「求めない」と言い切る前に、僕はもう少し「求めたい」。(ヒトリゴト60)
2007年 12月 17日
<求めない-/すると/いまじゅうぶんに持っていると気づく>僕も、出版業界の片隅にいる人間だから、この『求めない』という本が売れに売れていることは知っていた。
<求めない-/すると/いま持っているものが/いきいきとしてくる>
<求めない-/すると/それでも案外/生きてゆけると知る>
書店に立ち寄ったら、平積みされた小さな本が目に留まった。どのページにも、こんな短い句が一つずつ。どれもが「求めない」で始まっている。シンプルで、何でもないような言葉ばかりだが、引き込まれてしまった。
タイトルも、ずばり『求めない』(小学館)。作者は、詩人の加島(かじま)祥造(しょうぞう)さんだ。
人間とは、求めてやまない存在である。求める心が大きなエネルギーにもなる。しかし、現代の私たちはあまりにも求めすぎているのではないか。欲望過多の時代と言っていいかもしれない。
豊かさを際限なく求めた結果、あふれかえったモノとゴミに私たちは窒息しかかっている。成長と進歩への飽くなき欲望は、自然を破壊し、地球を危機に陥れている。
快適と便利の果てしない追求に、人は逆に振り回されている。度を越した所有欲が引き起こす事件は、絶えることがない。私たちが抱える不安も、さまざまな「過ぎた欲望」と無縁ではあるまい。
(中略)
今の自分に満足し、受け入れる。それが本当に豊かな人間である。この二千年余り前の言葉を、時代に即して丁寧に翻訳してくれたのだろう。
うちの会社でも持っている人がいたから、貸してもらってパラパラ読んだりもした。
書かれていることについては、素直に、「なるほどね」と思う。
学生時代に『老子』も読んだし、「足るを知る」ことの大切さだって、少しはわかっているつもりだ。
けれど、明日から早速「求めない」精神で生きてくれといわれたら、僕は困る。
僕には、まだまだ「求めたい」ものがある。
べつに、物質的に満足していないわけではない。
一人暮らしの家は狭いし、冬のコートはもう一着ぐらいあってもいいし、
使っているパソコンの調子は悪いけど、我慢できないレベルではない。
でも、僕は自分自身には満足していない。
一番わかりやすい例は、仕事だろう。
僕は、今の自分が出している以上の「成果」を求めている。
そして「成果」を出せば、それに応じた「待遇」も、きっと求めるだろう。
求めた成果が出なければ僕は落ち込むだろうし、さらに強くそれを求めて汗水たらすはずだ。
はたから見れば、いや、本人だって、そういう生き方はけっこう疲れる。
今現在、会社に迷惑をかけるような仕事ぶりではないし、適当なところで、
自分にも周りにも「求めない」ようになれば、もっと楽ができるに違いない。
だけど、そういう「求めない」生き方は、もう少し後でもできる。
何しろ、「求めない」だもの。
そう思った瞬間から、もう完了。歩み(というより走りか)は、一気にとまる。
僕は自分が編集者として、あるいはモノを作る人間として、
自分がどれだけ向いてるとか、才能があるとかないとか、わからない。
昔はもっと自惚れていたけど、今は本当にわからない。
このまま、求めて、求めて、自分が求めたものとは全然遠い存在だったと気づいて、
いつか愕然とするような気がしないでもない。
でも、そうなったら、そうなったでいい。
そのとき、初めて「求めない」ようにすればいい。
今の僕は、まだまだ、もう少し求めたい。
求める先に何があるのか、見届けたい。
求めるのは欲望であると同時に、好奇心でもある。

