僕が書評を書くときに、一番大事にしてること。
2008年 09月 03日
『あたらしい戦略の教科書』に、本当の「あたらしさ」はあるのだろうか?(追記アリ)
その追記部分とも少し関連するのだけど、「僕が書評を書くときに一番大事にしてること」を以下に書いておく。
結論から言えば、僕は書評を書く際に、
「自分がその本を読んで、そのときに感じたことを、ありのままに書く」
ことを、一番大事にしている。
そんなの当たり前のことだよ、と思う人もいるだろうけど、その当たり前が意外と難しい。
そもそも、僕がこのブログで紹介する本の大部分は、著者や編集者からの「献本」である。
他社の友人や、業界の大先輩が汗水たらして一生懸命作った本。
できることなら、どんな本であれ高い評価をしたいというのが、人情だ。
けれど、それをやってしまうと、一番苦しむのは自分である。
よくないと思った本でも無理やりほめ、ブログの読者にたいして思ってもいない感想を垂れ流し、常に献本してくれた人の顔色を気にして記事を書く。
そんな思いをするぐらいなら、「よくない本はよくない」とはっきり書くほうがいい。
幸い、そこまで酷い本にはまだ出合ってないが、いつかそういう本が送られてきたときには、誰が作った本であれ、正直な感想を書くつもりだ。
また、今の時代、新聞・雑誌はもちろんのこと、ブログであれ、ネット書店やsnsのレビューであれ、ある程度の知名度を有する本に対する書評は世の中にあふれている。
僕自身、参考として、それらの書評にざっと目を通すことはある。
けれど、他人の書評を意識しすぎると、自分の書きたいことが書けなくなる。
あの有名な書評ブロガーは自分とはまったく逆の感想を書いている、自分はいいと思った本だけどアマゾンのレビューでは酷評されている……。
そんなことを気にしだすと、いつの間にか自分の意見がそちらにすり寄ってしまいかねない。
そういうときこそ、「自分がそのときに感じたことを、ありのままに書く」ことを強く意識する。
このブログは、僕のブログである。
「僕というフィルター」をかけない書評なら、わざわざ時間をかけて載せる意味はない。
「僕というフィルター」を考えたとき、僕が編集者であることは、その大きな要素の一つだろう。
僕の書評には、本のタイトル、構成、デザイン、造本、ときには販売面についての意見も含まれる。
それは「一読者」であると同時に「一編集者」として本を読んでいるのだから、当然である。
もっとも、それがどれだけこのブログの読者に伝わっているのかは心もとない。
正直、普通の読者はそこまでタイトルのこととか気にしないかもなぁと思いつつ、この本のタイトルはいいとか悪いとか、好き勝手なことを言っている。
けれど、そういう偏りも含めて、自分の書評には「僕らしさ」を出したいのだ。
また、僕の書評を通じて「編集者的な本の読み方」を少しでも感じてもらえれば、それは多少意味のあることではないかとも思っている。
「自分がその本を読んで、そのときに感じたことを、ありのままに書く」
今後書く書評でも、僕はそのルールを守っていく。
それによって、「ある編集者」の書評はときに偏っているとか、ときに厳しすぎるという感想をもたれても構わない。
僕にとっての書評は、ある本の内容や価値を記録すると同時に、その時々の自分自身を表現する大切な機会なのだ。
みなさんがそれを望んでいるかどうかはともかく、そういう方針で書いているということをご理解いただきたい。