「人生の満足度」警官より高い韓国の暴力団員たち(エキサイトニュース)
韓国刑事裁判協会が獄中の暴力団員109人を対象に調査を行ったところ、その79.3%が組織化された犯罪に関与する生活に満足していたと答えたそうだ。むかし出た『13歳のハローワーク』という本の帯には、
また別の調査によると、自分の仕事に満足していると言う警察官はおよそ65%だったそうだ。
「いい大学を出て、いい会社に入れば安心」という時代は終わっている。というコピーが書かれていました(参考)。
好きなことを仕事にして人生を充実させるために
この暴力団員の人たちも、さぞかし「好きなことを仕事にして」いるんでしょうねぇ。
まあ、その満足のために、多大な迷惑をこうむっている方々もいるんでしょうが……
妻がボーナスとしてもらいたい額は?
(1)10万~20万円未満 24.8
(2)30万~40万円未満 15.8
(3)50万~70万円未満 14.6
(4)20万~30万円未満 13.2
(5)5万~10万円未満 12.6
(6)5万円未満 7.4
(7) 100万円以上 7.0
(8)70万~100万円未満 1.6
(9)40万~50万円未満 1.2
0円(もらう資格はない) 1.8
ボーナス内から夫に渡した小遣い額は?
(1) 5万~10万円未満 16.4
(2) 10万~15万円未満 10.8
(3) 3万円未満 6.8
(4) 3万~5万円未満 5.6
(5) 20万円以上 4.0
(6) 15万~20万円未満 1.6
0円(渡さない) 27.6
分からない 27.2
夫が仕事に専念できるのも妻のおかげ、ということなんでしょうが、ちょっと寂しい結果のような……
普通の家庭って、こんなもんなんですかね。
プロボウラーズカード2007:女子プロ
モノによっては、もはやAVのパッケージみたいになっています。
以下、勝手にキャプションつけて、リンクしておきます。
・女教師風(名前も女優さんみたい)
・お口で頑張る系
・コスプレ1(小悪魔)
・コスプレ2(アニマル)
・美脚モノ
・素人熟女?系(そんな目で見つめられても……)
・体柔らかいぞ系(そんなジャンルないかな……)
・清純派
(オマケ)
僕の好みです……
ともかく、いまから2008年度版が楽しみで仕方がありません……
もう「三高」は古い!結婚相手の理想は「三手」(イザ!)
恋愛・結婚アナリスト、坂本裕美さんは「10年ほど前までは『三高』(高収入・高学歴・高身長)が結婚相手の男性の条件といわれたが、ここ1、2年は『三低』(低姿勢=レディーファースト、低リスク=安定した職業、低依存=束縛しない)に変わったといわれる。今年はこの『三低』に加え、『三手』(手伝う=家事や育児への積極姿勢、手を取り合う=理解と協力、手をつなぐ=愛情)が男性には必要になる」と予測している。こうなったら、男性も対抗して、理想の結婚相手の条件をあげていくべきだと思います。
たとえば、「3C」(うつくC、やさC、たのもC)なんてどうでしょう。
そんな略語は、古めかCですか……
~30・40代女性の4割近くが、「ほぼ毎日ジーパン」
好きなブランドは「リーバイス」が圧倒的。女性は「履いたときのシルエット」を重視~
■ジーパンをはく頻度これ以外にも、興味深い調査結果がリンク先には載っています。
ジーパンを持っている人(N=7454)に、「あなたはジーパンを大体どれくらいの頻度で履きますか。」と尋ねたところ、“大体毎日”27.9%、“週に 4~5日”15.4%、“週に2~3日”26.0%、“週に1日”13.3%であった。 『週に1回以上』履いている人は82.6%に上った。
<性年代別>
性年代別の回答を見てみると、【大体毎日】と回答した人は、女性40代が最も多く38.4%、次いで僅差で女性30代36.7%、女性50代26.9%、男性20代26.7%と続いた。
なかでも「ジーパンの形」は男女差が大きいので、チェックしてみてください。
普段、あまりベストセラーを読まない僕がこの本に手を出したのは、次のサイトを見たのがきっかけだ。
『オシムの言葉』|BOOKREVIEW|スタンバイ!
圧巻なのは、著者が、「悲惨な隣人殺しの戦争や艱難辛苦によって、現在のオシム監督が得たものが大きかったのでは?」と質問するシーン。オシム監督は、「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響は受けていないと言ったほうがいいだろう」と答える。「そういうものから学べたとするならば、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」。この言葉を知って、僕はこの本は、絶対に読まなければいけないと思った。
僕はいままで、人を強くするのは、まさに「艱難辛苦」だと思っていた。
それは、僕自身の経験から導き出された考え方である。
もちろん、僕の経験など、ボスニア紛争で家族と代表チームをバラバラにされたオシムと、とうてい比べられるものではない。
それでも僕は、自身の幼少期から少年期に至るまでの苦労と涙が、僕を強くしてくれたと、ずっと信じていた。
たとえば、物心ついたときから父親がいなくて、母親にもかまってもらえず、親戚の家で一日の大半を過ごしていたことは、僕に何がしかの影響を与えはしただろう。
じっさい、僕はその家で人の顔色を伺うことを覚え、同時に、一人でも強く生きる術を身につけた。
それらの「スキル」は、後年、僕が大事な一歩を踏み出すときに、背中を押してくれたことは疑いない。
けれど、オシムの言葉を知って、僕はこの考えを改める(あるいは修正する)必要性を感じている。
「それ」があったから、僕が(わずかでも)強くなれたことは否定しない。
だけど、「それ」は、なくてもよかった出来事ではないのか?
「それ」がなくても、強くなれるとしたら、そのほうがよいのではないか?
僕は、これからも、ちょっぴりずつでいいから、強くなりたい。
でも、そのために、わざわざ辛く悲しい思いをしたくはない。
人は、艱難辛苦からしか、強くなれないのだろうか?
強さとは、苦しみと悲しみの「化合物」でしかないのだろうか?
たいした根拠はないけれど、僕はそうではないと言いたい。
強さは、ときに、優しさや喜びからも生まれるものだと、僕は思う。
そういう強さを、僕は持ちたい。
そして、強くなるためには、優しさや喜びこそが必要なんだと、僕は言いたい。
たとえば仮に僕が編集者だとして、同じ実力の漫画家、A君とB君がいたとします。A君は人付き合いもよくて、僕の意見もよく聞いてくれる。ところが、Bくんはとても気難しくて、頑固でいつも逆らうし、コミュニケーションも取れない。となると、当然ですけど連載の仕事を頼むのは、A君ですよね。僕は漫画の編集者ではありませんが、ここで言われてることに、共感できる部分はあります。
仕事の基本はコミュニケーションにあるんです。でも、メールや電話に子供のときから慣れすぎているから、直接会って相手の表情を汲んだり、場の空気を読むっていうことがわからないコミュニケーションの下手な若者が増えていますね。
(コミュニケーションがとれて)仕事がやりやすい人と、その逆でやりにくい人がいれば、やりやすい人と仕事をしたい、と思うのが人情でしょう。
ただし、漫画家であれライターであれ、編集者が仕事をお願いする決め手は、必ずしも「コミュニケーション能力」だけではないとも思います。
たとえば、<ブログ>をテーマにした書籍の企画をお願いするとき、「同じような筆力だから、Aさんよりもコミュニケーション能力の高いBさんとやろう」というのは、ちょっと安直ではないかという気がします。
本来は、ブログ上のコミュニケーションを書いてもらうならAさん、ブログを使ったマーケティングについてはBさんのほうが詳しい、といったように、書き手(描き手)には、人それぞれの適性がある(べきだ)と思うのです。
ですから、多少の仕事のやりにくさには目をつぶって、このテーマならやっぱりこの人でしょう、という選択をする場面もあるでしょう。
その意味では、コミュニケーション能力に磨きをかけることばかりが、編集者に好かれる近道ではないと思います。
編集者は「その人」を見ると同時に、何より「その人の仕事」を見ているものではないでしょうか?
でも、けっこうビックリしました……
【国語】 縦書き(MORI LOG ACADEMY)
学校の教科書は、国語だけが縦書きである。国語が縦書きなら、ほかの日本語で書かれた教科書が何故横書きになるのか。それは、横書きの方がわかりやすく読みやすい、という判断のためだろう。縦書きの文章は今や極めてマイナであり、日本人が読む文章の大半は横書きだ。(僕などは、99%は横書きである)。新聞が、何故横書きにしないのかは、かねてより何度も書いている疑問の1つである。今さら、変えられないのだろう。僕は仕事柄、横書き(横組み)の本を作ることがありますが、それらはパソコン関係の本であったり、会計に関する本であったり、数字や英文が多く含まれることが前提です。
ただ、フィクションに関しては、それが物語であるという意匠として、縦書きは許されるのかな、という気もする。逆手に取った感があるが、これだけマイナになったのだから、保護しても良いだろう。古来の文化が絶滅するのは惜しい、という気持ちである。でも、エッセィになると、もう横書きにした方が良いし、またノンフィクションのジャンルも断然横書きが良い。縦書きだと、全部作りもので嘘っぽく思えてしまう。
そういう理由がない限りは、エッセイ的なものであれ何であれ、迷わず縦書きを採用します。
「縦書きだと、全部作りもので嘘っぽく思えてしまう」という感覚が、残念ながら(?)僕にはありません。縦で書こうと横で書こうと、作りものにしか見えない文章を書く人もいますから。
もちろん、引用した文に近い感覚の読者が多いのだとしたら、それはそれで考えなければいけない課題だとは思いますが……
それにしても、森博嗣さんと夏石鈴子さんは絶対に気が合わないでしょうねぇ。
(参考:編集者なら、手紙は「縦書き」で書きなさい?!)
(PCメールのやり取りだけで展開する小説もあったような)
「全編が携帯メッセージ」の小説出版 フィンランド(CNN.co.jp)
携帯電話でやりとりされる文字メッセージで全編を構成した小説が、このほどフィンランドで出版された。フィクションでありながら、独特の省略表現や文法ミスが現実味を醸し出している。ところで、このニュースを見て思ったのですが、次は「SNS」を舞台にした「SNS小説」なんてものが生まれるかもしれませんね。
「最後のメッセージ」と題したこの小説の主人公は、架空のIT企業幹部。会社を辞め、欧州各地やインドを旅行しながら、友人や親類に携帯メッセージを送るという設定だ。主人公が送ったメッセージと、受け取った返事は合計およそ1000通。これが332ページにわたり、順に紹介される。
戯れに、章構成のみ考えてみました。
プロローグ 謎の招待状
第1章 見知らぬメッセージ
第2章 「足跡」を追って……
第3章 鍵となった紹介文
第4章 怪しげなコミュニティ
第5章 最初の炎上
第6章 異界からの侵入者
第7章 仕組まれたオフ会
第8章 炎上、ふたたび
第9章 失われたログ
エピローグ それでも、つながりたかったもの
う~ん、どうでしょう。
現実には、「謎の招待状」の時点でシカトして、入会しないという話もありますが……
(株)幻冬舎 代表取締役社長 見城徹 前編1 — 独立・起業なら ドリームゲート
学生のころ、他人がとても怖かったんだよ。自分の容姿に自信がなかったし、いつも陰で誰かに笑われているような気がしてた。自意識過剰だったのかもしれない。周囲の目がいつも気になってたから。僕の名前が見城でしょう。それで同級生たちから「検便、検便」なんて呼ばれてさ。気づかないふりをすればいいものを、つい振り向いちゃうからまた標的にされる。それから休み時間にトイレに行けなくなってね。ほら、休み時間って廊下にみんながよくたむろするじゃない。そいつらの前を通ってトイレに行くのがいやなんだよ。また、はやし立てられそうで。授業中、ずっと我慢するわけ。つらいよね。それにしても、「けんじょう→けんべん」となるのは子供らしい発想ですが、「ベランダエッチ」という造語感覚には驚きです。
ほんと、このころはいい思い出がほとんどないね。たぶん小学校6年だな、あれは。目の前を通りかかったある女の子のスカートに、偶然、僕の手がかかっちゃって、彼女のスカートがベランとめくれた。それから僕のあだ名は「ベランダエッチ」。ちょうどエッチという言葉が流行り始めたタイミングだったから、それはもうすごい屈辱でさ。
スカートが「ベラン」とめくれる、というのも新鮮な擬音だと思うのですが……