『あたらしい戦略の教科書』に、本当の「あたらしさ」はあるのだろうか?(追記アリ)
2008年 09月 01日
また、同じ本でも、読む時期によって、評価が変わることもある。
もしも僕が、前作『はじめての課長の教科書』を読む前に、この本に出会っていたのなら……
僕はきっと、本書、
『あたらしい戦略の教科書』
(著者より出版社を通じて献本)
を高く評価したと思う。
けれど、現実は違う。
僕はすでに、『はじめての課長の教科書』を読んでしまった。
酒井穣という著者が持つ「可能性」を知ってしまった。
彼が「あたらしい」戦略の教科書を書くと聞いて、胸が躍った。
しかし、それはどうやら、僕の空騒ぎだったようだ。
本書の第1章「戦略とは何か?」で、著者は「戦略とは『旅行の計画』である」と述べ、次のようにたとえている。
「戦略とは現在地と目的地を結ぶルート」
なるほど、これはわかりやすい。しかし、そこに「あたらしさ」はあるのだろうか?
僕は「(経営)戦略」の本の良し悪しを語れるほど、類書に通じているわけではない。
そもそも、大学時代は日本文学が専攻で、経済・経営の基礎知識さえ危うい部分もある。
けれど、戦略を語るのに「現在地」と「目的地」を出すのが、定石だということぐらいはわかる。
現に、僕がこれまで仕事をしてきた経営者やコンサルタントは、同旨のことを、取材や打ち合わせで何度も語っていた。
本書に「あたらしさ」(それはもちろん、僕が求める「あたらしさ」だが)を求めていた僕としては、正直、この出だしを読んだとき、心配になった。
本書は、わかりやすいし、前作同様、きめ細かい記述には頭が下がる。
だけど、それらの特長は、内容の「あたらしさ」を保証すると言えるだろうか?
本書の核をなす考え方に「スイートスポット」という概念がある。
これは「顧客に対して、自社にしか提供できない価値」が含まれる領域、すなわち自社が守り、広げ、有効活用すべきビジネス領域のことだ。
これ自体は僕にとっては「目新しい」ものだった。
(ただし、同様の概念は違った言い方で、今までに何度も紹介されているとは思う)
しかし、これは酒井氏の発明品ではない。
本書65ページのキャプション、および参考文献をチェックすればわかるように、この考え方はある雑誌からの受け売りである。
すなわち、(あえてこういう言い方をするが)「借り物」だ。
本書が他の本から「借り」ている部分は他にもある。
べつに、すでにある情報を拝借して、さらに付加価値をつけてリリースするのが悪いとは言わない。
(そういう本作りは、僕自身、今まで何度もしてきた)
けれど、そうしてリミックスされて提供された情報は、はたして「あたらしい」ものだろうか?
いや、より正確に言えば、たとえそれらが「あたらしい」としても、僕がこの本に求めた「あたらしさ」は、はたしてそういうものだったのか?
本書を読み終えて改め感じたこと。
それは、僕がこの本に求めていたのは、酒井穣 という可能性あふれる著者が長年ビジネスマンとして経験したことを結晶化し、「自分の言葉でつむぎ出した、今までにない、あたらしい戦略」であったということだ。
そうした希望が一読者として妥当なものだったのかは、わからない。
(実際、読者によってはこの本を「あたらしい」と評価する人もいる)
最初にも書いたように、人によって本の評価は違う。
この本に書かれているすべての記述に、今まで見たことのないような「あたらしさ」を感じる人も少なからずいるだろう。
僕はそれらの評価を否定する気はない。
けれど、自分が現時点で極めて厳正に下した評価を、他者の評価にすり寄せる必要性も感じない。
最後に、この本のタイトルが、もしも『はじめての戦略の教科書』や(出版社的にはナシだろうけど)『よくわかる戦略の教科書』だったら、僕はこんなことをネチネチと書かなかったはずだ。
それほどまでに、僕はこの本に「あたらしさ」を求め、また、本書の著者ならそれが書けるはずだと期待した。
その意味では、この本において、「僕という顧客」と「著者が提供できる(というか、したい)価値」に大きなズレがあったのだろう。
他の多くの読者にとって、この本が紛れもない「スイートスポット」であることを願う。
●大事な追記
この記事を書いたあとに、本書の担当編集者の方とメールをやりとりする機会をいただきました。
メールには、彼がなぜこの本に「あたらしい」と銘打ったか、その確固たる理由が、担当者ならではの熱い想いとともに書かれていました。
今回、異例ではありますが、そのメールの一部を以下に引用させていただきたいと思います。
私なりの「あたらしい」というタイトルへの思いを書かせてください。このメールを見てもおわかりの通り、僕が本書に求めた「あたらしさ」と、担当の方が本書に見出した「あたらしさ」は異なります。
「あたらしい」というキャッチフレーズは著者の原稿に最初から付いていたものですが、個々の方法論はたしかに「新しい発明」と言えるものはないかも・・・と感じながらも、そのキャッチフレーズには私はあまり違和感を感じませんでした。
「現場主導の戦略」という視点に相当、新鮮さを感じるとともに、たぶん一生現場で働く自分にとっても勇気や働く意義みたいなものを感じさせてくれる原稿であることを誇りに感じたりもしたからだと思います。
ご存じかと思いますが、僕らの社名のディスカヴァーには「覆いを取る」という意味があります。
「ものの見方や視点の変化」こそが「新しい」明日を生み出すというような意味ですが、「思い込みの枠をはずすことこそが自分をあたらしく生まれ変わらせてくれるのだ」・・・という社名には僕自身、深く共感するところがあり、ここにいます。
そうした視点を変えてくれるあたらしさがこの本にはあったのではないかというのが担当編集の僕の思いです。(担当編集者の方からのメールより)
そして、昨日自分が書いたことを若干修正することになりますが、そのあたらしさは、どちらも「本当のあたらしさ」であることに違いはないのでしょう。
この記事の冒頭にも書いたように、本の評価は人によって変わります。
僕がこのブログに日々載せている評価は、あくまで「僕というフィルターで濾過された」評価であり、通常ならば読者の方々はそれにしか触れることはありません。
もちろん、このブログの読者の中には「僕というフィルター」をある程度信頼して、あるいはその偏りをわかった上で、記事を読んでくれる人もいるのでしょう。
けれど、繰り返しになりますが、本の評価は人の数だけ存在します。
「僕というフィルター」を外せば、そこには違った評価も存在しうるのです。
そんな意味もあって、僕はあえて、この本に対する「もう一つの評価」を載せました。
一読者として「ある編集者」がくだした評価も、この本を世に送り出した「担当編集者」がくだした評価も、これからこの本を手に取る読者の方に有益であることを願います。