小説家を志すあなたが、「夜がきた」と書いてはいけないワケ。
2008年 04月 21日
*時期が来るとトップページから削除されてしまうはずなので、かなりの長文ですが引用します
夜がきた。
と、書くのは説明。べつに文才がなくても、誰にでも書けます。また、誰に対しても意味が通じます。
けれど『夜』という言葉を遣わずに『夜がきた』ということをあらわす──描写するのが、小説家の基本的な仕事です。
強く意識してください。説明は誰にでもできます。小説家を志すあなたが成し遂げなくてはならないのは、描写です。描写、描写と口を酸っぱくして言ってきた所以です。
以後、『夜がきた』と書くべきときに、『夜』を遣わずに、『夜』を表現してみてください。
たとえば『夜のとばりがおりた』などと書くのは説明としても鬱陶しいし、描写としても紋切臭くて陳腐すぎる。
こうなると説明としてはうざいし、描写としては三流という最悪なことになってしまうわけです。ひとことで言えば、センスがない。
(中略)
いいですか。能力的に劣る者のやることはわかりきっています。見透かされています。
だから、つまらない虚仮威しや居直りを棄て、正攻法で足掻いてください。
湿り気とか、いちだんと濃さを増す植物の香りとか、昼には耳につかなかった玉砂利を踏みしめるときの音とか──いくらでもあるでしょう、描写の手がかりが。
ここで大切なのは、あなただけの象徴を見つけだし、掴み取ることです。
やがてセンスのある者ならば、『夜』という言葉を用いずとも、読み手により深く的確に『夜』を感じさせることができるようになります。
そうなったら、文章をシンプルにするために『夜がきた』と、書きましょう。
つまり描写が不要な部分では煩くなることを避けるために、さらっと説明してかまわないのです。
でも、『夜』という言葉を用いないと『夜』を表現できないうちは、『夜がきた』と書いてはなりません。
抽んでた者とその他大勢の差異といってもいいのですが、『夜』を用いずに『夜』を表現する力のある者は、じつは『夜』の象徴を掴み取っているから、『夜』を用いずに『夜』を表現できるのです。あえて『夜がきた』と書いても、その深みがまったくちがうのです。
また、言わずもがなのことですが『夜がきた』は単独でそこにあるわけではありません。他の文と絡みあってあるわけです。
小説という散文表現において、単独で存在する言葉は、ありません。
当たり前ですが、これ以上僕が付け加えることはありません。
小説家を志す方は、参考にしていただければよいかと。