞を受賞した、阿部和重の『グランド・フィナーレ』を読んだ。
結論から言えば、僕はこの作品をあまり評価しない。
やけに冷静で理屈っぽく、ムダに饒舌な「わたし」の造形は、主人公のうす気味悪さをうまくかもし出しているとは思ったが、それ以外にほめるべきところは見つからない。
突っ込みたいところは多いのだが、何万言尽くして語る価値を有する作品とも思えぬゆえ、ポイントを一つに絞る。
はたして、あの結末でよかったのだろうか。
「文芸春秋」の選評で、高樹のぶ子は「タイトルは終幕の大きな悲劇を暗示している」などといっているが、だとすれば、そこを書かなくてどうする、と思う。
せっかくの「グランド・フィナーレ」とやらを、読者の想像力に委ねる気持ちが理解できない。
しかも、終盤とってつけたような「更生」のにおいを漂わせて、むりやり読み手の選択肢を広げるような小細工は蛇足である。
そんな文章を書く暇があったら、責任を持って「グランド・フィナーレ」を描ききってほしい。
卑猥なたとえで申し訳ないのだが、この作品には「前戯中に射精してしまった青年」のような物悲しさを覚える。
本番はまだまだこれからなのに、作者の力がもたなかったのだろうか。
何にせよ、僕は、このちっぽけな結末には、とうてい満足できない。
追記
僕の「読み方」はあくまで僕独自のものであり、相当な偏りがあると思われるため、ネットで好意的な『グランド・フィナーレ』評を探したのだが、残念ながらこれぞというものが見つからなかった。
参考までに、自分同様、この作品に批判的な見方の記事を二つ紹介しておく。
もちろん、こういった読み方が正しいと押し付ける意図はないし、他の方がどんな感想を持とうが自由である。
『グランド・フィナーレ』はタイトル倒れか
芥川賞、どうなってるねん?