面白い本だから読む、それで全然いいじゃない。
2008年 03月 17日
昔は私も、”本を読む”ということを難しく考えていたことがあった。読書は立派なこと、偉いこと、勉強なんだと構えていたからいけなかった。この文章を読んで、昔、何も考えずに好きな本を読んでいたころのことを思い出しました。
今は私にとって、本を読むのは音楽を聴いたり映画を見たりするのと同じである。文学的価値があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいことなのだ。売れていようと売れていまいと、まわりのひとが皆つまらないと言っても、自分さえ面白ければそれでいい。自分さえ夢中になれればそれでいいと思っている。
冊数だってそんなに重要なことじゃない。時々こんなに私は本を読んでいると自慢する人もいるけれど、冊数をのばすだけなら誰でもやろうと思えばできることだ。その中で何冊心に響く本があったか、一冊でも人生を変えるような本に出会ったのか、その方がよっぽど重要なことだと思う。
*『そして私は一人になった』(山本文緒著・角川文庫)より
いまの僕は、本作りの参考としての読書、売れている本の研究としての読書、といった「仕事としての読書」に時間を割くことが少なくありません。
また「当ブログへの献本」に目を通すのも、正直、「純粋な読書」とはいえないでしょう。
それらの読書をしているとき、僕はいつも、色々考えてしまいます。
この本にはこういう視点がないから、自分が立てる企画にはこんな項目を入れよう。
この本が受けている理由の一つに、こんなことがあるかもしれない。参考にしよう。
この本をネタにするとしたら、ここのページから引用するのがベストだな。
そうやって色々考えるのが無益なことだとは思いませんが、そういう読書だけが僕の読書生活のすべてだとしたら、それは、やっぱり苦痛です。
面白い本だから読む。何の役に立たなくても読む。
読書って、それでも「全然いい」ものだと思います。
僕にとっての読書は、きっとそこからスタートしたものだし。