faresterさんのところで見つけた佐々木俊尚の「ITジャーナル」に、興味深い記事が。
日用品化するインターネットの生き残り策
この記事の中で、日本に新規参入する検索エンジン運営会社の社長が、大手とは違う顧客をつかむため、次のような広告戦略の仕方をあげている。
「たとえば普通のテクノロジ企業が出稿しないようなメディアに広告を出すという方法もある。たとえば家庭画報とかミセスとか、あるいはコスモポリタン、VERYみたいな雑誌とか」
なるほどな、と思う反面、多少の疑問も残る。
普通のテクノロジ企業が出稿しないのは、やはりその購読者は顧客として「ない」と思ったからでしょう。
人の狙わないところを狙うのも結構だが、裏を読みすぎると大失敗もしかねない。
ここらへんのバランスは難しい。
だいたい「コスモポリタン」「VERY]の読者は既存の検索エンジンを使いこなしているだろうしな~
まずはきっちり読者層をつかむことが肝要だろう。
*ということで、年内の更新はこれにて打ち止め。
みなさん(って誰が見てるんだか?)、よいお年を。

僕の家の近所なんて、3軒も出店してますから。
しかも、けっこう利用客多いんだ。
やっぱり、今の日本はまだまだ不況なのでしょう。
というか、もはや日本は不況がデフォルト化しちゃったんだろうな~
「ヤクザ・リセッション」なんて読むと、もうこの国にはほとほと愛想尽きますよ。
しかし、今日もSHOP99行ったけど、レジで20人ぐらい並んでいました。
不況とはいえ、こんなお店で行列作るとはね~
ま、僕もその最後尾に並びましたけど。
切ない。
今日一日で、奈良県警のホームページには、だいぶ訪問者が訪れたようですね。
僕も先ほど見てみたんですが、ちょっと変ですよ、このページ。
奈良県警ホームページ
(「奈良県警察ニュース」の近くのアイコンに注目)
やっと犯人捕まったからってさぁ、そんな陽気なアイコン使っていいのかね。
全体的に、上滑りなデザインですよ、奈良県警さん。
★☆被害者は、二度とやり直せない。(奪われた人は、奪われたまま)☆★
感情論になってしまうが、こんな男が何年後かに出所し、また「やり直せる」のかと思うと、やりきれない。
だって、いままでにも大変な前科があるわけだし、スナックで死体の写真を見せびらかすような鬼畜でしょ。
↓
【社会】スナックで遺体写真見せてた!ゆがんだ関心エスカレート
死刑にしろとは言わないけど、去勢ぐらいしてもいいんじゃない。
また罪を繰り返さないとは、誰にも保証できないんだから。

恥ずかしながら、人様のブログで見るまで知りませんでしたよ、このニュース。
どう見ても、ドラえもんでしょ、これ。
しかも、小学1年生ぐらいが描いた。
だいたい、ブロードバンド君て……
藤子プロは、このふざけたキャラクターをHPに載せているアメリカ連邦通信委員会に、抗議の申し入れ書を送ったそうですが、1ヶ月間シカトされっぱなしらしいです。
著作権まで属国扱いかよ。
(なんか我ながら政治的だな……)
それはともかく、ビジネス書編集の世界に移ってきて思うのは(じつはまだ転職したばかりなのだ)、著者自身の営業努力のすごさ。
とくに、ネットを用いての仕掛けに注力している人の本は、やはりそれなりに売れている。
なかでも、ブログというメディアは、宣伝、読者獲得、コアなファンの育成・維持に効果がありそうだ。
これはすなわち、ブログが盛り上がっている著者には要注目ということでもある。
とりわけ、下にリンクした著者は、かなり「ブログ力」が高そうな一人だ。
一部売り切れ??!!また良い書評!/ぞくぞく書評!/「はじめに」公開/さー寝るぞ!!
それに、これだけブログ書けるなら、原稿も早そうだしね、なんて勝手に期待してみたり。
(まあ、ブログと原稿じゃ勝手は違うんだろうけど)
正直、「編集者の仕事」にはできるだけ口を出してもらいたくないというのが、本音だろう。
もちろん、この「編集者の仕事」が何をさすのかは、各編集者や会社ごとに違うのだけど。
題名はどうやって決まったのか? ー 頼むぜ!長倉!俺はアメリカだ編
上にリンクしたのは、ベストセラー「会社にお金が残らない本当の理由」や「裏帳簿のススメ 」で有名な、岡本吏郎氏のブログの一部。
この著者、本の題名にも装丁にも口を出す。
ましてや、一度決めた章構成まで、校正中に覆している。
とても仕事熱心であると同時に、担当編集者としては心臓が痛かろう。
本のタイトル、見出しやカバーは編集者のものと思う編集者は多いはずだ。
著者がそこまでコミットするからこそ、売れる本ができるのか?
だが、だとしたら、編集者の役割とは一体?
これは、編集者の存在意義につながる問題かもしれない。

とにかく頭が切れるのと、今は珍しい「芸人らしさ」を残しているところに好感を持っている。
なかでも、水道橋博士(ちっちゃいほうの)はよく勉強もしていて、文章力もある。
本人は昔ルポライター?志望だったというくらいだから、将来的にはそちらにシフトしていくのかもしれない。
(いまも、『お笑い男の星座』などの著作はある)
師匠のたけし同様、文化人になってしまうのは、すこし寂しいが……
ちなみに、彼がほぼ毎日つけている日記がこれ。
博士の悪童日記
なお、少し前の日記で、「ほもかっちゃん」こと勝谷誠彦の記事に、軽いダメ出しをしているのを発見。
2004年12月16日
なるほどね、いいところをついてるかもしれない。
ただ、かっちゃんにとって、「女性自身」の仕事は、ちょっと手を抜いているのかな。
しょせんはアンカー的な仕事だろうしね。
プロの書き手ほど、すべての仕事に同じ力を注ぐとは限らないから。
いや、上の記事を読んで、やっと疑問が氷解。
やっぱり、自分のブログの純粋な宣伝のために、トラックバックしている人っていますよね~
こんな、できたてしょぼしょぼのページにも、そういうことする人いますから。
技術が悪いんでなく、使い手の品性が悪いだけの話でしょうけど。
ま、そんなページには、絶対足を運ばないので、よろしく。
その名も、
ある日の編集者
いままで、出版社やジャンルの垣根を超え、40人あまりの編集者がエッセイをつづってきたこのページ。
真面目なものから不真面目なものまで色々だが、どれも味わいある話ばかりだ。
なかでも、最新号?の高野麻結子さん(交通新聞社)の文章は胸を打つ。
いい編集者ってどんな人か。自分はどうありたいか。
最近思うのは、いい筒になりたいということだ。
単なる筒なのだけど、その人を通ることで、作品がちょっとだけ角度が変わる、光る部分が変わる、やわらかさ、温かみ、聞こえる音が変わる……というのだろうか。
そのためには生活習慣病のように、不用なものばかり蓄積されていたら、文字どおりつまらない。
ああ、こんな本があるんだ、と思ったとき、奥付に注目している編集者の名が記されていると、ああ、やっぱり、やられた、悔しい、でもさすがだ、ありがとう、という気持ちが一瞬のうちに自分のなかを駆け巡る。
優良な筒であること、が、いまの自分のめざすところ。
これから新しく編集者になるひとに、血流の上がるような本を生み出してほしい。
もちろん自分もだけど。(引用者により適宜改行ズミ)
編集者って、結構いい人多いですよ。
(自分は別として)
しっかし、みんな文章うまいねぇ。