
『時速1000字で書く技術』
文章作成のプロセスを、
考える
↓
メモを作る
↓
文章化する
↓
推敲する
の4つにわけ、とくにメモ作成について紙面を割いた本。
内容はベーシックですが、その分実用性が高いです。
「時速1000字」という切り口も優れた良書。
ネタにはしませんでしたが、オススメです。
編プロの入社試験に合格する方法(「編集プロダクション アプレ」のブログ)
ところで去年の秋頃、スタッフの友人が「編プロでの就職活動に苦戦している」というので相談に乗ってあげました。業界外の人から見れば、これらの質問には「そんなムチャな……」と言いたくなるかもしれません。
その際、3つのアドバイスを送ったのですが、その甲斐あって東京の某編プロから内定をもらえたそうです。
ネットを通じて声をかけると「あのアドバイスがあったからです」と言ってくれました。
さてさてアドバイスの内容ですが「面接時、以下の内容を質問するように」というシンプルなものです。
①残業代とかいらないので残業してもいいでしょうか?
②早く仕事を覚えたいので休日出勤しても大丈夫でしょうか?
③給料とか別に要らないんですけど、受け取らないといけないのでしょうか?
冗談じゃなくマジです。
採る立場の心理は
(面接の時だけ調子のイイこと言って後で「残業代は?」「昇給まだ?」「休日出勤!?絶対イヤですよ」とか言うんじゃないか?)
というのを恐れているんですよ。
だからその不安をコチラから解消してあげると心証が格段に良くなります。
就職本で「労働条件は堂々と聞いていい」と書いてありますが、あんなモン真に受けちゃダメです。
しかし、僕自身、もともと編プロ(編集プロダクション=出版社の下請)あがりの人間なので、上の3つの質問は、あながち冗談とは言えないと思います。
実際、僕がいた会社も、「残業代なし、1日平均14時間拘束、休日?何それ?」といった環境でしたし……
ただ、前にも書いたかもしれませんが、「編集者になる」ことを本気で目指すのであれば、版元だろうが編プロだろうが、この業界に潜り込むことが第一だと思います。
僕のように、編プロで経験を積んで、その後、出版社に転職するという例も意外とありますしね。
もっとも、③の質問を額面どおりに受け取られて、本当に給料が払われなかったら、さすがにキツイですが……

『がんばれ!銚子電鉄 ローカル鉄道とまちづくり』
例の「ぬれせんべい」騒動で話題になった会社さんです。
(参考:「敗北宣言」が呼び込んだ奇跡の復活 『がんばれ!銚子電鉄』その1)
僕が「鉄っちゃん」だったら、うまくネタ可できたかもしれませんが、そうではないので残念……
(ただし、友人にはそっち系の人が多いです)
じつは、ここ一年ぐらいで、当ブログ(管理人)への「献本」がだんだん増えてきました。
早い話、「面白い本作ったので、ブログで紹介してよ」と、知り合いの編集者さんなり、ライターさんなりが、僕に本を送ってくるわけです。
ところが、僕としては、このブログには「自分が気になった」人・事・物しか取り上げないと決めています。
また、せっかくいい本を頂いても、つくりによっては「ネタ」として紹介できないものも少なくありません(ネタとして取り上げやすい本については、文末を参照してください)。
それらの本は、せっかく送っていただいても、スルーしてきたのが現状です。
ただ、そういう「ルール」を厳密に運用していると、正直、心理的な負担は大きくなります。
相手としては紹介してほしい。こちらだって、できれば紹介したい。でも、できない。
そんな本がたまってくると、それはそれでストレスなのですね。
なので、その方針を少し変え、以下に、
「当ブログへの献本ルール」および「献本後の対応」
として明文化したいと思います。
●当ブログへの献本ルール
・すでに僕と面識がある方は、直接会社へ送ってください
(間違っても「ある編集者」宛とは書かないでください……)
・僕と面識がない方で、どうしても僕に送りたいという方は、付近に「ある編集者」を知っている人がいないか探してください。見つけられた場合のみ、「その人を経由する形」で送ってください(所属・個人情報を聞いたりはしないでください)
・プレスリリース等は同封いただいたほうが、アタリがつけやすくなるので嬉しいです
●献本後の対応
・基本的に「何日に紹介してくれ」というお願いには応えられないと思ってください
(ただいま、普通の記事の更新もままならぬほど多忙です……)
・「著者の方からいただいた」「出版社の方から献本された」という点は明記して紹介します
・いただいた本は<ネタにできるかどうか>で、次の2パターンで紹介します
①ネタにできない場合→「【献本】『書名』」という見出しをつけ、こういう本をいただきました、という事実とアマゾンへのリンクをはって、紹介します
②ネタにできる場合→オリジナルの見出しをつけ、本の面白いところを引用する形で「ネタ」として紹介します。アマゾンへのリンクもはります
・当ブログでネタにしやすいのは、こんな本です
出版・仕事・恋愛・エロ系などの軽い読み物、あるいは名言集などで、面白い言葉・データが引用しやすいもの
・参考ですが、当ブログの平均訪問者数は現在1日2000人強です。正直、僕より先に献本すべきブロガーはたくさんいると思いますが、強いて言えば業界関係者の読者が多いのが強みかもしれません
*追記:ケータイ小説は一冊読めば十分ですので、以降献本は受け付けません
まあ、ここまでゴチャゴチャ書いたら、かえって献本が来なくなるような気もしますが、それはそれで。
出版界の片隅にいる者としては、他社の本でも自社の本でも、面白い本は盛り上げていきたい、というのは正直な想いです。

昔あった「面白半分」というサブカル?雑誌の発行人が書いた、
『「面白半分」の作家たち』
という本に収められていた、開高健の言葉を拾ってみました。
「なんで魚に似てるのよ!」と怒る前に、とりあえず一読を。
「サトー君(引用者注 著者のこと)。魚と女はそっくりである。魚も女も針に掛かったときのあのぐぐっとくるアタリとヒキがなんともいえない。興奮する。そして一生懸命やりとりし、リールを力いっぱい巻いて、なんとか引き寄せる。タモで掬うと、美しい裸身をさらしてくれる。ここまでは同じや。しかしここからあとが決定的に違う。魚は美しい裸身を見せながら静かに死んでくれるが、女はそこからすったもんだが始まる。ホントに困ったもんや」(同書98ページより)ずいぶんな言葉ですが、当時、開高には「ややこしい女性関係」があったとかで、ついつい、こういう発言になってしまったのかも。
しかし、こんなことを言っていると、それこそ「男は釣った魚に餌をやらない」というブーイングが出そうですな……
なお、僕は多忙で、最近では「釣堀(どこだよ)」すら行っていないです……
ただ、十か条の中には、今でも通用する部分もありそうです。
光文社社長を勤めた方がいう「ベストセラー作法 十ヵ条」
(FAXDM、FAX送信の日本著者販促センター)
1、読者層の核心を二十歳前後に置く。
2、読者の心理や感情のどういう面を刺激するか。
3、テーマが時宜(じぎ)を得ているということ。
4、作品とテーマが、はっきりしていること。
5、作品が新鮮であること。テーマはもちろん、文体、造本にいたるまで、「この世でははじめてお目にかかった」という新鮮な驚きや感動を読書に与えるものでなくてはならない。
6、文章が、“読者の言葉”であること。
7、芸術よりもモラルが大切であること。
8、読者は正義を好むということ。
9、著者は、読者より一段高い人間ではないこと。
10、ベストセラーの出版に当たっては、編集者はあくまでプロデューサー(企画製作者)の立場に立たなければいけない。“先生”の原稿を押し頂いてくるだけではダメである。
あと、ちょっとだけ補足をすると、神吉さんという人は「10」にあるように、編集者はプロデューサーだという「創作出版」というスタイルでベストセラーを連発した人です。
(参考:光文社)
「6」「7」あたりは、その姿勢と関連すると思います。
ただ、この作法どおり、読者層の核心を20歳前後に置き、その層の言葉で書くとなると、ずいぶん若い人向きのベストセラーになりそうですね……
(いや、それだけ読者の裾野を広くしろということなのかな?)
あと、「5」みたいな本は、売れようが売れまいが、編集者なら一度は作りたい本かも。
エッチは何キロのジョギングにあたる?「大河網」がセックスを科学した!―中国(レコードチャイナ)
2008年1月8日付の「大河網」は、セックスを科学的に分析する記事を掲載。河南中医学院付属病院男性科の張燕燕(ジャン・イエンイエン)助教授にインタビューし、「セックスは楽しいものですが、とても体力を使う激しい運動でもあります」との見方を紹介した。なお、この数字は次の公式から割り出したそうです。
<中略>
また、男性の性欲が最も旺盛なのは18歳から22歳で、それ以後は衰えていくという。たとえば、30歳という年齢から計算すると、3日に1回という回数が限度。それよりも多いと、もしかしたら恥ずかしい思いをすることになるかもしれないと、張助教授は話す。
こちらも、ご参考まで……
20~49歳のセックス間隔は、年齢の10の位の数、例えば30~39歳の男性なら、3日に1回となる。50~59歳のセックス間隔は、年齢の10の位×1.5、60歳以上では年齢の10の位×2で出る数の日数おき
いちばん検索数の多い大学はどこ?(Yahoo!検索ランキング)
1位早稲田大学
2位明治大学
3位東京大学
4位関西大学
5位法政大学
6位日本大学
7位立命館大学
8位中央大学
9位東洋大学
10位京都大学
しかし、慶應大学が10位以内に入っていなかったのは意外。
受験者数の問題? それとも検索ワードが「慶応」「慶應」に割れてしまうから?
謎です。
参加していただいたのは、同業者の方々、ライター、翻訳者、
経営コンサルタント、弁護士秘書、メーカーの方などなど。
仕事の内容も年齢にも幅がある12人で酒を飲み、楽しい一夜になった。
ところで、オフ会の中で、ある方からこんな質問を受けた。
「ある編集者さんは、なぜオフ会をやろうと思ったんですか?」
言われてみて、少々困った。
正直、「ブログの節目に何かをやってみたい」という単純な思いが発端なのだけど、
同時に、それだけではないような気がして、オフ会が終わったあとも、一人帰り道で考えていた。
今から書くのは、そこで考えて出した、一応の結論である。
学生時代、出版社を中心に就職活動をしていたころ、
訪問した会社の説明会で、こんなことを言われたことがある。
「編集者の名刺さえあれば、あなたたちは、たいていの『会いたい人』に会えるんです」
むろん、就職した会社の得意とするジャンルにもよるけれど、
この言葉はおおむね間違っていないと思う。
少なくとも、「本を出しませんか?」の一言で、
(結果、断れることはあっても)たいていの人に面会を申し込む理由にはなる。
その意味で、僕ら編集者は「普通なら会えなかった人」に会い、それを仕事をしている。
けれど、思うのだ。
「普通なら会えなかった人」というのは、べつに、本を出すような作家や学者、
芸能人や経営者だけじゃないよなと。
昨日、僕がオフ会でお会いした方々も、「普通なら会えなかった人」ばかりである。
同業者であっても、編集する本のジャンルが違えば、なかなか会う機会がない。
他の職種であれば、なおさらだ。
今回、オフ会を開かなければ、一生、交わることがなかった方たちかもしれない。
「普通なら会えなかった人」が多く集まる機会で一般的なのは、趣味のスクールなどだろう。
仮に僕がテニスをやっていたり、陶芸をやっていたりしたなら(どちらも柄じゃないが)、
休みの日に、得がたい人との出会いがあったかもしれない。
でも、「趣味は読書。(orブログ。)」の僕としては、一番身近なのがオフ会である。
開催の手間は少々かかるけど、この機会は大事に生かしたい。
僕自身が「普通なら会えなかった人」に会えるのも嬉しいけど、もう一つ嬉しいのは、
「普通なら会えなかった人」同士が楽しんでいる姿のを見ることだ。
普段一堂に会さないだろう、経営コンサルタントと弁護士秘書とコピーライターが、
うちのブログのバカ記事を肴に、しょうもない話で盛り上がっている。
大げさな言い方かもしれないけど、そういう「場」を提供できることも、
僕がオフ会をやるときの、大きなやりがいである。
だから、ブログを続けている限り、オフ会も続けていくし、
オフ会を開くことが、ブログを続ける一つの原動力にもなるだろう。
毎日は相変わらず忙しいし、ままならぬことも多いけれど、
「普通なら会えなかった人に会える」仕事に就き、
「普通なら会えなかった人に会える」ようなブログを運営している僕は、
それなりに楽しく生きています。
ビジネスや人生のハウツーものが、書店に並んでいる。多くの人が方法論を求めているのだろう。僕も、これまでにこの種の本の執筆を何度か依頼されたことがあるけれど、どうも今ひとつ書く気がしない。こうすればうまくいく、なんてこと、僕にはわからない。誰にでも適用できる確実な方法なんて存在しない。なにごともケースバイケースである。引用した文に対して、僕も大筋では賛成である。
<中略>
まず知らないうちに成功していた人がいて、その人が、自分は何故成功したのか、と過去を振り返る。そうして生まれてくるものが方法論であり、その信憑性はといえば、その人が成功したというたった一例の立証である。それを信じて、同じ方法によって成功する人も現れるだろうし、その方法では成功しない人も沢山出るだろう。両者の割合は、全体の平均とどれほど違うものか。多少の違いがあったとしても、他者の方法論を参考にしようという積極性がある人は成功する確率が高い、というだけのことではないのか。
僕が言いたいのは、方法論のほとんどは、「過去を振り返って気づいたこと」だという点である。基本的に、将来に目を向けた指針としては、根本的なスタンスが不適切だし、データ不足を感じる。
しかし、「ビジネスや人生のハウツー」本を今までしこしこ作ってきた僕としては、少し書き加えたいことがある。
なるほど、たしかに「それを読めば、そのマネをしさえすれば、万人が成功する」方法論なんてものはない。
また、ふだんその手の本を作ってて思うのだけど、ある方法論があったとして、それと真逆のことを説く方法論だってある(しかも、両者は、それそれの方法論を駆使して、成功してるのだ)。
だから、方法論なんて人それぞれだし、「自分に合った方法論」と出合わない限り、成功はおぼつかない。
だからといって、「方法論」はなくてもいいのだろうか?
たとえば、「時間の使い方」がうまくなりたいと思った人がいるとする。
その人は、誰の方法論にも学ばず、自分の頭ですべて考え、「時間の使い方」を工夫するのがベストなのか?
僕はそんなときこそ、本で、いや本でなくともネットで、セミナーで、あるいは他の人に聞くのでも何でもいい、「方法論」を知り、それを試すべきだと思う。
もちろん、「ハズレ」にあたるときもある。最初は「ハズレ」ばかりかもしれない。
けれど、「ハズレの方法論」にだって意味はある。
自分にはこの方法論は合わない――それがわかっただけでも、一歩前進だと僕は思う。
それがわかったなら、逆の方法論を試してもいいし、なぜそれが合わなかったかを突き詰め、独自の方法論を生み出してもいい。
自分ひとりの頭で勝負するよりも、そのほうが成功への時間は、チョッピリでも短縮できるのではなかろうか?
いずれにせよ、「誰かの方法論」は「自分独自の方法論」を生むキッカケになる、そう信じて僕は本を作っている。
それもまた、僕独自の方法論といわれれば、それまでだけど。