万人向けの「方法論」はたしかにない。それでも僕は、「方法論」は必要だと思う。
2008年 01月 06日
ビジネスや人生のハウツーものが、書店に並んでいる。多くの人が方法論を求めているのだろう。僕も、これまでにこの種の本の執筆を何度か依頼されたことがあるけれど、どうも今ひとつ書く気がしない。こうすればうまくいく、なんてこと、僕にはわからない。誰にでも適用できる確実な方法なんて存在しない。なにごともケースバイケースである。引用した文に対して、僕も大筋では賛成である。
<中略>
まず知らないうちに成功していた人がいて、その人が、自分は何故成功したのか、と過去を振り返る。そうして生まれてくるものが方法論であり、その信憑性はといえば、その人が成功したというたった一例の立証である。それを信じて、同じ方法によって成功する人も現れるだろうし、その方法では成功しない人も沢山出るだろう。両者の割合は、全体の平均とどれほど違うものか。多少の違いがあったとしても、他者の方法論を参考にしようという積極性がある人は成功する確率が高い、というだけのことではないのか。
僕が言いたいのは、方法論のほとんどは、「過去を振り返って気づいたこと」だという点である。基本的に、将来に目を向けた指針としては、根本的なスタンスが不適切だし、データ不足を感じる。
しかし、「ビジネスや人生のハウツー」本を今までしこしこ作ってきた僕としては、少し書き加えたいことがある。
なるほど、たしかに「それを読めば、そのマネをしさえすれば、万人が成功する」方法論なんてものはない。
また、ふだんその手の本を作ってて思うのだけど、ある方法論があったとして、それと真逆のことを説く方法論だってある(しかも、両者は、それそれの方法論を駆使して、成功してるのだ)。
だから、方法論なんて人それぞれだし、「自分に合った方法論」と出合わない限り、成功はおぼつかない。
だからといって、「方法論」はなくてもいいのだろうか?
たとえば、「時間の使い方」がうまくなりたいと思った人がいるとする。
その人は、誰の方法論にも学ばず、自分の頭ですべて考え、「時間の使い方」を工夫するのがベストなのか?
僕はそんなときこそ、本で、いや本でなくともネットで、セミナーで、あるいは他の人に聞くのでも何でもいい、「方法論」を知り、それを試すべきだと思う。
もちろん、「ハズレ」にあたるときもある。最初は「ハズレ」ばかりかもしれない。
けれど、「ハズレの方法論」にだって意味はある。
自分にはこの方法論は合わない――それがわかっただけでも、一歩前進だと僕は思う。
それがわかったなら、逆の方法論を試してもいいし、なぜそれが合わなかったかを突き詰め、独自の方法論を生み出してもいい。
自分ひとりの頭で勝負するよりも、そのほうが成功への時間は、チョッピリでも短縮できるのではなかろうか?
いずれにせよ、「誰かの方法論」は「自分独自の方法論」を生むキッカケになる、そう信じて僕は本を作っている。
それもまた、僕独自の方法論といわれれば、それまでだけど。