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ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

カテゴリ:本・出版( 756 )

小学館新書の正体は、「ドラえもん新書」だった?!_c0016141_2140942.jpg10月に小学館から新書シリーズ(小学館101新書というのだとか)が出るってのは聞いていましたが、こういう「ルックス」だとは想像していませんでした。

左は『読書進化論』のカバー。

見ての通り、ドラえもんのポケットがモチーフになってますよね。

ほかの著者のブログでも、このデザインが確認できたので、シリーズ全体で「ドラえもん新書」の様相を呈しているようです。
*参考:ドラえもん?

ちなみに注目のラインナップは、下のリンクでも言われているように「かたいな~」の一言ですよね。
*参考:小学館101新書だそうで

天下の小学館さんなんだから、一冊ニ冊は大博打をしてほしかったものですが。
なんだか、幻冬舎新書や角川oneテーマ新書あたりがこのラインナップでもおかしくないような気が……
by aru-henshusha | 2008-09-15 21:51 | 本・出版
このノウハウで「恋の問題解決」も可能になる?! 話題の「ファンクショナル・アプローチ」。_c0016141_15391055.jpgこの本は担当編集者の方からいただきました。

ワンランク上の問題解決の技術《実践編》

自分自身がこれから「実践」したくなるようなスキルを教えてくれたという意味では、最近感想を書いた本の中でも一番の良書。

ただし、内容の一部を抜き出して紹介するのには適さない構成なので、ちょっと変わった紹介の仕方を試みてみます。



本書で紹介されている「ファンクショナル・アプローチ」は、「何のためにするのか?」(目的)、あるいは「それは何のためにあるのか?」(機能)という視点から、ある課題を分析し、改善点を見つけていく「問題解決」の技法です。

……って、こんなことイキナリ言われてもわからないですよね。
(僕自身、アマゾンの内容紹介を見た時点では、中身が想像できませんでした)

なので、今回はそのファンクショナル・アプローチの手法(正確には、FASTダイアグラムの作成)を応用して、「恋の問題解決」に挑戦してみました。


問題はズバリ、「好きな人への告白のポイント」。
ファンクショナル・アプローチを使うことで、以下のように問題の本質が見えてきます。

●ファンクショナル・アプローチで分析した好きな人への告白のポイント(超簡易版)

このノウハウで「恋の問題解決」も可能になる?! 話題の「ファンクショナル・アプローチ」。_c0016141_14125237.jpg
*注 まじめにやるとかなり項目数が増えてしまうのでザックリやってます。
 また、この図はMindMeisterで作成しました。便利なサイトです。


図を見てもらうとわかるように、ここでは告白の目的を「相手にOKをもらう」ことに設定。
その「ため」には何をすればいいのか、という視点で問題を分解し、告白のためにやるべきことを洗い出しています。

もっとも、これはあくまでたたき台で、一度この図(FASTダイアグラム)を作成したあと、それぞれの上下関係を見直したり、新しい項目(ファンクション)を追加したりします。

たとえば、上の図でいえば、「脈ありかどうか確かめる」の下に、「共通の知人にそれとなく探らせる」なんてファンクションを追加できるかもしれません。

まあ、これで「恋の問題解決」ができるかどうかは明言は避けますが、それよりも「本の目次づくり」への応用が相当きく手法なので、同業者や著者(候補)の方は必読かと。


最後に、先日こんな記事も書いたので、「編集者」として少し気になったことを。

・そもそも、「問題解決」自体がふつうのビジネスマンにとって敷居が高いスキルなので、さらに「ワンランク上」と名付けると、読者が狭くなる気が…
・本の構成上必要なのはわかりますが、1章がかなり長くて、ここで挫折する読者もいるかも…

まあ、担当の方にしたらそんなことはお見通しで1785円という値づけをしている気がしますが、タイトル以上の敷居の高さを、個人的には感じました。

とはいえ、中身は本当によい本なので、秋の夜長に気張って読む価値はある一冊です。
ぜひ、ご一読を!


*当ブログへの献本は、以下のルールに則っていただける限り、歓迎いたします。
当ブログへの「献本ルール」を、ここらでハッキリ決めようと思います。
by aru-henshusha | 2008-09-07 16:10 | 本・出版
昨日書いた書評(というかあくまで感想レベルだが)に、先ほど追記をした。

『あたらしい戦略の教科書』に、本当の「あたらしさ」はあるのだろうか?(追記アリ)

その追記部分とも少し関連するのだけど、「僕が書評を書くときに一番大事にしてること」を以下に書いておく。


結論から言えば、僕は書評を書く際に、

「自分がその本を読んで、そのときに感じたことを、ありのままに書く」

ことを、一番大事にしている。

そんなの当たり前のことだよ、と思う人もいるだろうけど、その当たり前が意外と難しい。


そもそも、僕がこのブログで紹介する本の大部分は、著者や編集者からの「献本」である。

他社の友人や、業界の大先輩が汗水たらして一生懸命作った本。
できることなら、どんな本であれ高い評価をしたいというのが、人情だ。

けれど、それをやってしまうと、一番苦しむのは自分である。

よくないと思った本でも無理やりほめ、ブログの読者にたいして思ってもいない感想を垂れ流し、常に献本してくれた人の顔色を気にして記事を書く。

そんな思いをするぐらいなら、「よくない本はよくない」とはっきり書くほうがいい。

幸い、そこまで酷い本にはまだ出合ってないが、いつかそういう本が送られてきたときには、誰が作った本であれ、正直な感想を書くつもりだ。


また、今の時代、新聞・雑誌はもちろんのこと、ブログであれ、ネット書店やsnsのレビューであれ、ある程度の知名度を有する本に対する書評は世の中にあふれている。

僕自身、参考として、それらの書評にざっと目を通すことはある。
けれど、他人の書評を意識しすぎると、自分の書きたいことが書けなくなる。

あの有名な書評ブロガーは自分とはまったく逆の感想を書いている、自分はいいと思った本だけどアマゾンのレビューでは酷評されている……。
そんなことを気にしだすと、いつの間にか自分の意見がそちらにすり寄ってしまいかねない。

そういうときこそ、「自分がそのときに感じたことを、ありのままに書く」ことを強く意識する。

このブログは、僕のブログである。
「僕というフィルター」をかけない書評なら、わざわざ時間をかけて載せる意味はない。


「僕というフィルター」を考えたとき、僕が編集者であることは、その大きな要素の一つだろう。

僕の書評には、本のタイトル、構成、デザイン、造本、ときには販売面についての意見も含まれる。
それは「一読者」であると同時に「一編集者」として本を読んでいるのだから、当然である。

もっとも、それがどれだけこのブログの読者に伝わっているのかは心もとない。
正直、普通の読者はそこまでタイトルのこととか気にしないかもなぁと思いつつ、この本のタイトルはいいとか悪いとか、好き勝手なことを言っている。

けれど、そういう偏りも含めて、自分の書評には「僕らしさ」を出したいのだ。

また、僕の書評を通じて「編集者的な本の読み方」を少しでも感じてもらえれば、それは多少意味のあることではないかとも思っている。


「自分がその本を読んで、そのときに感じたことを、ありのままに書く」

今後書く書評でも、僕はそのルールを守っていく。

それによって、「ある編集者」の書評はときに偏っているとか、ときに厳しすぎるという感想をもたれても構わない。

僕にとっての書評は、ある本の内容や価値を記録すると同時に、その時々の自分自身を表現する大切な機会なのだ。

みなさんがそれを望んでいるかどうかはともかく、そういう方針で書いているということをご理解いただきたい。
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by aru-henshusha | 2008-09-03 14:32 | 本・出版
『あたらしい戦略の教科書』に、本当の「あたらしさ」はあるのだろうか?(追記アリ)_c0016141_17313511.jpg当たり前のことだけど、本の評価は、人によって変わるものである。

また、同じ本でも、読む時期によって、評価が変わることもある。

もしも僕が、前作『はじめての課長の教科書』を読む前に、この本に出会っていたのなら……

僕はきっと、本書、

あたらしい戦略の教科書
(著者より出版社を通じて献本)
を高く評価したと思う。


けれど、現実は違う。

僕はすでに、『はじめての課長の教科書』を読んでしまった。
酒井穣という著者が持つ「可能性」を知ってしまった。
彼が「あたらしい」戦略の教科書を書くと聞いて、胸が躍った。

しかし、それはどうやら、僕の空騒ぎだったようだ。


本書の第1章「戦略とは何か?」で、著者は「戦略とは『旅行の計画』である」と述べ、次のようにたとえている。

「戦略とは現在地と目的地を結ぶルート」

なるほど、これはわかりやすい。しかし、そこに「あたらしさ」はあるのだろうか?


僕は「(経営)戦略」の本の良し悪しを語れるほど、類書に通じているわけではない。
そもそも、大学時代は日本文学が専攻で、経済・経営の基礎知識さえ危うい部分もある。

けれど、戦略を語るのに「現在地」と「目的地」を出すのが、定石だということぐらいはわかる。
現に、僕がこれまで仕事をしてきた経営者やコンサルタントは、同旨のことを、取材や打ち合わせで何度も語っていた。

本書に「あたらしさ」(それはもちろん、僕が求める「あたらしさ」だが)を求めていた僕としては、正直、この出だしを読んだとき、心配になった。

本書は、わかりやすいし、前作同様、きめ細かい記述には頭が下がる。

だけど、それらの特長は、内容の「あたらしさ」を保証すると言えるだろうか?


本書の核をなす考え方に「スイートスポット」という概念がある。

これは「顧客に対して、自社にしか提供できない価値」が含まれる領域、すなわち自社が守り、広げ、有効活用すべきビジネス領域のことだ。

これ自体は僕にとっては「目新しい」ものだった
(ただし、同様の概念は違った言い方で、今までに何度も紹介されているとは思う)


しかし、これは酒井氏の発明品ではない。

本書65ページのキャプション、および参考文献をチェックすればわかるように、この考え方はある雑誌からの受け売りである。
すなわち、(あえてこういう言い方をするが)借り物」だ。


本書が他の本から「借り」ている部分は他にもある。

べつに、すでにある情報を拝借して、さらに付加価値をつけてリリースするのが悪いとは言わない。
(そういう本作りは、僕自身、今まで何度もしてきた)

けれど、そうしてリミックスされて提供された情報は、はたして「あたらしい」ものだろうか?

いや、より正確に言えば、たとえそれらが「あたらしい」としても、僕がこの本に求めた「あたらしさ」は、はたしてそういうものだったのか?


本書を読み終えて改め感じたこと。

それは、僕がこの本に求めていたのは、酒井穣 という可能性あふれる著者が長年ビジネスマンとして経験したことを結晶化し、「自分の言葉でつむぎ出した、今までにない、あたらしい戦略」であったということだ。

そうした希望が一読者として妥当なものだったのかは、わからない。
実際、読者によってはこの本を「あたらしい」と評価する人もいる

最初にも書いたように、人によって本の評価は違う。
この本に書かれているすべての記述に、今まで見たことのないような「あたらしさ」を感じる人も少なからずいるだろう。

僕はそれらの評価を否定する気はない。
けれど、自分が現時点で極めて厳正に下した評価を、他者の評価にすり寄せる必要性も感じない。


最後に、この本のタイトルが、もしも『はじめての戦略の教科書』や(出版社的にはナシだろうけど)『よくわかる戦略の教科書』だったら、僕はこんなことをネチネチと書かなかったはずだ。

それほどまでに、僕はこの本に「あたらしさ」を求め、また、本書の著者ならそれが書けるはずだと期待した。

その意味では、この本において、「僕という顧客」と「著者が提供できる(というか、したい)価値」に大きなズレがあったのだろう。

他の多くの読者にとって、この本が紛れもない「スイートスポット」であることを願う。


●大事な追記
この記事を書いたあとに、本書の担当編集者の方とメールをやりとりする機会をいただきました。
メールには、彼がなぜこの本に「あたらしい」と銘打ったか、その確固たる理由が、担当者ならではの熱い想いとともに書かれていました。

今回、異例ではありますが、そのメールの一部を以下に引用させていただきたいと思います。
私なりの「あたらしい」というタイトルへの思いを書かせてください。

「あたらしい」というキャッチフレーズは著者の原稿に最初から付いていたものですが、個々の方法論はたしかに「新しい発明」と言えるものはないかも・・・と感じながらも、そのキャッチフレーズには私はあまり違和感を感じませんでした。

「現場主導の戦略」という視点に相当、新鮮さを感じるとともに、たぶん一生現場で働く自分にとっても勇気や働く意義みたいなものを感じさせてくれる原稿であることを誇りに感じたりもしたからだと思います。

ご存じかと思いますが、僕らの社名のディスカヴァーには「覆いを取る」という意味があります。

「ものの見方や視点の変化」こそが「新しい」明日を生み出すというような意味ですが、「思い込みの枠をはずすことこそが自分をあたらしく生まれ変わらせてくれるのだ」・・・という社名には僕自身、深く共感するところがあり、ここにいます。

そうした視点を変えてくれるあたらしさがこの本にはあったのではないかというのが担当編集の僕の思いです。(担当編集者の方からのメールより)
このメールを見てもおわかりの通り、僕が本書に求めた「あたらしさ」と、担当の方が本書に見出した「あたらしさ」は異なります。

そして、昨日自分が書いたことを若干修正することになりますが、そのあたらしさは、どちらも「本当のあたらしさ」であることに違いはないのでしょう。


この記事の冒頭にも書いたように、本の評価は人によって変わります。

僕がこのブログに日々載せている評価は、あくまで「僕というフィルターで濾過された」評価であり、通常ならば読者の方々はそれにしか触れることはありません。

もちろん、このブログの読者の中には「僕というフィルター」をある程度信頼して、あるいはその偏りをわかった上で、記事を読んでくれる人もいるのでしょう。

けれど、繰り返しになりますが、本の評価は人の数だけ存在します。
「僕というフィルター」を外せば、そこには違った評価も存在しうるのです。


そんな意味もあって、僕はあえて、この本に対する「もう一つの評価」を載せました。

一読者として「ある編集者」がくだした評価も、この本を世に送り出した「担当編集者」がくだした評価も、これからこの本を手に取る読者の方に有益であることを願います。
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by aru-henshusha | 2008-09-01 18:37 | 本・出版
『36倍売れた! 仕組み思考術』は、「今年一番もったいない一冊」である。_c0016141_23551862.jpg本書は知人の編集者を通じて、担当編集の方からいただいた一冊。
(なお、毎回、Kさんの手を煩わせるのもあれなんで、次回からは直渡しでも結構です。その場合はこちら経由でメールをいただければと思います)

それはともかく、

36倍売れた! 仕組み思考術

は、僕が今年読んだ中で「一番もったいない一冊」である。
その理由は後で詳しく書くから、その前に、少しだけ本書のウリを紹介したい。


この本に書かれているのは、一言でいえば「電話×DM」の営業術だ。

ミソは、この「電話×DM」というところで、商品を「電話だけで、あるいは電話をきっかけに売る(いわゆるテレアポ)」のではなく、「DMの力だけで売る(いわゆるセールスレター)」のとも違う。

まずは電話で見込み客を探しその後にDMを送る
、という一見「二度手間」にも思えるノウハウだけど、ページをめくるにつれ、その二段階方式がいかに理にかなっているかが明らかになる。


僕は以前、営業や販売促進の本づくりの参考に、「テレアポ」関係、「セールスレター」関係の本をわりと読んだ時期があった。

しかし、それらの本はテレアポならテレアポ、セールスレターならセールスレターだけのノウハウが書かれていて、両者を「かけ算する」という発想がなかった。

そのぶん、両方の手法のいいとこどりをしている本書は、非常に実践的な一冊である。
売り込む商品によってはこのノウハウが適用しにくい場合もあるだろうけれど、それを差し引いても十分読む価値があると思う。


さて、本題に戻る。

なぜこの本が「今年一番もったいない一冊」なのか?
それは、タイトルが悪いからである。

そもそも、いまのタイミングで、『仕組み思考術』というタイトルをつけるのは、『「仕組み」仕事術』の影響を受けたのだろう(注 後者の本は半年近く前に出たビジネス書のベストセラー)

べつに、ヒット作のタイトルを拝借するのが絶対に悪いとまでは言わない。
けれど、この本の場合、それがかえって裏目に出ている。


『仕組み思考術』は前述したように、「営業術」の本である。
だからこそ、メインタイトルに「営業を連想させる言葉」を盛り込むべきであった。

たとえば、「仕組み営業術」でも「仕組みセールス術」でも「36倍売れるしくみ」でもいい。
この本は営業にかんする本ですよ、というのをもっとアピールすべきだったのだ。


実際、このタイトルのせいで本書はしばしば「間違った売り場」に置かれている。
一例をあげれば、新宿の某大書店で、この本は『頭がよくなる思考術』などと一緒に「考え方」の棚に置かれていた。

それは、著者や編集者が考えていた、この本の置かれ方とは異なるだろう。
しかし、そういう状態をつくったのは、間違いなくこの本の作り手(とくに編集者だと察する)なのだ。

カバーにあれだけデカデカと「思考術」と書かれていれば、忙しい書店員さんは、条件反射でこの本を「考え方」のコーナーに置くに決まっている。
そういうケースが多ければ多いほど、この本はみすみす販売機会を逃している。


本のタイトルには、人目を引くという役割も当然ある。

しかし、ビジネス書に限って言うなら、やはり「その本の中身がすぐにわかる」というのも重要な役目である。

『仕組み思考術』というタイトルは、自ら本の中身をわかりにくく、あるいは誤って伝えている。

これがよりストレートなタイトルであれば、36倍とまでは言わないけれど、3倍~4倍、売れ行きは変わったのではないだろうか?


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by aru-henshusha | 2008-09-01 00:50 | 本・出版
「普通の球児」である前に、彼らは「普通の高校生」だ。_c0016141_2311377.jpgまず献本いただいた著者にお詫びもかねて。

本来、夏の甲子園が終わる前に紹介予定だったこの一冊。感想が遅れに遅れて申し訳ない。

だけど、この本ならばいつ読まれても、その価値が損なわれることはないと断言できる。

ひゃくはち

は、他のどの作品にも似ていない、すばらしい野球小説だ。


この小説には、三つの裏切りがある。


一つめは、主人公が補欠であること。

経験者とはいえ一般入試で神奈川の強豪校の野球部に入った主人公は、最初は練習にもついていけず、試合ではエラーもするし、サインも間違える。
センバツ甲子園前のメンバー発表では、他のエリート部員と違って当落線上にいる。

平凡な主人公がさまざまな苦難を乗り越え驚異的な成長を遂げる、という「奇跡」はこの本では起こらない。


二つめは、野球部員が「普通」の高校生であること。

タバコは吸うし酒も飲む。たまの休日には合コンもする。セックスもする。

高校球児がそんなことを、と眉をひそめる人もいるかもしれない。
でも、どれか一つぐらいは、僕らはみな高校生のときに体験したことではないか。

押し付けられた「普通」ではなく、等身大の「普通」の高校生活が、この本の中にはある。


三つめは、彼らの夏が、予想もつかない形で終わること。

ネタバレになるので、詳細はここには書かない。

けれど、主人公にも、他の部員にも、そして僕ら読者にとっても思いもよらない形で、彼らの夏は終わる。
その終わりがもたらす「痛み」は、コールド負けの比ではない。


もしも、「普通の球児」の小説を期待した読者には、これらの裏切りはたえがたいものかもしれない。

この本で描かれる球児たちは、まさに『ひゃくはち』にも余るような煩悩を胸に、野球と野球以外の高校生活を送っている。
そこには、口当たりのいい爽やかさも感動もない。

だけど、だからこそ、本書は「普通の高校生」の姿を生き生きと描いた、青春小説の傑作だと僕は思う。


甲子園のグラウンドでは大人びて見える彼らだって、高校球児である前に、普通の高校生だ。
僕らがときにはハメを外し、ときにはかっこ悪く過ごしてきた高校時代を、彼らもきっと生きている。


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by aru-henshusha | 2008-08-25 23:17 | 本・出版
悲しいけれど、「本で読ませたいこと」と「本で読みたいこと」は、必ずしも一致しない。_c0016141_0353819.jpgこれから紹介するのは、担当編集者から献本いただいた一冊。

根まわし仕事術

正直、このテーマで一冊丸ごとというのはかなり厳しいんじゃないかと思ったのだけど、始めから終りまで何とか「根回し」だけでもたせている。

その意味では編集者の工夫、著者の力量を感じたのだが……

失礼を承知で言うけれど、この本、編集者が期待したほどの売れ行きを見せていないはずである。

なぜなら、やはりテーマがよろしくない。
「根回し」というのは、少なくとも今の時代、多くの人にとって「本で読みたいこと」ではないだろうから。


誤解をしないでほしいのだけど、僕自身は「根回し」の重要性はよくわかっているつもりだ。

たとえば、企画を通すときでも、本のタイトルを決めるときでも、僕はここぞというときは「根回し」をする。
というのも、自分の出した企画がどれだけ売れそうなものだろうが、提案したタイトルがどれだけよさげなものであろうが、会社(の上層部)というものは「常に合理的な判断をするとは限らない」からだ。

会社には会社の、各部署には各部署の、上司には上司のさまざまな思惑があり、それを未調整なまま自分の意見を押し通そうとすると、(その意見に多少の根拠があったとしても)思わぬ反発を生むことも少なくない。

だからこそ、僕は「根回し」というものを軽視しないし、ある意味、それは「本で読ませたいこと」だとも思う。


ここで問題なのは、読者が本で読みたいことと、作り手(著者や編集者)が本で読ませたいことは、必ずしも一致しないという点である。


個人的には「根回し」というのは、多くのビジネスパーソンには必要なスキルだと思うし、それをテーマにした本書にはある程度の読者を獲得してほしいとも思う。

けれど、今の読者、とくにビジネス書のメインターゲットである30前後の男女は、「根回し」といういくぶん古風な、そしてある程度手間がかかるスキルを本を読んでまで習得したいだろうか?

そう考えたとき、僕は残念ながら「ノー」と言わざるを得ない。


同業者の方ならわかるだろうけど、ここ最近のビジネス書の流行のひとつは、「いかに楽をして成果を出すか」だ(以前紹介したこの本は、その典型である)。

そういった本がいつまで支持されるのかは不明だけど、そういうテーマを好む今の読者にとって、「根回し」というテーマは、ちょっと逆張りが過ぎたのではないか?

本書は、根回しの順番やキーパーソンの見分け方など、内容としては実践的な項目が多い「使える本」だった。

それだけに、このタイミングで出されたのが悔やまれる。
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by aru-henshusha | 2008-08-24 01:20 | 本・出版
本日のシメは、ためにためて関係者に顔向けできなくなりだした、献本の山からのご紹介。
読了はしているので、あとは一冊一冊、地道に紹介していきます……

『恋空』が「浜崎あゆみ的文体」で描かれている、「ケータイ小説的。」な理由。_c0016141_1482169.jpgケータイ小説的。

この本は、以前紹介した『自分探しが止まらない』の著者、速水さんからいただきました。

*参考
「自分」というのは、探すもの? 決めるもの? 作るもの?

僕がノロノロしている間に、弾さんsmoothさんといった(とくにビジネス書業界で)著名な書評ブログでも取り上げられ、ジャンルを超えた盛り上がりを見せています。


さて、この本でとくに秀逸だと思ったのは、ケータイ小説と浜崎あゆみの歌詞の共通点についての考察。
著者はその共通点を次の3つだとしています。

1 回想的モノローグ
2 固有名詞の欠如
3 情景描写の欠如


1の回想的モノローグとは、基本的に3人称で書かれているケータイ小説のなかで、急に挿入される1人称の回想のこと。

たとえば、『恋空』には、
あの幸せだった日々は嘘じゃないそう信じていたから。
でも、もう本当にダメだね。
もう本当に本当に二人はダメになっちゃったんだね。(上巻206ページ)
という回想的モノローグがあるのだとか。

で、こういう表現・文体が、まさしく「あゆ」の歌詞に似ているんです。
実際、著者が例にあげていた、
季節の変わり目を告げる風が吹いて
君を少し遠く感じる自分におびえたよ
ふたりまだ一緒にいた頃 真剣に恋して泣いたね
今よりキズつきやすくて でもきっと輝いていた(FRIEND)
の歌詞なんて、ケータイ小説の一節だと言われても、見分けがつかない気がします。


では、「なぜケータイ小説と浜崎あゆみがつながる」のか?
その答は、本書をじっくり読んでいただき、見つけてもらったほうがよいでしょう。

本書には「ケータイ小説=浜崎あゆみ=?」という図式がなぜ成立するのかが、非常に丁寧な取材をもとに書かれています。
その答え合わせは、ぜひ本を読んで、していただきたいと思います。


ところで、ケータイ小説と「あゆの歌詞」の共通点である、「固有名詞の欠如」。

これによって、ケータイ小説の文章は総じて幼稚な感じを与えているように思うのですが、同時にこの文体的特徴には、次のようなメリットがあるようにも思えます。

それはすなわち、その本が「私たちの物語」だと感じられる作用があるということ。


たとえば、昔(ってすごい昔だな)、田中康夫氏が書いた『なんとなく、クリスタル』には(当時の)おしゃれなブランド名や、流行の遊び場の描写がふんだんにありました。
で、出版後だいぶ経ってから本を読んだ僕にとっては、主人公が女性であるからとか以前に、その世界観が自分とは遠すぎて(古すぎて)、全然、「自分たちの物語」として楽しめなかった覚えがあります。

一方で、地名も学校名も(意外にも)ブランド名もほとんど登場しないケータイ小説は、その「透明さ」ゆえに、いろいろな地域に住む、生活様式が違う女の子たちにも、「私たちの物語」として受け入れられる、それが多くの読者を生む秘密ではないのかなと。

とまあ、最後の考察はおまけみたいなもので、本格的にケータイ小説について考えたい方は、ぜひ本書をご覧ください。


*当ブログへの献本は、以下のルールに則っていただける限り、歓迎いたします。
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*なお、ケータイ小説関連本は、これこれに続き3冊目なんですが、さすがにもうお腹イッパイな感じです…
偉そうですみませんが、献本される方は、どうかご配慮を。
by aru-henshusha | 2008-08-19 02:49 | 本・出版
これは書店を回っていて気づいたことなんですが、最近の「話し方本」、やたら「秒」を争う事態になっています。

まずは、古き良き、「分」の時代の話し方本から。

最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_1143523.jpg

たった1分でできると思わせる話し方

レビューの酷評っぷりがすごいです…
(書名とは関係ないか)

それでは、「秒」の世界へようこそ。

最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_118593.jpg

30秒でつかみ・1分でウケる雑談の技術

まだ、かろうじて「分」が残っています。
最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_121653.jpg

たった20秒!“あッ”という間の説得術

1分で3回も説得できるの?!
最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_1234656.jpg

言いたいことが確実に伝わる17秒会話術

15秒では、ちと速いんでしょうか…
最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_1261018.jpg

どんな人とも10秒でうちとけて話せる本

本当ならば僕がほしいです。
そのうち「1秒」とか「0・5秒」なんて類書も出てくるんでしょうかねぇ。
(「コンチハ!」ぐらいしか言えないって…)

ちなみに話し方本にかぎらず、「秒」がついたタイトルは、最近のビジネス書のはやりです。

*参考

最近の出版界で流行している7つのキーワードで、「最強のタイトル」をつくってみた。 第2章

人のことは言えませんが、これもせわしない世の中の表れかもしれません。
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by aru-henshusha | 2008-08-19 01:35 | 本・出版
夏休み中も、泣くのを通り越して笑いたくなるほど仕事三昧だった、ある編集者です。
相変わらずやらねばならぬ仕事が多いのですが、ブログの更新もぼちぼちと。

今日は、仕事周辺ネタをいくつか更新します。最初は珍しく「ほぼ日」ソースで。


『人生という名の手紙』 担当編集者/フリー編集者 青木由美子(ほぼ日刊イトイ新聞 -担当編集者は知っている。)
タイトルに困ると、電車に乗る。
そこには必ず、読者がいるから。

素のままの普通の人たち。
メールを打つ人、眠っている人、酔っ払っている人。
この人たちの心に、直球で届くタイトルは? 
考えるうち、つい自分も眠ってしまう山手線。

もっと困ると、カラオケやDVD屋に行く。
古い歌謡曲の歌詞や、名作映画のタイトル。
「人肌になじんだ言葉」には必ずヒントがあるから。

飲み惚けた目に、蛍光色がまぶしい都内某所レンタル店。
つい関係ないDVD(『トラック野郎』)を借りてしまう。

――そしてタイトルは、降りてきた。
この「人肌になじんだ言葉」というフレーズ、なるほどなぁと思いました。


むろん、新しい風俗や事物を扱った本の場合、「なじみのない言葉」をタイトルにするときもあります。

しかし、たいていの本の場合、「人肌になじんだ言葉」、欲を言えば、「そのなじみが忘れかけられている言葉」がタイトルにくると、読者をハッとさせられるように思います。

ここ数年だったら、「品格」という言葉が、その最たるものではないでしょうか。

人肌になじんだ、なじみすぎた言葉ながらも、あのタイミングでタイトルになると「古新しい」気がしました。


ちなみに、この「人肌になじむ」という表現からして、十分「なじんでいる」言葉だなと思います。
青木さんは元某社のヒットメーカーだと聞いていますが、やはり一味違うものです。
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by aru-henshusha | 2008-08-19 01:09 | 本・出版